あの雨の日に虹をかけよう

風宮 翠霞

第1話 雨宮碧 ①

「なぁ、今更何の用だよ……紗理奈さりな。俺が土曜の午前中はいない事、教えてないはずの住所を知ってるお前なら、とっくに知ってんだろ?」


 俺は、マンションの植え込みを仕切るレンガにしゃがみ込んでいる人影に向かって、今まで出したこともないような冷たい声をかけた。

 本当は、声をかけたくなんてないが。


 エントランスすぐの場所に、いつまでもしゃがみ込まれていたら他の住民にまで迷惑になってしまうから……本当に渋々、学生時代の彼女の名前を呼んだ。


 最悪だ。

 今日は雨だから、良い日だと思っていたのに。


みどり……」


 俺に気付いてバッと顔を上げた、学生時代から変わらないの細い赤い傘を差した女性……秋雨あきさめ紗理奈に向かって、俺は普通にしていてもキツめと言われる目を更に鋭くしながら言葉を重ねた。


「俺、これから予定あるんだよ。そもそも、俺はここの住所をお前に教えてないよな? 誰から聞いたんだ? まぁ、俺の予定を把握してない人間って事で既に随分候補は絞られるけど……それはそれとして、七年も経ってから何しに来た?」


「そ、それは……」


 俺……雨宮あまみや碧が今の人生を歩む原因の一つと言っても過言ではないほどに、自分の人生に大きな影響を与えた人物が。

 俺の心臓を抉り出すようにして、決して消える事のない傷を残した人物が。


 自分がした事など全て忘れ去ったように、のこのこ顔を出しやがって。

 そのくせ、今も下を向いてさも被害者かのような顔をしてる。


 本当に、嫌になる。

 不快で堪らない。


「話せないのか? ならさっさと帰れ。俺は、あんな事をしたお前に対してわざわざ時間を割いてやる気など、毛頭ない」


「ま、待って!!」


 いつまで経ってもモゴモゴモゴモゴと口の中で空気を転がしていた紗理奈は、俺が背を向けてエントランスへ向かったその時……初めてちゃんと声を上げた。


 けれども、また口の中でモゴモゴと空気を転がし始める。

 人の時間をなんだと思っているのだろうか。


 雨が奏でるぽとっ、ぽとっというリズミカルな音が……しばらくの時間、俺と紗理奈の間に流れた沈黙を誤魔化した。


 あぁ……不思議だ。

 好きなはずな雨の音も。

 幸福な日になるはずの雨の日も。

 何故、こんなにも色褪せて感じられるのだろう。


「ハァ…………ここから十分くらい駅の方へと続く一本道を歩いたところに、カフェがあるだろ? そこで待っとけ。着替えて行くから……それまでに話すのか話さないのかハッキリ決めとけよ」


 変なところで頑固なコイツは、きっと今帰れと言ってもここで待ち続けるんだろう。それが分かったから、俺は今すぐ帰れと怒鳴りたい感情を抑えてそう告げた。


「う、うんっ……!! ありがとう!!」


 紗理奈は、そう俺にお礼を言って笑ってから歩き出した。

 その背中を見て、彼女に俺の気持ちは少しも伝わってなかったのだろうなと思う。


 あの日、俺がどれだけ傷ついたのか……彼女は想像出来ていないのだろう。


 これからまたカフェで会わないといけないというのに、既に疲れ切った気分になってしまった……。


 俺は、名前と同じような色が気に入って買った傘を閉じ、電線から滴り落ちる雨粒を受けてぴちゃりと音をさせる水溜りから雨への防御力がとてつもなく低い革靴を庇うようにしてノロノロとした動きでエントランスに入った。

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