喜びに賑わう

 その後、集った術者により鵺の玉には厳重な封印が施され。事態は緩やかに収束した。

 騒ぎの根源とも言える玖瑶家の責を問う声はあまりに大きく、中には家の取り潰しを叫ぶものもあった。

 だが帝と四家当主が討議した結果、跡継ぎである亘への代替わりを以て存続を許されることとなった。

 同時に、当主夫妻には辺境の地にて厳重な監視付きで隠棲すること。苑香には帝都より遥か離れた遠方へ嫁ぐことが命じられた。

 この世の終わりのように嘆く父や美苑。嫌だと泣きわめきながら引きずられていった苑香を見ても全く哀れと思わなくて。紗依は自らを薄情とも思った。

 けれどそれ以上に許せない思いは強く、これで終わりにしたいという気持ちが勝り。紗依は唇を引き結んで無言のままだった。

 固い表情のまま連れて行かれる父達の姿を見ていた紗依の手を、矢斗はずっと握っていてくれていて。

 その手の温もりが確かに共にあることが、ただ嬉しかった。



 鵺を封じた珠が宮中の霊域に収められて少しして。

 東家の任季である春から、南家の任季である夏に変わった頃。騒ぎにて被害を受けた北家の屋敷も、既に平穏を取り戻していた。

 いや、少しばかり『平穏』とは言えない状況である。

 祭神である矢斗と、その神嫁である紗依の祝言の支度に屋敷中が活気づいていたからだ。

 差し込む陽の光が穏やかなある日。

 屋敷の一室では絢爛豪華な沢山の反物が広げられた中、千尋やサト、それに女中達が紗依を囲んで真剣な顔で話し合っていた。

 お題は、紗依の花嫁衣裳についてである。


「紗依様には、こちらの花の文様のほうが似合います!」

「いいえ! この吉祥をちりばめたものの方がお似合いです!」


 ある者は紗依様にはこちらの文様が似合うといい。またある者は、紗依様にはこちらの文様のほうが似合うと主張する。

 実に和やかな話題でありながら、皆はそれぞれの主張を曲げようとせず。議論はなかなかに白熱していた。


「あの……。そのような立派なものは、私には、その……」

「では、こちらはいかがでしょうか?」


 どうしたものかと戸惑う紗依へ、千尋も嬉しそうに笑いながら違う反物を手にとって勧めてくれる。

 その手にあるものは柄こそ控えめに見えるが、恐らくこの場でも特段上等な品だ。

 北家での恵まれた暮らしに大分慣れたとはいえ、広げられた反物はどれもこれも一級品ばかり。

 向けられる心遣いには、大分謝罪ではなく感謝を返せるようにはなってきたと思う。だが、さりげなく与えられる贅にだけは慣れそうにない。

 北家の祭神の伴侶として、みすぼらしい姿でいるわけにはいかない。それは分かっているのだけれど……。

 慎ましく、なるべく質素なものをと思って控えめに伝えてはみるものの。そもそも、どの品も質素とは程遠いのだから、申し訳ないやら恐れ多いやら。


「千尋様! あの、その反物も私には身に過ぎたものかと……」

「まあ。婚礼の主役は花嫁ですもの。めいっぱい美しく装って、何を悪い事がありますか」

「そうでございます。紗依様の晴れの日ですから。最も素晴らしいお衣装を選ぶ必要がございます」


 思わず身を縮めてしまっている紗依に、千尋が優しく咎める様子で言うと、サトも頷きながら言葉に続いた。

 それを聞いて、周囲の女中達もまたそれぞれに自らの選んだ反物や考えを口にする。

 恐ろしい事件の後だから、尚の事慶事が嬉しいらしい人々は、揃って笑みを浮かべて会話に花を咲かせている。

 そして、その女性陣をやや遠巻きに見つめる位置に、時嗣と矢斗が居る。


「……場違いだという自覚はあるが、まあ見ていて微笑ましいといえば微笑ましい」

「何時の世も、女性は美しいものに強く焦がれるものなのだな……」


 主張に熱の入る女性達に少しばかり押され、男二人は置いてけぼりにされたような様子で。だが賑わう場を見てそれぞれ口元に笑みを浮かべながら眺めていた。

 矢斗は困惑交じりでも人々の輪の中にあり、自然とはにかんでいる紗依を見て心の底から嬉しそうに相好を崩している。

 紗依が己との婚礼の装束を定めようとしているのも、喜びの理由であるようだ。

 ただ、美しい紗依を見るのは嬉しいが、多くの人の目に……とりわけ男性の目に触れるのはやはり複雑らしい。

 それでも、減るから嫌だ、とは流石にもう言わなかった。

 有無を言わせぬ笑みの時嗣に釘を刺されたのもあるが。

矢斗も、この場でそのようなことをいえば、目の色を変えて真剣に議論を続けている女性達を敵に回すと理解しているようだった。

 婚礼衣装談義はその後も絶えることなく花が咲き、ひとまず中休みとしよう、という千尋の提案にて女中達は反物を片づけるとそれぞれに姿を消していく。

 その場に時嗣達とサト、そして矢斗と紗依だけになって。紗依は思わず力が抜けた、と言った風に大きな息を吐いた。

 千尋はサトに命じて茶と菓子の支度をさせ、その場には先程とは違う落ち着いた穏やかな空気が流れる。

 香しい茶でのどを潤して漸く安堵する。

紗依の隣に座した矢斗は、慈しみの満ちた眼差しで紗依を見つめ。眼差しに気付いた紗依は僅かに目を瞬いた後、喜びに満ちた眼差しを返し微笑む。

 その様子を、北家当主夫妻は黙したまま見守っていた。

 幸せだ、としみじみ紗依は思う。身に余るほどに恵まれ、与えられ。これ以上ない程に、幸せだと思う。

 それなのに、ただ一つだけ。一つだけ、紗依の心には消えない棘があった……。

 だが、それを表にだすことはできない。矢斗や、時嗣達の心遣いを損ねることになってしまう。だから、紗依は裡の小さな痛みを押し隠して微笑んでいた。

 暫くの間、他愛ない話題を挟みながら和やかな時間が流れたが、ふと入室を願う声が聞こえた。

 皆の視線が集中する中、許可を得てその場に現れたのは北家の家人の一人である。

 時嗣が当主となる前から仕えているというその男性は、時嗣と千尋に歩み寄ると何やら耳打ちしている。

 それを聞いた時嗣達は目に見えて表情を明るくし、頷き合った。

 そして時嗣は立ち上がりながら、不思議そうに首を傾げて二人を眺めていた紗依と矢斗に向かって言葉をかける。


「紗依殿に、合わせたい御方がいる。つい今しがた到着されたそうだ」

「私に……?」




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