PWW対策部第4課の日常

雨中若菜

第1話 トラブルメーカーの後輩

 人為感染症対策研究所PWW対策部第4課の薄暗い古ぼけたオフィスに響くのは、キーボードを叩く音と、時折聞こえるため息だけ。燐翔は、今日もいつものようにデスクに向かっていた。周囲の冷たい視線は、もはや気にならない。感情を表に出さず、淡々と仕事をこなす日々。


 しかし、今日はいつもよりため息が多かった。それもそのはず、4課に新人が配属されることが決まったのだ。上司からは「簡単な仕事だ」と言われたものの、まだ4課に来てから間もないにも関わらず、問題のある新人の面倒を任せられたのだ。


 直ぐにドアが開き、明るい笑顔を見せた女性が部屋に入って来た。しかし、その視線は燐翔をどこか見下しているように感じた。


「先輩、どうもよろしくっす」


 女の言葉は、どこか皮肉を含んでいるように聞こえた。燐翔は何も言わず、パソコンから顔を上げて、冷ややかに視線を合わせた。


「はあ、どうしてこんな所に左遷になりやがったんだか。上司の態度悪そうだし、部屋はボロボロだし」

「あの、入室許可を出した覚えは無いのですが。名前と所属は?」

「ああ、私っすか?星 光海っすよ。書類の写真でわからないっすかね?所属は残念なことに先輩と同じ4課っすよー」


 光海の挑発的な言葉に、燐翔はため息を一つ。


(佐伯を悩ませる程だから少しは違うかと思っていましたが、彼女もまた、他の人間と同じなのですね。期待するだけ損でしたか)



 その日の午後、2人は初任務に駆り出された。任務内容は、ある山中でのPWW調査だった。Pseudo Were Wolf――ウイルスによって化け物になった元人間たちは、理性を失った危険な存在であり、感染症としても猛威を振るっている。


 対応の慎重さが求められる任務であるにもかかわらず、光海は平然と歩いていく。


「気を引き締めなさい。山中はどこにPWWが潜んでいるかわからないんですよ」


 冷静に忠告する燐翔の言葉も、光海には届いていないようだった。


「大丈夫大丈夫。先輩はちょっと気にしすぎっす。まさか、一人で任務に行くのが怖いとか?」


 それどころか、振り返りもせずにふざけた調子で返してくる。燐翔は眉をひそめた。


(彼女は自殺志願者か何かですか?警戒を怠っていては、不意打ちのリスクが無駄に上昇するだけなのに。元1課とはいえ、不意打ちの対処は厳しいはず。いざという時は、私がカバーに入るしかなさそうですね)


 案の定、その不安は現実となった。突然、茂みの中からPWWが飛び出してきたのだ。黒い毛に覆われた巨体は、まるで悪夢のようだった。牙を剥き、異常な速度で光海に襲いかかる。


「こんなの余裕っすよ!」

「後ろに下がってください!」


 燐翔の声は、PWWの咆哮によってかき消されたようで、光海は拳銃を抜き放つなり素早く黒い巨体に数発放つ。銃弾は全てPWWの頭部に命中したようで、赤い血が噴き出し、辺りを染める。そして、黒獣はその場に倒れた。


「ほら、大丈夫だったでしょ?」

「ふざけてないで、早く下がりなさい!」

「目的は討伐したのに、何を焦ってるっすか?レーダーに反応は無いし、下がる必要なんて……」

「全く……」


 燐翔は走り出すなり、光海を押し飛ばした。その途端、茂みの中から先ほどの個体より二回りも大きい獣が飛び出して来て、燐翔の腕に噛みついた。


「え……?」

「のんびり見てる暇があるなら、残りの2体を処理してください」


 燐翔は淡々と光海に他のPWWの位置を教えつつ、素早く身をかがめ、噛みついているPWWの鋭い爪をかわす。そして、腕ポケットのナイフを抜き、鋭く瞳に差し込む。


 流石の化け物でも痛みに弱いようで、大きく咆哮しながら腕を話した。その隙を逃さず、燐翔は腰のカーボンブレードを抜き放ちながら首を刎ねる。


 一体のPWWと交戦する光海を一瞥するなり、後ろから光海に攻撃を仕掛けようとしていた細身の個体に向かってブレードを投げつける。ブレードは回転しながら飛んでいき、その脳天に突き刺さり、獣はその場に倒れた。


 丁度同じタイミングで光海もPWWの胸に数発弾丸を打ち込み、討伐が終わった。


 辺りには静寂が訪れる。光海は肩で息をしながら、その場にへたり込んだ。燐翔はブレードを回収しつつ、PWW達の首を刎ねてから光海に声をかけた。


「大丈夫ですか?」

「……えーっと、はい」

「今回の任務は調査任務です。討伐任務ではありません。それにも関わらず、戦闘を続けるとは、何を考えているんですか?」

「それは……」

「もし、より強い個体があの時点で出現した場合、あなたは最初の一頭が現れた時点で死んでましたよ」

「……強い個体?そんなの、報告に上がってないし、レーダーにも反応は無いっすよ」

「そのレーダー、壊れていますよ。次回から、装備の確認を怠らないでください」

「え……?」


 燐翔は不意にブレードを横に突き出す。すると、木々の中から巨大な毛むくじゃらの化け物が飛び出てきて、二人に襲い掛かって来た。しかし、ブレードがその首に突き刺さる。


「ちょっと、先輩!逃げてくださいっすよ!」

「このレベルの討伐は、本来なら完全武装で最低3人で行う物ですよ。どう対処するつもりだったんですか?」

「説教してる暇ないっすよ!私が時間を稼ぐから……」

「私の心配は要らないです」


 燐翔はブレードを引き抜くなり、先ほど噛まれた腕をその傷口に突き刺す。すると、PWWは一瞬で白目を剥いて泡を吐きながらその場に倒れた。そして、体から紫色の炎が立ち上り、一瞬のうちに灰となって消えていった。


「それで、話の続きですが」

「せ、先輩!今のは何っすか!それより、早くワクチンを打たないと!」

「私について佐伯から一体何を聞いていたんですか?」

「ま、まさか、先輩って、疑似ではない……」

「人狼ですよ」

「……!」 


 光海は目を丸くしながら、その場に居直った。そして、深々と土下座をする。


「すいませんっした!」

「はい?」

「私、先輩について給料泥棒だとか、最弱とか、そういう事ばかり聞いていて、正直、馬鹿にしてたっす!すいませんでした!」

「は、はあ」

「だから、私の望みも叶えられないと思って絶望してたっすが、よかったっす!」

「まあ、それはよかったですね。兎に角、次からは、もっと真面目に仕事してくださいよ」

「わかったっす!」


 光海の屈託のない笑顔に燐翔は少し驚きつつも、わずかに微笑を浮かべた。


 ふたりが並んで歩き出すと、光海はまたピクニックにでも行くような軽快な足取りで進んでいく。


「次もよろしくっすね、先輩!」

「あの、わかっていますか?今回の任務は失敗なんですよ。まだ、この地域の安全性を確認する前にPWWを攻撃したせいで、他の個体を刺激した可能性が高く、今は帰還命令が下ったので帰っているだけで、調査は何も進んでいないですから。次からは任務を把握した上で、適切な行動をですね」

「始末書なら任せて下さいっす!書きなれているんで」

「全く、何が簡単な仕事ですか……」


 こうして、第4課のデコボココンビの日常が幕を開けたのだった。

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