第22話 倒し合い
あっという間に準決勝の日が来た。
試合が短かったのもあり、本当に一瞬の出来事みたいに感じる。
これが終われば次は決勝だ。これは通過点といきたいところだけど、そういう発言は通過してから言った方がいい。先のことばかり見ている人はしょうもないところで足をすくわれる。世の中っていうのはそういう風に出来ている。
今日もあたしは油断する気は1ミリもない。やるからには全力を尽くすし、相手は全力で倒しにいく。
またヘッドギアやグローブを付けてリングに上がる。あちこちからスマホが向けられる。もう慣れた。
今日の相手は
リング中央でグローブを合わせる時、富樫はすごい目つきで睨んできた。ただ、ヤンキーが威嚇するというよりは、武道家が相手を殺すと決めたような眼光だった。
いいね、こういうの。ゾクゾクする。
心地よい緊張感に高揚しつつ、両陣営へと別れていく。
ほどなくして試合が始まる。
ゴングが鳴ると、両者ともにリング中央へとおどり出る。初回から倒す気満々だ。
富樫はガードを高くして、
あたしもガードは高くしつつ、遠くから軽いジャブで距離を測る。ジャブには攻撃を当てるだけでなく、相手との距離を測定する役割もある。今のあたしが打っているジャブは後者に類するものだった。
試合を見守る人々も一緒に息を止めているのか、会場全体が緊張感に包まれている。
ようやくあたしに見合う相手が出てきた。そんなことを思いながら試合を見守っているのだろう。
――このコ、強い。
あたしのセンサーが危険を察知している。
こういう感覚が出てくる相手には、特に慎重な試合運びをしないといけない。
いくらか様子を見ると、左サイドへ回りながらジャブを連発した。そのうち一発は相手の顔面をかすめたけど、ポイントになっているようには思えない。
ジャブを伸ばす。それと同時に、嫌な寒気。
首を捻る。カウンターで放たれたオーバーハンドの右だった。
観客たちにもこのカウンターが予想外だったのか、会場にどよめきが広がっている。
「やるじゃん」
口の動きだけで言う。
あれが当たったら倒れていたかもしれない。
富樫は女子とは思えないおっかない顔でこちらを睨んでいる。いいね、そういうの、嫌いじゃない。
あたしも本格的に倒しにいこうと思った。
重心を低くして、フットワークを機能させるよりも強烈なパンチを打てるように準備する。
身体を揺らしながら迫る富樫。
フェイントを入れて、速い左をおでこに当てた。
富樫は構わず距離を詰めてくる。もう一発ジャブを叩き込む。今度はアゴ。それなのに、止まらない。
ガードを上げる。衝撃――オーバーハンドの右フックがガードに叩きつけられた。プロとは違って倒すことに重きをいかないアマチュアボクサーのパンチとは思えなかった。
だけど、大振りすればあたしを倒せるってわけじゃない。
あたしは打ち終わりすぐを狙って左フックを放つ。
会場に衝突音――気付けば、あたしの方が尻もちをついていた。
あちこちからどよめきが起きて、レフリーがカウントを数える。
クソ、もらっちゃった。
――倒されたのは左フックだった。
あたしは富樫の打ち終わりを狙ってはいたけど、それは富樫の張った罠だった。
富樫はあたしよりもリーチが短いけど、腕が短い分接近戦で見せる連打の回転は彼女の方が速い。
あたしが左フックを打ち込むのを見越して、彼女の方が左のショートフックを打ってきたってこと。つまりは、あの右オーバーハンドは囮だったっていうわけだ。
「こりゃあ、一杯食わされましたねえ」
あたしは苦笑いしながら誰にともなく呟く。
カウントが8まで続く。ファイティングポーズを取って、試合続行の意志を見せる。ひどい倒され方をしない限りは、これぐらいのダウンで試合は止められない。
「ボックス!」
試合が再開される。
富樫がすごい形相で詰めてくる。同じJKとは思えない。
倒されて変な話だけど、あたしは逆にテンションが上がっていた。
こんなに強い選手がここにいたんだって。
いくら肉体が変わったからって、自分より強い奴なんていないだろうと高をくくっていた。だけど、今まさにあたしを倒そうとしている相手がいる。そんな現実が嬉しかった。
――それならあたしも、本気でいくからね。
高速でステップを踏む。
身体を揺らし、知覚をより鋭敏にする。
リングの周囲で何が起こっているのかが分かるほど、あたしのセンサーが冴えわたる。
互いに睨み合い、フェイントで威嚇しながら攻撃のタイミングを計る。
富樫が左フックをフェイントにして、オーバーハンドの右フックを放つ。
刹那、フリッカー気味のジャブで顔面を弾いた。
会場に乾いた音。手ごたえはあった。
構わず、富樫は突っ込んでくる。
そんなんで止まるタマじゃないか。
予想は出来ていたので、さらにフリッカーを連打しながら左サイドへと旋回していく。
ジャブは的確に富樫の顔面をとらえる。
構わずに前進し続けているけど、あたしのジャブは――普通のジャブじゃ、ないよ。
左右に踊るようにステップを踏むと、タイミングを外してまた左を突く。でかいパンチを当てにきていた富樫は避けられない。
一瞬だけ怯むも、なおも前進してくる。重戦車みたいな女だ。
――だけど、前に出てくるだけじゃ勝てないってことを教えてあげる。
あたしはさらに左へ回る速度を早くする。リング上で見せる脚の速さは天性の要素が強い。
相手が重戦車みたいに来るのであれば、あたしは蝶のように舞い、蜂のように刺す。
ジャブ、ジャブ、そしてまたジャブ。
いくらかはガードに阻まれるものの、連打すれば鋭いジャブが富樫の顔面を撥ね上げる。
レフリーがふいに試合を止める。
富樫が鼻血を出した。顔面も想像以上に腫れていて、それに気が付いた観客たちがどよめいている。
「こりゃあ、終わりかな」
誰にも聞こえない大きさの声でひとりごちる。
アマチュアルールだと鼻血で試合がストップになることがある。そのため、応援から「気合で止めろ」と無茶な檄が飛ぶ場合も本当にある。
「まだやれます」
遠くから、富樫の力強い声が聞こえる。
リングドクターはいくらか渋い顔をしたが、試合続行を許可した。
富樫側の応援が沸き立つ。
「ボックス!」
さて、さっさと終わらせるかね。
あたしは軽いステップでリング中央へと進んでいく。
富樫はガッチリとガードを固めて、こちらをすごい形相で睨んでいる。まだその眼は死んでいない。
あの目つき、あたしはよく知っている。
前世でああいう眼をした奴をたくさん見てきた。
追い詰められているのに、絶対に相手へ屈しない決意を秘めた眼光。そういう眼をした奴は早く倒さないと厄介なことになる。
左右へトトトンとステップを踏んで、ワンツーからもう一度左、右でフェイントを入れてから対角線上から左フックを高速で放つ。クオーター気味の軌道で放たれた左フックは、富樫の顔面を撥ね上げた。
「ダウン!」
レフリーがすかさず割って入る。
富樫はなおも試合続行の意志を見せたけど、レフリーは8カウントまで数えてから試合を止めた。
試合終了。あたしのストップ勝ちだ。
沸き立つ部員たち。
あたしは一瞬だけ右拳を上げてその声にこたえた。
チラと富樫を見る。
ストップ負けを喫した彼女は、人目もはばからずに泣きじゃくっていた。
まあ、あっちの方が素なんだろうな。
気まずいけど、彼女の方へ歩いていく。
「ありがとうございました」
恒例の試合後にやる挨拶。
どんな相手であれ、試合後には礼儀正しく終わる。そういう文化だ。
大丈夫、あなたは絶対に強くなる。それは拳を合わせたあたしだから分かる――なんて言わない。
敗者にかける言葉なんて嫌味でしかない。
あなたは好きなだけあたしのことを嫌うといい。
そうして、いつかやり返すためにまた戻って来て。
それだけ念じて、あたしはリングを後にした。
――残すは決勝戦のみ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます