第10話:明日のために
幾分かの月日が流れ、風の勢いもだいぶ弱くなってきました。外に出て買い出しを行ったり、家の修繕を行う魔人もちらほらと現れ始めます。危険性が低くなった事を考慮して、肉質検査は、そう遠くない日に決まりました。色欲の肉になるか、食欲の肉になるか。運命の時が近づきます。
「いよいよ明日だね」
「ええ、明日です」
その前夜。青年と少女は最後の準備を整えていました。少女はだいぶ健康的な体となり、肌や髪も滑らかでハリや艶がありました。
「緊張するかい」
「はい、どうしても……でも、ご主人様がこんなにも綺麗にしてくださったので、今は自信の方が強いかもしれません」
寝袋の近くに座り込んでいる少女は、すっかり慣れ親しんだ様子でタブレットを抱えます。
「そうかい。それはとても頼もしいな」
「えへ……全てご主人様のおかげです。本当に有難うございます」
ぺこりと深く頭を下げる少女。ささやかな動作にも品が滲み、努力の成果は明らかでした。青年はその様子を見て、ベッドサイドから小さく笑みを返します。
「俺は大したことをしていない。全ては君が頑張ったからだよ。色々と大変だったのに、泣き言も零さずよく耐えたね」
「ご主人様が優しく教えてくださったからですよ。大変ではありましたが、辛さや苦しさは少しもありませんでした」
少女は長く伸びた睫毛の下で、タブレットの画面に視線を落とします。表示されていたのは、やはりあの物語。彼女は飽きることなく、ずっと好み続けていたようです。
「お城に行くシンデレラの気分かな」
青年はベッドへ横になりながら、その様子を見つめます。
「ふふ、そんなこと……でも、烏滸がましいとは思いつつも、謙遜ばかりではご主人様に申し訳ないですね」
少女はてれてれと頬に手を当てて笑います。自信は彼女の表情にも現れていて、小さく震えてばかりいた頃とはまるで別人のようでした。
「君は本当に綺麗になった。外見は随分と変わったと言っていい。でも君の内面は出会った時からずっと変わらず綺麗だね」
「え、え……⁉︎ そ、そんなことはありません‼︎」
内面を褒められて、少女は大きく首を横に振りました。
「お世辞とかじゃないよ。君は素直で純粋で、とてもいい子なのだから。見てくれを気にする上流階級は初めこそ外見に惹かれるだろう。でも君の内面を知ることが出来たなら、きっと可愛がってくれるに違いない」
「そんな……この身の内面が綺麗だなんて……」
少女はどこか、後ろめたそうに視線を寝袋へと落とします。
「内面の話をするのであれば、ご主人様だって素敵です。シンデレラ様のお話で例えるなら、ご主人様は魔法使い様だと言えるでしょう」
ふと呟かれた言葉に、今度は青年が目を丸くしました。
「魔法使い? ああ、君を着飾る手伝いをしていたのだから、そう捉えられてもおかしくないか」
「ええ。でもご主人様が変えてくださったのは外見だけではありません。この身の価値……役割や生きる意味を大きく変えてくださいました」
少女はそう話ながら、檻の中にいた頃を思い出します。見切り品コーナーの隅。生ゴミになって捨てられるだけの運命。なんの役にも立たず、ただそこにいただけという結末を、青年は確かに変えました。
「この身は生きている意味がわかりませんでした。何の為にここにいるのか、どうしてこの先も生きていかねばならないのか……何もわからず、とても苦しかったのを覚えています。生ゴミになって捨てられて、誰の何にもならない命……そんなこの身に肉という役割を与えてくださったご主人様は、シンデレラ様を変えた魔法使い様と同じです」
「……言い方は綺麗だけどね。俺はただ、自分のエゴの為に君を購入しただけだよ。自分の気持ちの整理をつける為。気持ちよくこの都を出発する為……その為だけに、俺は君を買ったんだ。俺は自分勝手なエゴイストだよ」
「……エゴだとしても、この身を救ってくださったことには変わりありません。シンデレラ様も魔法使い様がいなければ、ずっと灰を被ったお姿だったでしょう。魔法使い様がどのようなことをきっかけにそうされたのかはわかりませんが、間違いなく幸せなエンディングには魔法使い様の存在は不可欠だったと思うのです」
だから、と少女は頭を下げます。
「理由もきっかけも全て含めて、この身は感謝致します。改めて、ここまでこの身を育ててくださり、ありがとうございました」
綺麗な姿勢での御辞儀。その笑顔を見ると、青年は心が締め付けられるようです。
「……君は本当に綺麗だよ。色欲の肉にならないなんて嘘だ」
「そんなことはありません。この身だって、エゴなところは沢山あります。己の価値をご主人様に委ねきっていたでしょう。今も肉質検査という結果に自分の価値を委ねています」
「生物は皆そういうものだよ。社会に生きる魔人なら尚更おかしい事じゃない」
青年は小さく息をつきました。
「……色欲の肉、なりたいです。どんな扱いでも構いません。ご主人様が振り返る事なく旅立てるようにしたいです」
「ありがとう……俺も君にはそうなって欲しいと思う。上流階級の誰かが君を気に入ってくれて、魔人の一人として見てくれたらと願っているよ」
「はい……ありがとうございます」
少女は綺麗に笑います。しかしどこか綺麗すぎるその微笑みに、青年は引っ掛かりを感じました。
訪れる静寂。ひゅう、と風の音が響きます。魔法のような日々は、物語を綴る為に終わりを迎えねばなりません。
「そろそろ休もうか。隈でも出来たら大変だ」
「そうですね。照明、落とします」
暗闇の中、各々がシーツや寝袋をかけていきます。最後の夜。それは随分重い何かを含んだまま、彼らを包み込みました。
「おやすみなさいませ、ご主人様」
「おやすみ。明日は頑張ろうね」
就寝の挨拶を交わしたものの、二人は暫くの間寝付く事ができません。しかしだからと言ってどちらも話しかけることもなく、時間だけがゆっくり過ぎていきました。
かちりかちりと、時計の音が聞こえます。青年も少女もそれぞれ思うことがありましたが、いつの間にか深い眠りの中へと誘われていきました。
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