第15話 アルセストの回想(2)

 戦いが終わるころには、その街と古城はあたり一面火の海と化していた。それはただの炎ではない、いにしえの魔竜が吐き出した獄炎だった。まるで灼熱のマグマをぶち込まれたように、家屋は黒い消し炭と化し、石作りの外壁はバターのようにとろけている。


 酸素さえ干上がるような息苦しい熱気の中で、アルセストはただひとり立ち尽くしていた。

 乙女の描かれた魔法の盾を握りしめ、全てを守れると信じ込んでいた自分の馬鹿さ加減を呪って――

 目の前には焼け焦げた死体の山がどこまでも折り重なって続き、かつて勝利を誓い合った仲間たちも、今では息せぬただの肉の塊となっていた。


「アルセスト、せめてあなただけでも逃げなさい」


 アルセストの足元に横たわるプリウェンが、脆弱な声をかける。


「プリウェン、お前を置いて逃げられるわけないだろ! それに俺はドラゴンスレイヤーだ。竜を目の前にして逃げたとあっちゃ名がすたるぜ」


「よく言うわよ。まだ一度も竜を倒したことないくせに」


 プリウェンはそう言うと力なく笑った。アルセストはひざまずくと、彼女を抱きかかえて微笑み返す。


「軽口が言えるならまだ大丈夫だ」


 だがアルセストは、プリウェンがもう長くないことを悟っていた。

 矢面に立って戦っていた彼女は、竜の吐く炎に襲われ、全身にひどい火傷を受けていたからだ。両足は黒こげに炭化しており今にも取れ落ちそうになっていたし、右腕は肉がとけ落ちて骨がむき出しになっている。

 かつては愛くるしかったその笑顔も、今では半分焼けただれていて、息をするのも苦しそうだ。

 呪われた彼女の傷は決して癒えることはない。魔法の力をもってしても、もはや彼女を救うことは不可能だろう……。


 けれど彼女を絶望の中で死なせたくはなかった。彼女の守ろうとしたものが、ひとかけらも守れなかったなんて、そんな悲しみを背負わせたまま死なせてたまるものか。


「プリウェン、そこで見ててくれ」


 アルセストはかたわらに落ちていた投擲とうてき用の槍を拾い上げる。この戦いのために黒煙地方のドワーフたちが鍛え上げてくれた業物わざものだ。

 炎に照らされ黒光りしたその穂先は鋭くとがり、何物にも阻まれずに全てを貫きそうに見える。だが――


「無理よ。その槍では、あの竜の鱗は貫けなかったじゃない」


「いや、戦いの中で今さら気づいたんだ。あいつは炎を吐く直前だけ無防備になる。その一瞬の隙に、あの竜の喉奥にこいつをぶち込んでやる」


 アルセストは最後の一撃に賭けることにした。

 その時、地鳴りのような地面の震えと共に、二人の上に巨大な影が覆いかぶさる。

 遥かな山ほどの巨躯をゆらす竜だった。


 巨大な脚が一歩進むたびに家屋を踏みつぶし、その足先から伸びた鉤爪かぎづめが地面をえぐりつける。

 全身を覆う暗緑色あんりょくしょくの鱗は、一枚一枚が大きく分厚い鉄板のようだ。

 竜が背中から生えた蝙蝠こうもりのような翼を軽く揺るがすたびに、竜巻が建物を打ちつけ虎落笛もがりぶえのような音を上げる。

 ワニかトカゲを大きくしたような相貌そうぼうには、赤黒い目が溶岩のように燃えている。


 この街をあらかた破壊しつくしたというのに、竜はその蹂躙の歩みをとどめることはなかった。

 アルセストとプリウェンに気が付いているだろうに、泰然と待ち構えているように見える。まるでアリを踏みつぶすゾウのように、意に介していないと言いたげに。


 あたりを覆う灼熱のせいなのか、アルセストは喉がカラカラに乾いて胸が焼け付くのを感じた。


「自暴自棄になるのはやめなさい。やはりあなただけでも逃げるのよ」


「いいや、せめて一矢報いてやる」


 プリウェンの制止の忠告を振り切ると、アルセストは雄叫びを上げて駆けだす。


 自分だけが無様に逃げ出すわけにはいかない。始めから死さえ覚悟していた戦いだったとはいえ、死んでいった仲間たちは誰も逃げ出しはしなかった。

 みなプリウェンを守りきり、後を託して散っていったのだ。


 それは彼女も同じだった。プリウェンは聖女としてすべてを背負い戦い続けてきた。危険を省みず常に戦いの最前線に立ち、人々の命と笑顔を守り続けてきたのだ。

 彼女のように全ての人々を守ることは、自分には真似できない。けれどせめて愛する彼女の笑顔だけは守ろうと誓ったのだ。

 なのに今のていたらくときたらどうだ。たった一人の微笑みさえ守ることができない、くだらない戦士ではないか。


 無様な死に方だけはできない。いや、たとえ無駄死むだじにになるにしても、一歩でも前に進んで死んでやる。あの竜に一矢報いて、彼女と笑って死んでやる。


 竜が地響きのような野太い咆哮を上げると、アルセストは想像を絶する恐怖で胃が縮みあがり、心臓がギリギリと締め付けられるほど痛んだ。だがその恐れに屈せず払いのける。


 アルセストはこの戦いの中で、魔竜のクセを見抜いていた。あの咆哮の後に炎の息を吐き出すはずだ――

 槍を持つ手に力を込め、竜が炎を吐く瞬間まで充分に引き付ける。


 アルセストの狙い通りだった。竜はそのあぎとをアルセストに向け大きく開くと、グルグルと巨大な喉を鳴らし始める。


 今だ――

 命をかけた一撃を食らわしてやる。

 アルセストは全身の力を槍に乗せて投げ放った。ギュルギュルと切っ先を回転させながら一直線に突き進む槍は、狙いたがわず竜の口へ吸い込まれるように飛んでいく。


 口の中だけは鱗がない、柔らかい口蓋こうがいを突き破り脳天に突き刺さる――アルセストはそう確信した。

 だが、その瞬間――


 竜は牙の並んだ口から、業火を吐き出す。溶岩のように噴き出す灼熱の渦が、飛びすさぶ槍を一瞬にして焼き尽くしてしまったのだ。

 溶けてただの鉄の塊となった槍は、竜に届くことなく勢いを失い、地面へと落ちていく。アルセストたちの希望と共に――

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