拝啓、秘密の後継者様。普通の私が、普通の中の普通をお教え致します。
@kimino3
1-1 闇夜に潜む美しい猫は好奇心旺盛で
町外れに佇むその家は、まるで要塞のように高いコンクリートの壁で囲まれ、周囲の竹林と対照的な冷たさを放っていた。その高さは三メートルを超え、門もないその構造は、外界からの視線を拒絶しているようだった。
その壁を指でなぞり歩くと、冷たく硬い感触が肌にしみる。ほんのりとした期待と不安が胸の中で交差し、心拍数が少しずつ早まっていく。私は小さく深呼吸をして、申し訳程度に開いている片開きドアに視線を向けた。
ここが私の人生を変える『何か』になるかもしれない。
ドアはためらうことなく、ゆっくりと開いた。その先に広がる庭は、まるで時間から取り残された静寂の中にあった。太陽の光に揺れる竹の葉が、やわらかな光のカーテンをつくり、庭の至る所に浮かび上がる緑が私を静かに包み込む。そこは、外の世界とは切り離された異空間のようで、私は足を踏み入れるたび、非日常の中に深く誘い込まれていく。
ふと視線を上げると、ウッドデッキに置かれた籐のソファに、黒髪の男が腰掛けているのが見えた。彼はゆっくりと顔を上げ、柔らかな光を受けて、ほのかに目を細める。黒髪は月夜の影のように艶めき、切れ長の目がこちらを鋭く見据え、そして、うっすらと微笑むその表情は、得体の知れない魅力に満ちていた。
「君は、誰?」
低く、静かな声が耳に届く。その声に、思わず息を呑んでしまう。口を開こうとしたが、言葉が出ない。彼の視線が私を逃さないようにしっかりと捉え、近づくにつれて彼の存在感が一層際立ってきた。風に揺れる前髪の隙間から、まるで野生の猫のように、冷たくも鋭い瞳が私を見つめている。
「君は誰だい?どうやって入ってきたの?どこから・・・、いや。ここはだめだ。さぁ、もと来た場所から戻って、全てを忘れて」
彼が怪訝そうに眉をひそめ、私の肩に手を置いた。その手は驚くほど冷たく、私の体を若木の陰へと促してくる。知らない男女が物陰に肩を寄せて隠れるなんて、まるでアクション映画の一コマみたい。状況を呑み込めずに困惑する自分と、普通じゃないこの体験にわくわくする自分が混ざりあって複雑なので是非新しいアイスのフレーバーに採用して欲しい気持ちだ。
「こんなことは初めてだ。君は泥棒?」
言葉とは裏腹に私を隠そうとする動きは、どこか守ろうとするような気配が漂っていた。訳がわからないまま、私は彼の言葉に従って身を縮める。そういえば彼の距離感は他人へのそれとは大きくかけ離れている。触れ合う肩と少し顔を傾ければ彼の首筋の匂いを嗅ぐこともできてしまう。そう意識してしまえば、心臓から広がっていく久方ぶりの熱に生唾を呑み込んでしまう。
近くで見ると、彼の顔は信じられないほど整っていて、まるで別世界から現れたような不思議な空気をまとっている。少し長めの前髪はセンターでラフにかきあげられ、隙間から覗く切れ長の二重は獲物を探すように辺りを伺っている。なだらかな鼻筋、ぽってりとした赤い唇。きめ細やかな白い肌の彼は、まだ青年のあどけなさを忘れきれない不完全さがとても綺麗だった。
男性との触れ合いで動揺し、頭の中が自分のことでいっぱいになっていた私だったが、ふと隣に目を向けると、彼はすでに視線をウッドデッキの方へ向けていた。その先に目をやると、清潔な白いシャツと黒のスラックスを身にまとった初老の男性が顔を覗かせる。
「理人さん」
その声に呼応するように、隣にいた彼──理人さんが軽やかに数歩前へ進み、初老の男性に向かって片手を挙げる。
「ここだよ」
「おぉ、そこにいらっしゃいましたか」
男性は穏やかな笑みを浮かべ、さも慣れた様子で理人さんに応える。その微笑みは、彼に対する深い信頼を感じさせるものだった。
「天気が良くて、若葉に触れていたくなってさ。何か用?」
「えぇ。本日は客人が参りますので、先にお伝えしておきたくて」
そう言って目元にしわを寄せた男性と相反して、理人さんは驚きを隠せない表情を返す。
「この家に客人?一体・・・何が?」
「理人さん。来る日の為に、戸惑っている時間などありません。今から準備をするようにとの連絡がありました」
「…もう、忘れられていると思っていた」
二人のやり取りは理解を超えていたが、彼らの会話に隠された何かが気になってしまう。彼らの秘密に触れたい気持ちと盗み聞きの罪悪感が心の中でせめぎ合う。でも、気になる自分の心にはもう逆らえないのだ。そんなとき、初老の男性が時計に目を落とし、静かに告げた。
「そういえば時間が過ぎているようです。確か十三時のはず」
その言葉に、ハッと胸が跳ね上がる。そうだ、今日は面接のために来たのだった!
「もしかして…その客人って」
理人さんがこちらを指さし、初老の男性も私に気づく。その視線を浴びた瞬間、隠れていたつもりの私が完全に前に飛び出してしまっていることに気づき、顔が熱くなる。まるで成り行きでばれた泥棒のようで、地面に吸い付くように身を縮めてしまう。
「あ、あの…面接に参りました、佐藤さくらです」
急に注目を浴びてしまい、膝を地に着けたまま挨拶するのがやっとだった。緊張で声が少し震え、恥ずかしさで頬が熱くなる。そんな私を見つめる初老の男性は穏やかな笑みを崩さず、理人さんは何か不思議そうに首をかしげている。
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