第1話 銀の梟と赤の王笏 1
ファルケ王国西部へと向かう魔道列車には、黒ずくめの男性が乗車していた。
彼の名はジュノー。
高級感のある黒い上下のスーツに白シャツ。ネクタイは無し。
近年では正装として選ばれるスーツスタイルであるが、ノーネクタイな上に首元のボタンは留めておらず。
彼の姿を見た第三者は「正装?」と首を傾げてしまうであろうラフなスタイルだ。
しかしながら、彼の容姿からは高貴な雰囲気も感じられる。
ボックス席で足を組んでいる姿からは高身長であることが一目で分かるし、何より顔がいい。
キリッとして整った顔は世の女性達を二度見させること間違いなし。
しっかりとセットされた黒髪は、貴族の血筋にしか生まれない色と有名である。
広大な小麦畑を映す車窓に反射した金色の瞳も、独特な雰囲気を生み出す特徴の一つと言えるだろう。
「長閑だ……」
彼は長い列車移動に飽き飽きしているのか、ため息と一緒に独り言を漏らす。
改めて。
彼の向かう先はファルケ王国西部にあるアドマン伯爵領の領主街駅。
既に列車は伯爵領地に入っているが、先ほどからずっと小麦畑しか車窓に映らない。
刺激の無い景色が続くのには理由があって、アドマン伯爵領はファルケ王国の食料自給率を支える国内最大の農業領地だからだ。
近年では魔道技術の発展により魔道列車や魔道飛行船など、様々な
特に魔道技術において最先端を走るファルケ王国王都を見たあとだと、この景色は異常とすら思えるだろう。
大陸をあっと言わせた革命的な技術に慣れる最近の若者からすれば実に退屈であり、旅行先としてもほぼ選ばれない領地。しかし、ファルケ王国からすれば重要な領地の一つ――というのがアドマン伯爵領の評価である。
「長閑で平和な領地で凄惨な事件とはね。物騒な時代はまだまだ続く、か」
彼が列車に乗っている理由は、平和で長閑な田舎領地には似合わない特殊な事件が起きたからだ。
またしても独り言を漏らした時、背後から扉が開く音が聞こえてきた。
「失礼、切符を拝見します」
そう告げながらボックス席を覗き込んだのは列車の車掌だった。
車掌はジュノーの姿を見ると、一瞬だけ迷うような表情を見せる。
彼が貴族か否か、判断できなかったのだろう。
「ああ、はい。どうぞ」
しかし、にこやかな彼の態度を見てホッとするような表情に変わる。
「少し聞きたいのですが、クレイトンの街までは遠いですか?」
ジュノーは最終的な目的地を車掌に問うた。
「そうですね。駅もありませんし、次の停車駅である領主街から……。歩いて二時間でしょうか?」
問われた車掌は帽子のつばに手を添えつつ「運が良ければ小麦運搬用の馬車に乗れるかも」と付け加えた。
「乗り合い馬車は?」
「残念ながらありませんね。なんせ、向かう先は畑しかない小さな街ですから……。観光客向けの領地とは言い難いですしね」
たまに訪れる観光客といえば、アドマン伯爵領の自然豊かで長閑な雰囲気の中でハイキングを楽しむ人達がほとんど。
そういった観光客は馬車など使わない。
故に領主街と街を往復する乗り合い馬車の需要がない、と判断されているようだ。
「そうでしたか。では、私もハイキングを楽しむとしましょう」
「それはそれで楽しめると思いますよ。途中に綺麗な川がありますから、そこで食事でもどうでしょう?」
領主街には有名なパン料理があり、それをテイクアウトするのがオススメと車掌の彼は笑顔で告げる。
「それは楽しみだ」
ジュノーもまたにこやかに返すと、車掌は「では」と口にして去っていく。
車掌を見送ったジュノーは窓の外に視線を戻し、大きなため息を吐いた。
◇ ◇
大きなため息から二時間後、列車はようやくアドマン伯爵領領主街に到着。
駅を出てメインストリートに出ると、最初に感じる印象は『物流拠点』といった感じだろうか。
領内で大量生産される小麦が集まる場所でもあることから、メインストリートには小麦や他の農作物を積載した馬車が何台も続く。
街の奥には巨大な倉庫街があり、その隣には小麦を加工する工場が多数建設されているのも街の特徴と言えよう。
地味な街並み、流行的で目立ちやすい魔道工業製品は無し。されど、王国が期待する食料生産には一切妥協しないし、投資も躊躇わない。
この街からは領主であるアドマン伯爵の堅実な気質が感じ取れる。
「さて、歩くか……」
メインストリートを見回した後、彼は黒いアタッシュケースを片手に歩き出す。
途中で見つけた屋台で肉と野菜が挟まったパンを購入。
片手にはアタッシュケース、もう一方には茶紙に包まったパン。口には紙タバコを咥えて。
田舎街の中では異様な姿で西を目指していく。
歩くこと一時間、ようやく半分まで進んだといったところで車掌の言っていた川を見つける。
「はぁ……。これだから田舎は嫌いなんだ」
川の傍に腰を下ろし、すっかり冷めきったパンを頬張った。
川の水で喉を潤しながらも、ささやかな休憩を楽しんでいると――ジュノーが歩いてきた方向から一台の車――魔道車がやってくる。
田舎街故にまだ馬車が現役らしい中、まさかの最新技術が登場。
田舎の長閑な雰囲気を突き破るように魔道エンジンを鳴らし、排気口からはモクモクと薄い緑色の煙を吐き出すそれに、さすがのジュノーも目を奪われてしまう。
彼の視線は魔道車の後部座席部分に向かい――そこには『ファルケ王国騎士団』を示す紋章がペイントされていた。
「……事件を追っているのかな」
そう呟く彼の顔には「うらやましい」と言わんばかりの表情がある。
「さて、もうひと踏ん張り」
魔道車を見送ったジュノーは再び歩き始め、足がくたくたになる頃には目的地であるクレイトンの街へ辿り着いた。
クレイトンの街を一言で表すならば、典型的な田舎街だろう。
住居や商業施設よりも畑の方が多く、建ち並ぶ建物の質も古めかしい。
街の中を走る道も舗装されておらず、ひとつ時代が遅れているような、どこか懐かしさも感じる街並みだ。
「ああ、もう、やっとだ」
しかし、ここまで歩き続けてきたジュノーはノスタルジーを感じる暇もない。
顔中汗まみれな彼が真っ先に向かったのは街の酒場だった。
酒場に到着すると、彼が真っ先に言い放ったのは「水!」だった。
「んぐんぐんぐ……ぷふぁぁ」
汗だくになった顔をそのままに、乾いた喉を急ぎ癒す。
次はウイスキーを注文しながらも、ジャケットの内ポケットから新しいタバコを取り出し火を点けた。
「ご主人、一つ聞きたいんだが」
「ん? 何だい?」
酒場の店主がウイスキーの入ったグラスをカウンターに置くと、ジュノーは煙を吐き出しながら問う。
「この街で殺人事件が起きただろう? 犯人は
「……あんた、事件を調べに来たのか? 騎士団の人?」
ジュノーがこの街で起きた事件の特殊性を口にすると、店主の眉間に皺が寄る。
「いいや、私は魔術師だ」
「そうか」
「歓迎し難いかい?」
「いや、むしろ何でもいい。さっさと事件を解決して欲しいってのが住民の本音だ」
店主が言うように、この特殊で異様な事件は
それも犯人が死人――事件発生から三日前に死亡した男性が起こしたという不可解な理由からだ。
「死人が墓から起き上がり、生きた人を襲う。これほどおかしな事件はないね」
「……外に住んでるやつらからすればそうだろうな」
店主の眉間に寄る皺が更に深くなったところで、ジュノーは「失礼」と謝罪した。
先ほど店主が口にした通り、街に住む住民からすれば恐怖以外の感情は沸かない。不気味で怖い事件をさっさと解決してくれ、と願うのは当然だろう。
「一部の住民は魔物の仕業なんじゃないかって噂してるよ」
「魔王が残した負の遺産が、この街に潜んでいると?」
「ああ」
――過去、この世界は魔王の脅威に晒されていた。
人類は魔王と魔王が創り出した『魔物』によって圧倒され、このままでは人類が滅亡してしまうと誰もが恐怖した。
しかし、そんな状況を打破したのは異世界から召喚された五人の英雄達。
彼らは人類軍と力を合わせ、魔王を討伐したのだ。
これを『魔王戦争』と人々は呼んでいるが、魔王討伐が成されたのは今から二百年前になる。
二百年の間、魔王が残した魔物は粛々と討伐されてきているが、未だに隠れ生きる魔物は多いとされている。
今回、この街で起きた異様な事件も、人類とはまた違った
「しかし、魔術師さんに解決できるのかい? 騎士団の人達も大勢やって来たが、誰も解決できないようだし」
「私をそこらへんの魔術師と一緒にしてもらっては困るよ」
ジュノーはタバコを吸い終えると、摘まんでいたタバコを塵に変えた。
最後にウイスキーを一気飲みすると、アタッシュケースを持ち上げる。
「私は銀の梟に所属する魔術師だ」
銀の梟。
ファルケ王国の隣国、サイノス王国で創設された民間魔術組織。
大陸内で魔術用品を販売する傍ら、悪意ある魔術師による犯罪行為の取り締まりや禁忌指定された物品の回収も行う。
正しい魔術の在り方、正しい魔術の使い方を世に示すため、魔術を生んだ魔法使い――異世界から呼ばれた英雄の一人である『大魔法使いガリス・ローマン』の残した理念に沿って活動する組織。
大魔法使いガリス・ローマンが残した四人の娘達。四人の魔女が創設した魔術組織。
それが『魔術組織:銀の梟』である。
「銀の梟?」
しかしながら、田舎で小さな酒場を営む店主にはピンとこなかった様子。
そんな店主にジュノーは苦笑いを浮かべながら、最後の質問を口にした。
「被疑者が埋葬されていた墓はどこに?」
「街の西側だ。店を出て、真っ直ぐ西へ向かえば着く。……そういや、さっき騎士団の車が墓の方へ向かって行ってたな」
ジュノーは「ああ」と頷く。
恐らく、途中で彼を追い越した車だろう。
どうやら現場には騎士団がいるようだが、ジュノーの表情からは特に心配していなさそう。
彼は店主に金を払って店を出ると、教えてもらった道を進んで墓地へ向かった。
墓地に到着すると、そこに騎士団の車はない。
代わりにあったのは――
「女性?」
掘り返された墓の前にいたのは、黒を基調としながらも赤のアクセントが目立つドレスを身に纏う金髪の女性だった。
しかも、その手には鞘に収まった剣が握られている。
ドレス姿の女性が携帯するには、あまりにも不可解な物だ。
彼女の後ろ姿を見つめるジュノーは不思議そうに首を傾げるが、躊躇わずに現場へと足を進める。
彼はわざと足音を鳴らしながら近付いていくと、気付いた女性がジュノーに振り返った。
「どうも、お嬢様。墓参りには些か派手なドレスですね」
ジュノーはやや口角を上げ、軽い口調で
「貴方は……」
一方、振り返った女性は派手なドレスに負けないほど美しかった。
長いまつ毛に深い海を表すような青色の瞳。凛とした顔と軽くウェーブのかかった長い金髪。
どこからどう見ても貴族令嬢だ。
それも、上位貴族。
伯爵以上の爵位を持つ上位貴族が放つ、独特な雰囲気を纏っている。
しかしながら、更に驚きなのは彼女の左目が眼帯で覆われていること。
やや大きめな、黒と茶の混じった革の眼帯を身に着けているのだ。
上位貴族らしい雰囲気、派手なドレス、顔の眼帯、終いには剣の携帯。
彼女の要素を改めて並べると、異様すぎて正体が全く想像つかないだろう。
しかし、ジュノーはこれらの情報から一つの答え、祖国サイノス王国でも名が通った有名人に辿り着く。
「もしかして……。貴女は殲滅
どんな魔物でも確実に仕留める、ファルケ王国最強の一角。隣国にも名を轟かせる最強の剣士。
ファルケ王国国王直属の組織である『赤の王笏』に所属する殲滅令嬢、エルザ・シュナイザーその人だ。
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