2. 典型的なパターンと障害-2
安田は2人の話が落ち着いたのを見計らって説明を再開する。
「過去事例の多くでは、循環取引を主導したのは営業部長や事業部長、子会社でした。ある程度わがままが言える権力を持っていた、もしくは本社の監視の目が届きにくい立場を活かしたという話です。もちろん社長が率先したケースもありますし、営業部長らは社長からの数字に対するプレッシャーに屈しただけというケースや、社長が黙認していたと思わしきケースもあります。いずれにせよ、結果を出している人間や部署が好き勝手やっていたとしても、周囲はなかなか止められないというのはどこの会社でもある話です」
「......父の時代、当時の営業部長がかなり無茶なことをやって、後始末に苦労したという話を聞いたことがあります。本人は売上のためだと主張していたようですが......」
西川は話を思い出しながら南越の方を見る。
その視線を受けた南越はため息をつきながら話を繋げる。
「はい。社内の決裁を得ずに勝手に値引きしたり、早期納品と嘘をついて獲得した契約の納品を後回しにしたりしていました。また、商品を優先して納品した取引先からバックマージンを貰って、先方の担当者と山分けしたりと好き勝手やっていました。最終的には追い出されましたが、売上を上げていただけに社内調査も遅れ、気がついた時には会社の評判はかなり悪くなっていました。一時期は取引先から警戒されていたこともあります。我が社の恥の1つとして業界では有名ですね」
「南越さんのおっしゃるとおり、営業部門は特に不正が起きやすい部署です。その次が経理部門ですが、営業部門は売上を稼いでいるだけに他の部署に対して強く出る傾向があります。本来であれば管理部門が止めるはずですが、その管理部門を押し切って不正を続けたという事例は多く存在します。この点を踏まえれば、循環取引を行う際には数字や権力といった防壁をいかにして築くかが重要と言えます」
南越と安田の説明を聞いていた西川がふと疑問を漏らす。
「不正の話が出るたび、一般的には内部統制の強化が訴えられると思いますが、そういった対処はどの程度効果があるのでしょうか?」
「ほぼ効果はありません。張り子の虎と呼んでいいでしょう。大抵は社内の力関係で決まります。不正防止のために内部統制の強化を訴える者もいますが、私の経験から踏まえましても、実際には内部統制が無効化されているケースの方が多いと思います」
安田の切り捨てるような回答に西川は驚愕する。
「えっ、経営の本などでは内部統制の重要性が持ち上げられていると思うんですが......。例えば、その、社外取締役や監査役を置かないと上場企業は株主から指摘される話はよく聞きます」
「残念ですが、そういった体制もほぼ体面を取り繕うだけの効果しかありません。コンプライアンスが厳しいはずの金融会社などですら、利益優先でリスク管理部門が蔑ろにされているのが実情です。上場企業で粉飾決算をやっていた会社でも、社外取締役を複数人配置していたケースはあります。問題を繰り返す社長を社外取締役が止められないケースや、社外取締役に十分な情報が共有されていないケースも多く、体制だけ整えても意味はありません。内部統制の効果性とは体制を整えることよりも、どれだけまともな人間を関係部署に配置できるかで決まります」
「なんと......」
大企業ならまともだろうという思い込みを裏切られて驚く西川とは対照的に、南越の方は安田の話を聞いて頷いていた。
西川よりも長く管理職として働いてきた経験があるだけに、安田の話をスムーズに理解できる。
管理職の中には部下の行動や報告をろくにチェックしない者もいる。
そしてそれは企業の大小を問わない。
文字通りただの置物でしかなく、そういう人間の下で内部統制が機能するはずもなく、西川製作所でも不正や問題が起きやすいのはそういった人間の部署だった。
「循環取引を行う際の障害としては、社内の管理部門、会計監査人や監査役、社外取締役などが存在します。ただ、いずれにせよ必ず突破できます。社内であれば売上に貢献している部署の方が力が強いため、多少怪しまれてもどうにでもなります。監査役や社外取締役も同様で、元々彼らは経営者と親交があるから任命された者たちです。経営陣と揉め事を起こして、これまでの関係や報酬を捨てる心理的ハードルは高く、積極的に行動しようとはしないでしょう。もし気になるようであれば、事前に都合の良い人材に入れ替えておくことをお勧めします」
障害は必ず乗り越えられる。
そう言い切った安田は自信に満ち溢れており、実際にこれまで多くの企業において実現してきたであろうことが伺えた。
そんな安田に対して、西川は安田が説明しなかった点について疑問を提示する。
「なるほど。会計監査人?も問題ないのでしょうか?我が社には外部からの監査がないため、どの程度のものなのかよく分かっていなのですが」
「こちらは決算書のチェックを担当する第三者、いわゆる公認会計士や監査法人を指します。上場企業や未上場大会社はこのような外部監査が必要となります。西川製作所さんは対象外ですが、未上場企業の決算よりも遥かに厳しくなるのが特徴です。ですから、外部監査が入る企業では循環取引を行うべきではありません。循環取引の相手としても不適切です。循環取引を解消する際にも怪しまれやすく、1社露呈すれば芋づる式に他社も露見していきます」
安田の言う通り、上場企業を含めた循環取引は摘発されやすい。
特に業績が伸びているように取り繕っている企業は、時限爆弾を抱えているようなものである。
架空取引での成長には賞味期限があり、永遠に続けられるものではない。
数字が増えるごとに監査の目は厳しくなり、最終的に帳尻を合わせることができず、どこかのタイミングで大きな売上減か減益を計上することになる。
そうなればこれまでの取引の正当性が厳しく確認され、粉飾決算を行っていたことが露見する。
未上場の企業であればまだ誤魔化すことは可能だが、外部監査が入る上場企業では逃げ切ることはほぼ不可能である。
「とはいえ、彼らも完璧ではありません。報酬に見合った分しか働けませんので、多少怪しい点があったとしても調査の手間が割に合わなければ見過ごされます。彼らもビジネスでやっている以上赤字になるわけもいかず、決定的な証拠がなければ踏み込んで来ません」
「手間と時間をかけた調査を行おうにも、それに見合うだけの多額の監査報酬を提示すれば顧客は別の監査法人に乗り換える。それを嫌がって循環取引の発見が遅れるということですか?」
「はい。実際杜撰なやり方をしていたケースでも、上場前の監査で循環取引が露見しなかったケースは珍しくありません。時価総額2000億円を超えるような企業でも、上場後に粉飾決算が発見された事例もあります」
西川製作所の顧問税理士の窓口をしている南越からすれば、安田の説明は納得がいく。
いくら付き合いの長い相手だからといって、いきなり今期の費用を2倍にすると言われれば、間違いなく別の税理士に乗り換えるだろう。
ましてや費用を増やしたところで売上は増えないのである。
経営者が不正をしていないならそこまで費用をかける意味はなく、不正をしているならなおさらである。
監査法人は不正に巻き込まれたくない一方で売上が欲しい。
この微妙な立場の違いが、上場企業の粉飾決算を生み出す温床ともなっていた。
「監査法人の監視の目を躱すには、地理的・作業的な要因から取引の実在性確認を難しくすることが重要です。例えば海外との取引であれば、商習慣や言語的なハードルから監査法人も深く追求しない傾向にあります。つまり、いかにして監査法人に面倒だと思わせるかが焦点となるわけです」
「ちょっとした心理的な障壁が足かせとなるわけですね。ましてや忙しい時であれば、5分で終わる作業が面倒さから数日経っても着手できないこともある。似たような話は我が社にもありますので理解できます」
「最終的な力技としては、監査法人から送られる取引などの確認状を回収するため、偽装したプレハブ小屋を建てて確認状を受け取ったり、郵便局に嘘をついてポストに投函された確認状を回収したケースもあります。ただこれらの真似をするのは簡単ではありません」
そこまでやるのか。
西川と南越は安田の話を聞いて唖然とする。
ただ言われてみれば、そういった盲点をつくことができれば、監視の目を欺くことも容易だということが理解できる。
こういった手段はタネを知らない手品のようなもので、仕掛けられた側は何をされたのかも認識できない。
「逆に見落としやすいのがデジタルデータです。最近は社内システムの大部分が外部サービスに依存しています。西川製作所さんでも業務システムやチャットツールなどは海外の有名所を使っていますよね?」
「はい。チャットツールだけではなく、メールなどもそうですね。小さい会社だとどうしてもシステム部門は手薄になるため、可能な限り外部サービスを使っていく必要がありますので」
安田の質問に対して西川は淀み無く答える。
大企業であれば自社用に独自システムを開発することもあるが、西川製作所のような会社でこういったサービスを自前で管理するのはほぼ不可能である。
セキュリティ面でも脆弱になるし、専任の人を用意するほど費用はかけられないからだ。
多少不便なところがあったとしても、外部サービスを使わないという選択肢はない。
そして、それは意外なところに影響してくる。
「デジタルだからデータが削除しやすいという誤解があるのですが、最近ではログなどのデータ保管が強固になって改ざんが困難になっています。特に外部サービスを利用している場合、データ削除自体が困難になりますし、デジタルフォレンジックで削除したデータを簡単に復元できます。むしろ、隠蔽行為によってより処罰が厳しくなるでしょう。メールやチャットツールに入力したデータは必ず見られるという前提で行動する必要があります。外部に知られたくない重要なやり取りを行う際は、必ず電話や会って直接話すといったアナログな手段を取って下さい」
「個人のスマホやパソコンも駄目ですか?」
「はい。それらも同様です。必ず調査対象になります。実際にそこから露見した事例は多数ありますので、絶対に利用してはいけません」
連絡の手軽さや即時性から不正を行う際にもチャットツールやメールを使うものは多い。
しかし、不正を行うのであれば証拠は隠滅するものではなく、そもそも証拠が残らない手段を選ぶべきである。
循環取引が露見しそうになった時、最後の防壁になるのはこういった行動を裏付ける証拠の有無だと安田は2人に説明した。
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