短編小説
エイポッズ
ごまかし王
男は目を覚ました。気持ちのいい朝とは言えなかった。まだはっきりとしない意識の中、ベッドの隅で落ちかけていた携帯を手に取る。
「‥‥あぁ、もう」
画面上に白く光る「9:12」の文字を見て、男はため息と共に呟く。8時半までに家を出ないと、大学の授業には間に合わない。携帯はマナーモードになっており、目覚ましは鳴らなかったらしい。寝る前に確認すれば良かった、そう後悔しつつまた布団を被る。
これで遅刻をするのは3回目だった。最初は寝坊で、二度目はアラームこそ鳴ったものの二度寝で、そしてこれが三度目。これで単位を落とす可能性が上がってしまった。とはいえ、今から家を出ても遅刻にすらならない。考えた所で仕方がなかったので、3時間目に間に合うようアラームをつけて再び眠りにつく。
―――――――
男は目を覚ました。少し頭が痛い。耳を刺すような甲高い電子音が部屋中に鳴り響いていた。まだ浅い眠りに入っていた男は、音に反応して無意識に体を震わせる。引き上がられるように上半身を起こし、目を擦りながら携帯を手に取る。
そしてアラームを止め、画面へと目を向けた。
「‥‥?」
画面には「7:01」の文字。日付を確認しても、さっきと変わっていない。(時間が巻き戻った、のはありえない。だとしたら、さっきのは夢か?)そんなことを考えながら起きあがり、ふらふらと外出の準備を始める。こんな経験は初めてだったので何か引っかかる所はあったが、こんなこともあるんだなと気にせずにいた。遅刻しなければそれで良い。今日はラッキーだと思った。
―――――――
男は目を覚ました。カーテンは開いていたが、太陽が出ていないのか部屋は暗い。いつもと同じように携帯の電源を入れるが、画面は点かない。どうやら寝る前に画面をつけたまま寝てしまったらしい。充電器のコードを差し、男は顔を洗いに洗面所へ向かった。
一階へ降りると、母がテレビをつけていた。時計が指すのはちょうど8時。母はいつもこの時間、ニュースを見ている。今日もそれは変わらない。
「おはよう」
「ん」
「今日は休み? 大学は大丈夫なの?」
「お‥‥おう、完璧よ」
本当は連日の寝坊といい順調とは言えなかったが、貴重な休みが説教で始まると思い、男は嘘をついてごまかした。大きなあくびを上げつつ洗面所についた男は、顔を濡らし、洗顔料の容器に手をつける。
「うわ、最悪」
容器を軽く押したつもりが力が強かったのか、洗顔料が床に飛び散る。すぐに拭こうとしたが、手に出した分が無駄になるのが嫌だったので後回しにした。少し嫌な気持ちになりながら顔を洗い、素早く顔を拭いて洗面所を出る。
瞬間、足の裏にやわらかな感触が伝わり、男の体が後ろに倒れる。さっき床に落としたのを踏んでしまったらしい。後回しにしなきゃ良かった、そう考えている内に、「あ」と一声あげる間もなく後頭部に衝撃が走る。
―――――――
男は飛び起きた。上半身を跳ね起こし、後頭部を抑える。血は出ていなかった。携帯を手に取ってみると7時ちょうど。また時間が巻き戻っていた。先程の出来事が夢とわかると、男は安堵の声を漏らしながら再びベッドへ倒れ込んだ。
―――――――
男は目を覚ました。今日はいい目覚めだった。数回目を擦ると、携帯に映る「10:12」の表記を目にする。今日は日曜日。たまには昼まで寝ていてもいいだろう、ともう一度ベッドへ潜り込む。昨日の大学での疲れで、簡単に二度寝の姿勢が整った。
「ちょっと」
ふと誰かの声が聞こえて布団から顔を出すと、目の前に母が立っていた。寝ぼけていて気づがなかったらしい。
「‥‥ん?」
「あんた、へる助見なかった?」
「いや、見てないけど‥‥ 何かあったの?」
「朝からどこにもいないのよ」
「マジか、俺も探すよ」
へる助は、家で飼っている犬の名前である。それからはへる助の大捜索が始まった。朝から昼まで母と家中探し回ったが、結局どこにもいなかった。
事態が変わったのはその日の夕暮れのことだ。部活に行っていた弟が息を荒げた様子で帰ってきたのだ。彼は「はやくはやく」と急かし、2人を外に連れ出した。案内したのは家から徒歩2分の路地。その真ん中にあったものだった。弟の焦りようからして、男がそれをへる助だと理解するのに時間はかからなかった。
夜。へる助が噛み切ったであろう網戸についた穴が、家具をどかした時に見つかった。ここから脱走して、そのまま轢かれたらしい。男はほっとした。同時に情けなくなった。飼い犬が死んだ悲しみを置いて、自分のせいではなかったと安堵してしまった自分が嫌になった。その日の夕飯はおいしかったが、まともに喉を通ることはなかった。布団に入った後も中々寝付けなかったが、安心するのは当たり前なんだと自分に言い聞かせた。
―――――――
男は目を覚ました。昨日のこともあり、目覚めはすこぶる悪かった。数回目を擦ると、携帯を取ろうと手をまさぐる。少しの期待を抱えて携帯の画面を見る。日付は変わっていた。ため息を1つつくと、男は再び布団にくるまった。今日はもう何も考えなくない、そう思った。
―――――――
朝がやってきた。学校の課題が終わっていないので、男は眠っていない。課題が終わり時刻を確認すると、携帯は6時半を指していた。男は眠くて死にそうだったので布団に入ろうとしたが、眠れない。まだへる助が死んだ実感が無い。悲しくは無いのだが、家の騒がしさが少し無くなった気がした。
大学へ向かう電車の中で男は揺れていた。今日はかなり長い間束縛されることになる。珍しく人は少なく、授業に備えて電車で寝ようとしたがやはり眠れなかった。
そう考えている内に、大学の最寄駅まで数分という所まで来た。ふと隣の車両から物音が聞こえてくる。時々いる頭のおかしい乗客なのか、喚き声が聞こえる。隣の車両へと目を向けると、扉が開いて何人かの乗客が走ってきた。ただごとではなさそうだ。
「な、何かあったんですか」
「包丁持った奴が来る!」
そう言いながら乗客たちが向こうへ走り去っていく。男も急いで立ち上がり、もう一度音のした方へ視線を向ける。そこで血まみれの男が走ってくるのを見た。視線もあってしまった。その男は気が立った顔をにやつかせるや否や、こっちに向かって走ってくる。
足がすくんで動けない男は、ただただ包丁の切先が迫ってくるのを見るしかなかった。数秒も経たない内に、それは喉へと突き刺さった。声を上げることはできなかった。
―――――――
男は飛び起きた。無意識に首元を抑え、周囲を確認する。そこが電車内でないことに気づくと、抑えていた手の力を緩めた。どうやらまた夢だったらしい。男はため息をついて目を瞑り、ベッドに寝転がる。
瞬間、額に何かが滴った。見たくはなかったが天井を見上げてみると、さっきの血まみれの男が張り付いていた。
「なんで」
天井の男はまたニヤリと笑って見せると、男の上に降り立つと同時に首元に包丁を突き立てた。不思議と痛みは感じなかった。
―――――――
男は目を覚ました。いつもと違う感触に違和感を感じる。次回はまだ濁っていたが、いつもの部屋と比べやけに白いのが気になった。
「あ、起きましたか」
男の知らない声だった。徐々に視界が晴れていくと、それが看護師の声だと分かった。今寝ているのも、ベッドではなく寝台の上だと気づく。声を発そうと喉を震わせると、何かがつっかえている感触があるのを感じた。
「何が、あったんですか」
「ご家族からお電話があったんです、息子が錯乱状態だって」
「‥‥?」
「何か覚えてませんか、変なこととか」
それを聞くや否や、男はあの天井にいた血まみれの男を思い浮かべた。あんな笑顔、簡単に忘れられるものでは無い。思い返せばここ最近、ろくな目にあっていない気がする。続く悪夢に飼い犬の死に、今は気づけば寝台の上。これ以上何があるのだと、半分吹っ切れそうな気持ちになる。
このままだとパニックになりそうで、落ち着けと自分に言い聞かせる。また喉に気持ち悪さを感じて、一度喉元を触ってみた。包帯が巻かれている。
「あ、まだ触らないでください。傷が治ってないので」
「え」
「切り傷ですよ、そのせいで呼吸困難になりかけてて‥‥」
切り傷。
頭の中でその言葉が反芻される。同時にあの笑顔、電車の光景が飛び込んでくる。何がどうなっているんだ。考えれば考えるほど、頭がおかしくなっていった。
―――――――
朝がやってきた。男は既に起きていた。もう三日寝ていない。既に退院していたが、男は頭がおかしくなっていた。寝たらきっと、またあの男に会う気がして『絶対に寝るな』と自分自身を脅迫していた。心配する家族には、状況がバレないように色々言いくるめてごまかした。どの道、言っても信じてくれないだろう。
男は、夢と現実の区別がつかなくなっていた。これまでの出来事をどれだけまとめても、あの電車に乗ってから、何が夢で何が現実か理解できない。いつ発狂してもおかしくないし、彼自身それを十分理解していた。
夢と現実を区別する方法。それをぼぅと考えている内に、男は少し離れたマンションの屋上にいた。これが一番手っ取り早い。夢なんてものは、大体死ねば目覚める。本当に死んだら元も子もないが、こんな生活を続けるよりはマシだとも考えていた。それほど男は追い詰められていた。
そう結論づけてからの男の行動は早かった。やめた方がいいと考えてしまう前に、男は静かに身を投げた。
―――――――
男は目を覚ました。今までで一番いい目覚めな気がした。物音一つしない静かな朝だった。あまりにも静かすぎた。
リビングに降りると、鼻が曲がりそうな匂いが立ち込めていた。いくつかのドス黒いシミと、無数のゴミが散らばるばかり。男は焦ることなくリビングを出た。家を出た。
外には誰もいなかった。物音一つ無く、生き物の気配が感じられない。聞こえるのは風の音だけ。ゴミが散乱する路地を何を考えるわけでも無く歩いていると、へる助の斃れていた場所に辿り着いた。
男は立ち止まった。ズボンのポケットにカバー付きの包丁が入っていることに気づいたからだ。包丁を手に取りカバーを外す。血に濡れていた。それを見るや否や、包丁を自分の首元に突き立てようとした。
ここは夢なんだと自分に言い聞かせた。しかし理性が働いたからなのか、包丁が突き刺さることはなかった。切先だけが皮膚を刺し、血が一筋首を伝う。
2024/11/2「タイトルをシャッフルして小説を書いてみようイベント」
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