私は鶏肉
泡水
1.
人は何でできているかと言う問いに人はなんと答えるだろうか、綺麗事が好きな人は愛だの希望だの言うのだろうあえて言おう、人は、私たちは、
「私は鶏肉」だ。
ごろりと寝返りを打つ、耳障りな音が夢の中で騒ぎ出す何度が同じ音を繰り返しその音がアラームであることに気がつく私は目に瞼を被せたまま手で布団の表面を掻き回す指先にスマホらしきものがあたるそれをしっかりと確認しないまま電源ボタンであろうところを指で押す、ぴたりと音が止みさっきまでとは比べ物にならないほどの静寂が耳に詰まる体感ではほんの数秒でまたスマホが怒鳴り出す、流石に起きるかと何がで貼り付けたように離れない上下の瞼を強引に引き離す、すぐさま白い光が視界に刺さる、朝起きたとき部屋が暗いといつまでも夜だと思い込み起きられないので寝る時はカーテンを開けるようにしているがその弊害は大きい、半分も開いていない視界のままゆっくりとベットから体を引き剥がす現在時刻は8時24分だ、2ヶ月と18日ぶりの睡眠だったそれでも睡眠時間は2時間ほどだ。
両足に石ころでも詰まっているのかと言うほど重たい体を起こしゆっくりと歩き出しキッチンに向かう、一連の動作の中で食品棚を開ける、スーパーで一番安い食パンが袋に3枚残っている袋の正面には30円引きのシールが貼ってある、賞味期限はとっくのとうに切れているが賞味期限が切れたものを食べてお腹を下した経験がないのでなんの抵抗もなくそれを手にとる、その中から一枚取り出し残りは冷凍庫の中にしまう、冷凍庫の中には同じ経緯で冷凍された霜だらけの食パンが何個か入っているそれから食べればいいのにと思うかもしれないがはっきり言うとめんどくさいのだ。
食パンを口に咥えたままベット横の机まで歩く、机の上にはいつのものかわからないコーヒーを飲んだマグカップが2、3個並んでいる、パソコンを開くと右下に担当者からのメールが見えた、おおかた催促のメールだろう正直見たくないものなので見なかったふりをして文書アプリを開く。
最近開いた項目から一番新しいものを選んで開く、そこには題名は未確定で最初の二、三行だけが書き捨てられ残りの余白を誇張している、肺が一度大きく膨らむのがわかるほど大きなため息をつき首左右に力強く曲げる、右の骨はなったが左は空振りに終わった骨がならずに終わった気持ち悪さを抱えながら渋々メールを開く、案の定そこには担当者から無駄だらけの丁寧さを書き連ねた無駄に長い文章で「早く書け」と送られてきている、私は最低限の文字数と最低限の礼儀を持った短い文章で「今書いている」と返信した。
文書アプリにもどり最初の二、三行を読んでみる、一行目を読み終わる頃には頭の中は今日の天気のことで埋め尽くされていた「ボツだな」ボソリと呟きcmdとAを同時に押しキーボードの右上に手を向かわせる、余白を目立たせていた文字がきえ画面上が真っ白になるそこにはなんでも書いてくださいと言わんばかりの余白に何も書くことができない私を鼻で笑うかのように白にうっすらと私の顔が映る。
私はしがない“小説家“だ、一度だけ少し世間から注目を浴びその経験にすっかり騙された、私には才能があるのだと思い込み迷わずこの道を選んだ、あれから2年、あの時が私の全盛期であり、引き時だったのだ、あれから何作か世に出したものの誰かの心に残っている文字は一つもないだろう、最近ついに何も浮かばなくなってしまった、かろうじて書いてもあまりに無駄な文字をこの世に吐き捨てているだけだった。
最近やっと気づいてきた私に才能などなかったのだ、きっと私はあまりに普通で平凡でつまらない人間なのだ。
たまに思うもし私が不治の病に冒されていたら夢を語るだけで周りの人間は私を褒めたたえ、私の夢を叶える手伝いをしてくれるのだろう、そして私がいろんな漫画やアニメで何度も聞いたようなテンプレレベルの名言を泣きながら言おうものならそれは『とある少女の戦いの証』だとか言って本が出来たりもするのだろうか、私が頭を抱えながら叶えた夢をテンプレで叶えてしまうのではないか、平凡な私が語る夢と病に冒された私が語る夢では夢の価値が変わってしまう。
それはなぜか、死ぬからだ、なぜ死ぬと価値が上がるのか、死とはロマンだからだ、最近の映画なんて誰かが死なないと誰も泣かない、ハッピーエンドなんて誰も求めていない、人は人が死なないと何かに感動できないのだ、異論は認めようだが実際夢の価値が変わってしまうのはそう言うことだろう、人は死が近づけば近づくほど人生の価値が上がる逆に言えば死が近づかなくては人生の価値は低いまま、いや高いことに気がつけないままだ。
こんなことを考えているうちに時間だけが過ぎていく、キャスター付きの椅子でクルクルと回転する視界がスライドされていく回転がゆっくりになり段々と回転が止まる、まっすぐ前を見つめるとゆっくり視界が傾く世界が歪む、未だパソコンの画面にはうっすらと人の顔が映し出されている、その人はおそらくこちらを見ている、じっと見つめ返すとあちらも見つめ返してくる。
キーボードの上に意味もなく置かれた手を見つめる、手は脳からの命令を律儀に待っている、肝心の脳は考えることを止めたらしい頭は買い物の内容でいっぱいいっぱいだ、食パンを買ってカップラーメンも買い足そうか、そうだ歯磨き粉がもうすぐ無くなる、、、だめだやめよう。
結局3、4時間画面に映る人と睨めっこをしただけで終わってしまった、その人はまだ私のことを見ている、笑いたけりゃ笑えばいいさ、自分を過大評価しすぎた結果だ、自分に才能があるなんて思わない方がいい、よく才能に勝る努力をしてきただとか語っているスポーツ選手がいる、いつも思う努力ができるのもまた才能なのだ、私には努力する才能がない、努力を続けることは本当に難しくて生半可な気持ちでできる物じゃない、しかしタチが悪いのは生半可な努力でも達成感だけは一丁前で特に努力もしていないのに「努力をしているのに不公平だ」と簡単に言ってしまえることだ。
ある人が言うには努力とは自分が気づくものではないらしい、周りが努力を認めて初めて努力になる、らしい、と言うことは私はまだ努力というものを出来ていないのだろうでは私が今していることはなんなのか努力でもなくサボりでもない、何もしていないのと一緒だ、ならいっそ辞めてしまおうか何もかも忘れて努力をしようとすることから逃げてしまおうそうすれば楽になれるだろうか何かが変わるだろうか何かが変わったのだろうか。
担当者から追ってメールが届く内容はほとんど同じだが段々ほんのりと怒りの香りが文章から漂う、読むだけで鼻が詰まりそうだ、私はまるでメールなど見なかったように振る舞いベットに飛び込み目を閉じる眠ろうとすればするほど眠りが私を突き放す瞼がピクピクと私を笑う気がつけばそれは大爆笑に変わり耐え切れず瞼を持ち上げるそれでも瞼はくすくすと私を笑う、私はベッドがら飛び起きパソコンを開く天才ならこんなふうに話が思いつき一晩寝ずに書いて原稿を完成させるのだろう、私の場合は違う、迷いの無い手はメールを開き担当者にメールを送る今回は最低限の礼儀はなくし最低限の文字数だけでただ一言「辞めます」と送った、私の一つの人生が終わった1人の私が死んだエンターキーを押した一瞬で、私は死んだ、生き残った私は今まで以上に何もない平凡以下だ、でも私を殺したのは私だ、私はこの日“小説を書く人“を辞めた。
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