Better the devil you know than the devil【知らない悪魔よりも、知っている悪魔のほうがマシ】

 ウィリアムとブラッドは洗面台の前で計画を練った。

 ブラッドは計画が決まってから通信端末を耳に装着し、ママリスと通信を繋げようとする。計画に沿って嘘の状況報告をする算段だ。

 しかし、ウィリアムはブラッドの肩を掴んで制止する。

「待て。不測の事態に備えて保険を二つかけておく」

「ほう? こんな状況で保険が効くとは思わなかったよ。期待はしないが聞いておこうか」

「一つは、お前の首輪についてだ。犠牲者を見たと言っていたな……身体が球体となって絶命するまで、どれだけの時間を要していた?」

「時間ねぇ……たぶん二、三分。悲鳴を上げながらゆっくり丸くなっていったよ。グロ過ぎて時間を数えようなんて思わなくてね、正直アテにならないぞ」

「それでいい。魔術陣の一部を解読して分かったことがある。効力は五分、そして発動は一度きりだ。万が一お前の首輪が発動しても五分間耐え抜けばいい」

「そんなことできる……?」

「硬化の魔術というものがある。その名の通り物体を硬くするものだ。お前の身体を硬くできれば話は早いが、あいにく俺は魔術を使えない」

「なら、今から抵抗できるように筋トレでも始めておくかい?」

「俺の仲間が硬化する傘を持っている。傘を開いて魔術で硬化し、お前の身体に押し付ければ球体となるのを防げる。これなら耐えられるはずだ」

「なんて無茶苦茶な……やっぱ筋トレするか」

「普段から柔軟運動と体力作りはしておけ。それと、ブラッドの端末が正常に機能するなら、外の仲間と情報を共有したい」

「あい分かった。それで、もう一つの保険は?」

「もう一つは、それすら間に合わなかった時の話になる」

「縁起でもないこと言うじゃないか。神に捧げる命乞いを考えておけとは言うまいな?」

「……近いかもしれない」

 ウィリアムは洗面台に寄りかかると、腕を組んで視線を落とす。それから真剣な眼差しでブラッドを見つめた。

「ブラッド……俺は一度死んでいる。いいや、俺だけじゃない。この街には、そういう人間が何人もいる……信じるか?」

「へぇ……こんな状況じゃなかったら鼻で笑ってしまうな、フフ」

「無理もない。これは死んだあとに知ったことだが……この世ならざる影響を受けて死んだ人間は、強い未練や生への執着で一度だけ蘇ることがある。そうして蘇った人間は、この世ならざる力をその身に宿す」

「オイオイ……それじゃあ、ウィリアムもそういう……」

 突如、ウィリアムの胸元からドクン、という大きな心音が鳴り響いた。この世ならざる力を発現した証である。

 そしてウィリアムは自身の左手首を掴み、慣れた手つきでねじ切った。骨が砕けて血が噴射しても、ウィリアムの表情は眉一つ動かない。

 ブラッドは唖然として目を丸くした。

 直後、左手首の断面から、噴射する血に混じって一本の黒い管が飛び出す。黒い管は目にも止まらぬ速さで左手の断面に突き刺さり、電源コードを収納するかのように左手を引き戻した。さらに接着面の縫合を始める。

 縫合が終わると、手首の傷は跡形もなく塞がった。そして黒い管は皮膚の下へと戻っていく。

 ブラッドは口を抑えて床に尻もちをついた。

「な……なんだよ、それ。どうなってんだよ……お前の身体は」

 ウィリアムは怯えるブラッドに向けて、直したばかりの左手を差し伸べる。

「蘇ったとき、これが俺の身体に宿っていた。ブラッド、魔術はこの世ならざる力だ……何もかも間に合わなくなったとき、生きる理由を考えろ。お前の心を奮い立たせるものを、必死に思い出せ」

 その頃、ジャパニーズ・バル・ダイコクテンの一階は酔いしれた遊び人の団体客で賑わっていた。

 雑然と話し声が飛び交う中で、残忍な声がひときわ響く。

「おい、図体のデカいジャップはどうした! 汚えもん見せやがって、とっとと撃ち殺してつまみ出せよ! そうだ、ハラキリ・ショーをさせようぜ! 昔のジャパニーズはそうしてたんだろ!」

 声を耳にしたアリスは眉を潜めて舌打ちする。

「何も知らないくせに……」

 アリスはトイレに通じる廊下のそばに立ち、一般客や店員の動向に注意を向けていた。

 彼女の立ち姿は姿勢正しく、人々を観察する吊り目がちな三白眼は力強い。ウィリアムが脱出の糸口を掴むまで、どんな方法を使ってでも時間を稼ぐ。アリスはそう覚悟を決めていた。

 彼女の険しい表情も相まって、ほとんどの客はアリスのことを見て見ぬふりをしていく。

 しかし、足を止めて彼女を見つめる男が一人。男はサイズが小さい赤色のタンクトップを着ていて、HBR手術で手に入れた白い肌をこれ見よがしに露出していた。

 全身に刻まれている金色の彫刻は上質なHBR手術を受けた証。金色に光る皮下プロテクターを露わにすることで自身の財力を誇示している。

 合法のHBR手術は富裕層の特権であり成功者を意味するものだ。大抵のサイボーグは手術の痕を見せびらかして羨望の眼差しを浴びようとする。

 タンクトップの男はアリスの前に立ち、携帯端末を操作して立体映像バーコードと口座残高を彼女の前に照射した。

「俺、金遣い荒いんだ」

 アリスは目を細めて鋭い視線を返す。

「……は?」

「五万ドルだすからさ、最後までしてよ。場所はそこのトイレでどう?」

「な、何言ってんの……」

 アリスはタンクトップの男を心底軽蔑して睨みつけた。

 一方で、彼女は否応なしに本来の目的を噛み締める。

 アリスの目的はカリーナを歩ける身体に戻すこと。そのためなら命をかける覚悟があった。しかし、自分の身体を売る覚悟はなかったと気づく。海底探査よりも遥かに効率的で、話が早いと知っていたはずなのに。

 アリスは自問自答する。親友のためにしてきたことは全て、自分を慰めるための逃避だったのではないかと。親友のために手段を選ばないなら、わざわざ時間をかけて海底探査に応募する必要はなかった。

 五万ドルは目標金額の四分の一。交渉すれば値段をつり上げる余地もある。他の客を呼ぶよう依頼すればさらに稼げるかもしれない。

 たとえこの店から出られなくても、親友への送金は携帯端末から可能だ。

 この場で罪を償える。

 だが、自分の都合で脱出を諦めることは、ウィリアムの信頼を裏切るに等しい。

 会って間もない仲だというのに、ウィリアムはアリスを信じて背中を預けてくれている。だからアリスも背中を預けようと思えた。カリーナ以外にここまで心を許せた人は初めてだった。

 アリスは口をつぐむ。いくら親友のためとはいえ、ウィリアムを裏切ることはできない。一方で、一攫千金のチャンスを手放すことはカリーナを裏切ることだと心の何処かでアリスが叫ぶ。

 タンクトップの男は返事の遅さに苛立ち始めた。

「おい、聞いてんの? 五万ドルじゃ足りない?」

「いや、私は……」

 そのとき、どこからともなく赤髪オールバックの店員――ブラッドが二人のそばに現れた。彼は口元を緩めながら二人の会話に割り込む。しかしその目は笑っていない。

「わきまえるがいい、スノーマン。ここは酒場だ。道路を一本渡れば幾らでも遊び場があるだろ? オプションを頼めば同じシチュエーションを演じてくれると思うがね」

 タンクトップの男は片眉を吊り上げてブラッドを罵ろうとする。その瞬間、男の声が出るより早く、ブラッドは懐から拳銃を引き抜いて男の口に銃口を突っ込んだ。そして不敵に口角を吊り上げる。

「しゃぶり慣れた顔をするじゃないか」

 カチリ、とブラッドは撃鉄を引いた。彼の笑みは消え去り、爽やかで明るい話し声はドスの効いた低い声に変貌する。

「親切心から言おう……これは最初で最後の警告だ。失せろ」

 タンクトップの男は冷水を浴びたように青ざめて拳銃を吐き出し、うろたえながら後ずさった。

「こ、こんな店、二度と来ねぇからな!」

 ブラッドは手ぬぐいで拳銃を拭き取ると、爽やかな笑顔を浮かべて満足気に手を振る。

「ご来店、ありがとうございました〜!」

 それからブラッドは呆気に取られているアリスに歩み寄り、彼女の肩に手を置いた。

「いやはや災難だったねお嬢さん。店内で妙な輩に絡まれたときは店員を頼るといい。うちの店はセキュリティーの良さが売りなんでね」

 ブラッドはそう言うと、アリスの耳元で本題の話をささやきかける。

「ウィリアムから事情を聞いた……安心してくれたまえ。俺は君たちの味方だ。先ほど送ったメッセージは読んでくれたかい?」

「メッセージ……?」

 アリスが浮かべる疑問の数々に、ブラッドはウィンクで答えた。

 彼は颯爽ときびすを返しスタッフルームに消えていく。ブラッドの後に続いて、二体のアンドロイドもスタッフルームに戻っていった。うなだれるウィリアムを抱えながら。

 アリスは咄嗟にウィリアムの後を追いかけようとするが、すぐに冷静さを取り戻して足を止める。

 アリスは二階に続く階段のそばに身を潜めてメッセージを確認した。

 件名には、ウィリアム・コーウェンの名前。

[ウィリアムです。自分の端末は正常にメッセージを送れないため、赤髪の店員の端末から送っています。テンプラと一緒に教えて頂いた連絡先を活用しました]

 ここまでの内容で、アリスはウィリアム当人のメッセージだと確信を得る。

[状況を説明すると、赤髪の店員は味方です。計画を調整し、二人でブレーカーを落としに行きます。アリスさんはパーティールームに戻って常に逃げ出せるよう待機していて下さい。その方が怪しまれないと思いますので。それと、アリスさんの携帯端末も細工を受けている可能性が高いため返信は不要です。どうかお気をつけて]

 アリスはうなずいて携帯端末を握りしめる。

「ウィリアムさん……無事で良かった」

 アリスはウィリアムの指示通り二階に上って、パーティールームに戻ろうとする。

 アリスがパーティールームの引き戸を引いたその瞬間、かすかに開いた戸の隙間から、カゴメ、カゴメと歌が漏れた。

 異様な雰囲気を感じたアリスは、勇気を振り絞って戸の隙間から中を覗く。

 室内を彩る立体映像は真紅に明滅する複雑な網目模様に変わっていた。その網目模様の光はまるで、籠の目のよう。

 魔術のサケで自我を失った人々は血で描かれた魔術陣の上で手を繋ぎ合い、輪になっている。そして室内に響き渡る異言語の歌――カゴメノウタに合わせて陣の上を回転していた。

 魔術陣と自我を失った人々の中心には、膝を抱えてうずくまる女性が一人。

 アリスは恐怖と混乱のあまり入り口から後ずさった。

「なにが起きてるの……?」

 その時、アリスの携帯端末に一通の着信。

 携帯端末はバイブレーション機能で震え、着信音にノイズが混じり始めた。

 やがて着信音はカゴメノウタになる。

 アリスは急いで音を消そうとするものの、音量を下げてもサイレントモードを起動しても、カゴメノウタは止まらない。

 ふと、アリスは視線を感じる。

 明滅するパーティールームの中に、輪になった人々の瞳、瞳、瞳、瞳。全員が戸の隙間からアリスを見ていた。

 うずくまっていた女性も顔を上げてアリスを凝視している。

 アリスは両手で口を塞ぎ、叫び声を抑え込んだ。

「…………っ!」

 ここから離れなければ。アリスはそう直感し階段を駆け下りる。

 途中、アリスは一階から響く悲鳴を聞いた。

「おい、武装をしまえ! 銃を向けるな! くそっ、マニュアル操作で乗っ取られてる! アンドロイドが言う事を聞かない!」

「自動ドアが開かないぞ! あぁあああ!」

「いやだ! 殺さないでくれ!」

「どうして! こんなので死にたくない!」

 ダァン! ダンダァン! ダダダダダダ!

 無慈悲な銃声が響き、アリスは反射的に身をすくめて壁に寄りかかった。

 何が起こっているのかアリスには分からない。ただ、もう逃げ場がないことだけは分かった。彼女はウィリアムと合流したい一心で階段を下りていく。

 アリスが一階に到達するまであと二段、まるで彼女の行く先を遮るように血塗れの店員が階段の下に倒れ込んだ。

 店員の身体はほつれた雑巾のような有様で、脇腹から腸がはみ出している。

 それでも店員はまだ生きていた。

 店員とアリスの目が合う。

 店員はアリスに助けを求めて手を伸ばし、握っていた拳銃を手放した。

 階段の上に拳銃が転がる。同時に、アンドロイドの影が店員の身体を飲み込むように近づいてきた。

 迫りくる死の光景を前にして、アリスの瞳に二年前の事件がフラッシュバックする。

 階段の上に落ちた拳銃が、かつてストリート・ギャングを撃ち殺したときに使ったものと重なった。

 迫りくる死の影が、かつて撃ち殺した男の影に形を変えた。

 二年前、アリスは競技のために鍛えた身体で狙いを定め、敵チームの的を撃ち抜くようにストリート・ギャングの頭を撃ち抜いた。

 しかし、競技で使う弾と実弾では勝手が違う。

 ギャングとの銃撃戦の最中、カリーナを守るためにアリスが放った銃弾は、跳弾してカリーナの脊髄をえぐった。

 カリーナを歩けない身体にしたのは、アリスだ。

 二年前と今の状況は違う。相手は人間ではなくアンドロイドで、不意をついて至近距離から狙える位置。銃を使えば助けることができるかもしれない。アリスはそう分かっているのに、銃を拾おうとしたのに、手が震えて掴めなかった。

 やがてアンドロイドは息も絶え絶えの店員を踏みつけて飛び出した腸を引きずり出す。

 汚物と血が辺りに飛び散り、アリスの頬に血飛沫がかかった。

 腸を引きずり出された店員は、アリスを見つめたまま死ぬ。

 アリスはこみ上げる吐き気をこらえて口を塞ぎ、その場にへたり込んだ。

 アリスに気づいたアンドロイドは返り血に染まった顔で彼女を見下ろすと、別の標的を狙ってきびすを返した。

 さらに銃声が激しさを増して、店内に悲鳴が反響する。

 アリスは過呼吸になりながらも腰を持ち上げて、階段を一段ずつ引き返した。自分を見つめたままの死体から少しでも離れたかった。

 三段ほど上った直後、アリスは背後に気配を感じる。

 彼女は反射的に振り向こうとするが、背後から顎を掴まれて振り向けない。アリスの顎を掴むその手は指が細長く、爪の先まで丁寧に手入れしてある。

 アリスの顎を掴んだ者は、彼女の耳に唇を添えて艶めかしい吐息をかけた。

「安心して。殺さないから……あの店員は供物。貴女は大事な素体なの」

「だ……だれ?」

「ふふ……カゴメの魔女、かな」

 カゴメの魔女はアリスの頬についた血を中指ですくい取り、その指を咥えて血を舐め取る。

 満足気に血を舐め取ったカゴメの魔女は、よだれの糸を引くその手でアリスの腹を弄った。まるで妊婦の腹を擦って胎児の反応をうかがうように。

「貴女がパーティーに来てくれて本当に良かった……母胎の中枢にはね、辛抱強い処女が望ましいの」

「意味わかんない……どうしてこんなことするの……?」

「何も考えないで。考えなくていいの。あと少しで儀式が終わったら、何も考えられなくなるから。貴女はね、皆と一つになって……新しい人類のお母さんになるんだよ」

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