第4話 九死

 体を丸め腹からはみ出した腸を目にして、こりゃ間違いなく死ぬなと思う。

 百歩譲って死ぬのは諦めるとして、この後はどうなるのだろう?

 生まれ変わってからやったことといえば、ネズミや鳥を捕まえて食べたことぐらいだった。

 今回もやっぱり人間に転生はできないだろうな。

 善行なんて何もしてないもの。

 そもそも、こっちの世界にも輪廻転生があるとは聞いてないしな。

 こりゃ、元の世界でカマドウマになった方が良かったかも……、いや、それはないか。


「このクソ猫め、手間かけさせやがって」

「こりゃもう助からねえな。とどめを刺すまでもない。このままにして放置するか?」

「そうだな。知らせが届かなかったせいで迷惑かけられたからな。少しは苦しむがいいぜ」

 帯剣した戦士たちは俺の側の地面に唾を吐きかけると立ち去っていく。

 傷口から血と共に命が流れ出すのを感じながら、俺はただ横たわっていることしかできなかった。


 だんだんと視界が霞んできて、ゆっくりと目を閉じる

 遠巻きにする野次馬の囁きをこんな状態でも良く聞こえる耳が拾った。

「動かなくなったわ。もう、死んだのかしら?」

「それはいいが、あのゴミ、誰が片付けるんだ?」

 はは。

 そうだよな。

 人間にとっちゃ野良猫の死骸なんて薄汚いゴミだろう。

 俺だってかつてはそうだった。


「猫ちゃん、死んじゃったの?」

 か細い男の子の声が聞こえる。

 その声には俺を哀れみ悼む心がこもっていた。

 それは俺の願望なのかもしれない。

 でもいいさ。

 誰か1人だけでも俺の死を悲しんでくれる。

 前世の死でも得られなかったその声だけで救われる気がした。

 短い猫生だったが悪くはなかったかもしれない。


 意識を手放そうとしたところで、周囲の雰囲気がざわりと変わる。

「……魔女だ」

 いつの間にか側に接近していた何かが俺の体をそっとすくいあげた。

 冷たく滑らかな手が心地よい。

 俺には意味の分からない小さな呟きが聞こえる。

 揺らぎと共に周囲の空気が変わったのを感じた。


「ナオレール」

「黄金の森の……」

 ざわめきを圧して凛とした声が響きわたる。

「この猫の命を救いなさい」

「しかし、あなたはこの町に関わらないことになっているはず」

「議論をする気はありません。この猫を救いなさい。さもなければ……」

 声に冷たい圧力が加わった。


「分かりました。最善を尽くしましょう」

「司教さま」

「責任は私が取ります。さあ、早く。手遅れになる前に」

 俺の周囲で低い旋律が湧き上がる。

 緩急をつけた節回しは俺の体に響いた。

 腹の辺りが温もりに包まれる。

「もう少しの辛抱よ。頑張りなさい」

 俺の頭の上から優しい声が降ってきた。


 もうすぐ三途の川を渡りかけていた俺には迷惑な話に感じる。

 痛みよりも猛烈な眠気が勝りこのまま死ねると思っていたところだったのでなおさらだった。

 邪魔しないでくれるかなあ。

 だが、俺の希望とは裏腹になんとなく一命を取り留めたのを感じる。

 腹に圧力が加わった。


「はみ出していた内臓もお腹の中に収まったわ。もう、大丈夫」

 ほっとした声音には真情が溢れている。

 なんで俺を助けたんだろう?

 この世界には野良猫の保護をしているボランティア団体なんてあるはずがないのだけどな。

 明らかに死に損なったことを理解して薄目を開ける。


 目の前に厳格そうな爺さんがおり俺に手をかざしていた。

 その後ろに似たような系統のやや控えめな服装をした男女が同じようなポーズをとっている。

 爺さんがおもむろに口を開いた。

「依頼は果たせたということでよろしいかな?」

「恩に着るわ。お互いに不干渉の約を破ったことは改めてお詫びをしましょう」

 爺さんは背後の者共々後ろに下がる。


 頭上で何やら声がしたと思うと、次の瞬間には木でできた小屋のような空間にいた。

 ソファに置かれたクッションの上に俺はそっと降ろされる。

 微かな衣擦れの音と共に横から視界の中に人の顔が入ってきた。

 今までは体を動かすのが億劫で見ることができなかった俺の救い主のものらしい。

 銀髪をショートヘアにしたどえらい美人さんの瞳が俺を覗き込んでいた。


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