1-2 佐藤さくらと申します
軽快な音楽とともに店内に入ってくるのは老若男女、個性は無限大で『普通の人』から『変わった人』まで様々だ。そして私がかける言葉は決まってこうだ。
「いらっしゃいませ」
また来た。釣り人用ジャケットに身を包み、白髪の頭と下心丸出しのにやけ顔の男性。私は流れるように、何も言わず煙草をレジに置く。
「これなぁに?」
カウンターに積まれた流行りのトレーディングカードを指差して、彼は気持ち悪い笑みを浮かべた。私は視線だけをカードから彼の方へ滑らせると、慣れた手つきで商品を読み取る。
「流行りのカードですよ。年齢承認ボタンを押してください」
彼の人差し指がまるで子どものように私へと向く。うんざりしているわけでもなく、ただいつものように「ここですよ」と。相手をするだけ無駄なのだ。彼はつまらなそうに店内を見回し、やがて何も買わずに帰っていく。
また別の客が入ってくる。「いらっしゃいませ」。ガソリンスタンドの制服に身を包んだ男性は小太りの若者で、数カ月前に煙草とコーヒーを買った人だ。そこまでは普通だったのに一度店外に出たのに戻ってきて『ポイント貯まっていますか?』とわざわざポイント残高を確認しにきたのが印象強かった。
別の女性客はかつて店長にクレームをつけていた。「クーポンが出たのに、どうしてここにはないの? わざわざ他の店に行けとでも?」と騒いでいた。そんなクレームはどうでもよくて、クレームを言っていたのに知り合いの男性が来店した途端にぶりぶりに話し始めたあのギャップに大いに引いたことを記憶している。
私は特別記憶力が良いというわけではない。人の名前を覚えることも、顔を覚えることも苦手なほう。けれど違和感を感じた行動・言動が深く脳に刻み込まれるタイプなんだと思う。
毎日、お昼の十二時から八時まで働き、軽自動車で十分ほど走って自宅に帰る。夜ごはんは廃棄前の揚げ物にコンビニブランドのレモンサワー。平凡な日々。SNSには同じ年で華やかに輝いている人も多いというのに、私はきっと「モブF」。「普通の人生」から一歩も外れていない自分がいるだけだ。まぁ、三十二歳で未婚なのは普通から少し外れてきている気もするけれど・・・及第点の私には、平均的な男性とロマンチックな出会いなんてものもなく、きっと。
仕事を終えて、冷えた空気が肌に触れる帰り道。今夜は星がよく見える。コンビニの袋を片手に、アパートに向かう階段を上る。何気なく手に取った郵便受けのチラシが、ざらりと手の中でこぼれ落ちた。
部屋は真っ暗でひっそりしている。二十代前半の頃、この暗い空間を「寂しい」と感じたこともあったが、今はむしろ落ち着く場所だ。床にそのまま置いた買い物袋を横目に、一日の疲れを重いソファに預ける。
誰が来るわけでもない部屋はベッドとテレビと一人掛けのゆったりした座椅子ソファ、小さめのテーブルの上にはお酒と揚げ物。今日も今日とてお風呂に入る気はないし、お酒を飲みつつ見たいドラマを眺め羨むだけの最高の夜だ。
ふと、キッチンの端に置いたチラシが視界に入る。普段なら無視するような広告の束に手を伸ばす気になったのは、少しお酒が回ってきたからかもしれない。一枚目は高層マンションのチラシ。こんな素敵なマンションで暮らすのは、私じゃない誰かの話だろうと苦笑しながらゴミ箱へ放り投げる。。二枚目はエステサロンのチラシで、美意識も右肩下がりの私にはエステよりも酒なのでもちろんゴミ箱へ。
次にあった封筒は半透明な素材でできており、中の用紙が少しだけ透けて見える。中身は薄っすらと見えるが、書いてある文字までは読み取れない。正直、ものすごく怪しい。このような凝った封筒であれば、私の頭の引き出しに当てはまるものは『結婚式の招待状』くらいだ。しかし仲の良かった友人はほとんどがすでに結婚し子どもが生まれ、なんなら会話についていけずに少し疎遠になっているほどだ。
宛名はなく、もしかすると間違えて私のもとに届いたものかもしれない。
少し悪い気はするが勝手に開けるのも忍びないので、少しふらつく足取りでベランダへ通じる窓を開けた。ひゅうっと入って来た風が思ったよりも冷たくて冷静さをつつかれる。見上げた夜空には綺麗な満月と星が散りばめられていて、自分という存在のちっぽけさに虚しさが湧き上がる。
右手に持っていた封筒を月と瞳の間に差し込むと、キラキラとチープなラメとは違う輝きに胸がキュッと鳴った。
「・・・綺麗」
封筒の表面には小さな光る模様が散りばめられていて、光が当たると虹色に輝いている。その輝きの奥に見えた文字は『求人』。いつもの私だったら普通じゃない封筒を開けたりなんてしないだろう。でも虚しさと寂しさの切れ目から好奇心が手を伸ばしている気がして。
魔法のようにきらめくこの封筒が、モブの私へのガラスの靴だとしたら。
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