素質のなかったおにくの話(長編版)
瀬野荘也
1:肉の都
第1話:色と食とが交わる都
「こんな都など、滅びてしまえばいいのにな」
一人の魔人がため息混じりに呟きます。
「弱肉強食が掟だとはわかっている。とはいえ、あまりにもこの都は多くのものを貪りすぎた」
ポツポツと紡いだその言葉に、もう一人の魔人も頷きました。
「しかし一個人にできることなど限られている。暴動でも起こしてみるか? 二人ぽっちの力など、すぐに抑えられてしまうぞ」
「想像に易いな。文化や文明という巨大な敵に中途半端な力など通用する筈がない」
二人の魔人は顔を合わせます。強い力も特別な魔法を使うことなどできません。彼らはただの一般魔人に過ぎないからです。
「……どうにも噛みごたえのある肉だな」
「ああ、長い食事になりそうだ」
魔人達の黄昏は続きます。長い影が伸びていき、それらは都の外壁に溶け込んでいきました。
魔界の片隅で、魔人の青年がとある都を訪れました。地図に記された土地の名は肉の都。魔界の各地を旅する青年にとって、名前すら初めて知る土地です。
「事前情報が無いのは怖いが、そう悠長な事は言ってられないな……」
青年の独り言を掻き消すように、強い風が吹き抜けます。もう直、嵐の季節が訪れます。二ヶ月程の長い暴風をやり過ごす為、青年はどうしても宿を確保しなくてはなりません。
武器となる刀を携え、古い荷車を引きながら、青年は都の中を眺めます。肉の都と言われるくらいですから、マイナーな生き物の肉や加工品が扱われているのでしょう。彼はそう思っていましたが、大通りをざっと見たところ、そうした物はありません。
─ショウウィンドウに映る精肉や加工食品も、魔界でよく食されるものばかりだな。肉の都というのはただの名残だろうか─
青年はそう考えましたが、答えてくれる者は誰もいません。旅を共にする者もいないので、異なる意見を聞くこともできません。
風が強まってくるのを感じながら、青年はようやく宿屋の看板を見つけます。しかしそこに下げられていた札には、魔界での共通通貨とは異なる単位が大きく記されていました。
「失礼。あの単位はこの都独特の通貨かい」
宿屋の入り口を潜った彼はカウンターへと尋ねます。奥には宿屋の主人が新聞を読んでおり、視線を上げながら、あぁと微笑んで答えました。
「その通りだよ、旅人さん。この都では基本的に共通通貨は使えないんだ」
「成程。では両替が出来る場所を教えてくれないかい」
共通通貨が浸透しつつあるとはいえ、ここは広大な魔界です。青年が旅をする中、このように両替が必要となるケースはそう珍しいことではありませんでした。
しかし宿屋の主人はどこか引っ掛かりのある笑みを返し続けます。
「この先にある役所だよ、と言いたいが……生憎、共通通貨と都市通貨の両替はできなくてね。とあるものと都市通貨との換金なら出来るんだが、説明が必要かい?」
「……まさかとは思うが、嫌な予感がするな」
ふと過る、都の名前。訝しそうな顔をした青年に、察しが良いと宿屋の主人は新聞を畳みます。
「ああそう、肉さ。この都では、魔人の肉が上流階級の嗜好品となっていてね。食の意味でも色の意味でも、魔人の体が金になるのさ」
「魔獣の肉ではなく……魔人の肉を?」
青年は思わず聞き返します。
「そうさね、旅人さん。この都では魔人同士の売買は歴とした文化なのさ。都政府も推奨していて、その制度も敷かれているくらいだよ」
「随分と血腥い都だな。あまり理解ができないよ」
怪訝そうな顔をする青年に、宿屋の店主は笑います。
「なに、ここは捻じ曲がり切っている魔界じゃないか。その土地その町の文化や文明を理解できないことなんて、今に始まったわけじゃないだろう?」
あっけらかんとしている宿屋の主人に対し、青年は言葉を詰まらせます。確かに彼が言う通り、これまでにもこうした事は多々ありました。
「長い物には巻かれるべきさ。とはいえ死体を直接見るわけじゃあないのだから安心しなよ。生きてないと肉としての価値は下がるからね」
「反応と鮮度が大事だから? 尚更悪趣味な話だ」
青年は率直にそう言いますが、ならば結構とこの土地を去ることはできません。それを念押しするように、ドアの外では風の音がごうと強く響きます。
「共通通貨でなくとも、他に価値のあるものとの交換は出来ないのかい。例えば宝石や魔導書や……ここではなかなか手に入らない物なんかもあるのだが」
「役所が換金してくれるのは肉だけさ。勿論、この宿もそうした取引は断るよ。裏道は塞ぐように厳しく言われているからね」
そう断られたら、青年にはもう為す術がありません。
「他の宿屋もそうなのかい」
「ああ。肉の価値を保つ為、都政府は随分と躍起になっている」
「でも肉となる魔人なんてどう調達すればいいんだい。価値を守るくらい制度を敷いているのなら、路地裏で孤児を攫えば解決する話じゃないのだろう?」
「はは、その通り。下手に市民へ手を出すと、それこそ旅人さんがしょっぴかれて肉になってしまうだろう」
宿屋の主人は両手を擦って視線を上げます。
「餅は餅屋。肉は肉屋で買うべきさ。魔人専門の販売店をここでも肉屋と称しているのだが、そこを一度挟むことで実質上役所での換金ができるわけだ」
「肉屋で肉を買ってから、それを役所で換金しろと? 随分裏がありそうだな」
青年は警戒を示しますが、宿屋の主人が笑みを崩すことはありません。
「肉屋も都政府が関わっているのさ。肉の価値を保つ為と言えばわかるだろう?」
「面倒な経済処置だ。成り立っているのが不思議だよ」
思わず悪態をついてしまいますが、彼がそう言った所でこの都の文化は勿論、宿屋の主人の考えが変わるはずもありません。
「弱ったな……他に方法は無いのかい。話によっては、それなりの物を渡すんだが」
「それがこの都の形でね。長生きしたいわけじゃあないんだが、賄賂は受け取らない事にしてるのさ」
「ああ、そう。立派な模範市民だな」
青年が唇を尖らせていると、宿屋の主人はさぁどうだかと手を広げます。
「さて、どうする旅人さん。嵐の間、門は閉ざされてしまうよ。この都の門や城壁は随分と強固でね。あの悪名高き災害の魔人が来た際にもここを守りきった程さ」
「災害の魔人……この辺にも来たのかい」
その単語に覚えがあるようで、青年は思わず尋ねます。
「ああ。別の村にでも向かったのか、通り過ぎただけで、直接見ることも無かったがね。まぁとにかく、その辺の魔人がどう足掻こうが、抜け出すことも忍び込むこともできないって話さ。見たところ旅人さんは特別強いわけでもなさそうだし、普通の魔人と言ったところだろう?」
宿屋の主人は、青年の体つきや刀などを見てそう判断します。
「ああ、その通りだよ。特殊な魔法も使えなければ、勲章を貰える程の功績もない。力だけで言えば、どこに立っている魔人の一人さ」
「だろう? なら、門が閉まる前に判断した方がいいんじゃあないかな」
宿屋の主人は青年を見つめます。青年は暫く黙っていましたが、時計の針がそう悠長なことを言っていられないと告げました。
「……話だけ聞いてみる」
「そうこなくちゃ」
明らかに不服そうな様子を隠せない青年ですが、宿屋の主人は楽しそうに外出の支度を始めます。
「いい決断だよ、旅人さん。何かしらの判断をしなくては己に死が待つだけだからね。この都の掟は弱肉強食。旅人さんは強い者で有らないと」
何か含みを持った彼は、さぁさぁと青年を連れて、宿屋の外へと向かいました。
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