玖瑶家の娘

 大仰に肩を竦めて溜息を吐いたのち、時嗣は怒りに顔を赤黒く染めて、震えながら言葉を失っている苑香へ視線を向けた。


「苑香嬢。そもそも、貴女は自分が玖瑶家の娘ではない事を自覚するべきだな」

「わ、わたくしは確かに玖瑶家の娘でございます!」


 先までの取り繕った淑やかさはどこへ行ったのか。

 平素の高慢さがありありと表れている声音で、苑香は弾かれたように時嗣へ言い返す。

 それを聞いた時嗣は、更に表情に呆れの色を濃くしつつ、溜息交じりに告げる。


「現在の当主の娘というだけだ。古くから繋がる玖瑶の血を一滴も引いてはいないだろう」


 呻くようにして、苑香が言葉を失う。

 確かに、先代の当主である祖父の子は紗依の母一人だけ。父はその婿にすぎない。

 今に至るまで続いてきた玖瑶家の血が紗紀子から繋がるものである以上、当然のことながら紗紀子を母としない苑香はその血を引かない。

 玖瑶の血を引く者をこそ正しく玖瑶家の娘を呼ぶならば、それは。


「今この場において、正しく玖瑶家の娘と言えるのは唯一人。紗依殿だけだ」


 冷静すぎる声音で時嗣が告げた瞬間、破裂するような甲高い声がその場に響き渡った。


「な、何よ! 『神無し』のくせに……!」

「止めろ、苑香!」


 楚々とした名家の娘然とした振舞いは既になりを潜めてしまっていた。

 家で紗依を虐げ、甚振っては笑っていた時のように我儘で傲慢な顔を隠すことすらもうできず、苑香は顔を怒りで赤黒く染めて叫ぶ。

 それを聞いて慌てたのは父だった。

 確かに北家は四家に名を連ねていても、祭神を持たぬ異端な家である『神無し』と忌まれていた。

 そう、忌まれて『いた』のだ。

 時嗣は視線にて未だ紗依を腕に抱きながら苑香たちを睨み続ける矢斗を視線で示しながら、一つ頷いて見せる。


「ああ、その通りだ。うちは『神無し』……だった、だ」


 時嗣は不穏な空気の満ちるその場にはそぐわない程に朗らかに、だった、に重きをおいて言葉を紡ぎながら笑った。

 千尋は目を伏せて息を吐き、見守る北家の家人たちの間には静かな怒りが漂い始める。

 紗依の背筋にも寒いものが走り、思わず身震いする。

 異端と貶められ続けた北家は、祭神を取り戻し往時の名誉を取り戻した。今は、もう忌み名で呼ばれる理由はどこにもない。

 父に咎められて、漸く苑香も自分の失言に気付いたようだ。

 よりにもよって、帝の近侍を許される名門中の名門の当主を相手に、正面切って家門を貶める発言をしてしまったのだということに。

 美苑は、娘は混乱しております故、と何やら取り繕うように意味の通らないことを呟き続けているし。父は、娘の失言に蒼褪めたまま続く言葉が見つからずに狼狽えるばかり。

 玖瑶家の者達が揃って晒す醜態に、あきれ果てたという風に時嗣はまたも大きな溜息を吐いた。


「今の戯言については聞かなかったことにしてやる。ただし、そちらが紗依殿と今後一切の関わりを絶つことが条件だ」


 紗依に対して何かの働きかけをしたら、即座に家門を貶められた報復に出る。言外にそう告げる時嗣に、父と美苑は揃って蒼褪め震えあがる。

 事の成り行きに茫然としたまま沈黙している紗依へ一度視線を巡らせた後、時嗣は更に告げる。


「当家が求めた『神嫁』とは始めから紗依殿のことだ。今更理由をつけて他をもってこられても知らん」


 潰された蛙のような声をあげて更に言葉に窮する父達に、追い打ちは続く。


「私が求めたのは、紗依だ。紗依以外など要らぬ。ましてや、そのような醜い女、近くにあることすら厭わしい」


 時嗣の言葉に続くのは、矢斗の凍える程に冷たい言葉だった。

 鋭く告げた後、もはやどす黒い顔色で俯き震える苑香に見向きもせず、矢斗はただ腕に抱く紗依だけを見つめる。

 このような場だというのに、戻って来た真っ直ぐな眼差しに。慈しむような温かさに、紗依の胸には熱いものがこみ上げてくる。

 矢斗は確かに苑香をみたはずなのに、それでも紗依を求めると言ってくれた。

 それが堪らなく嬉しくて……身に余る程に幸せに思えてしまって、ただ矢斗を見つめ返すしか出来ない。

 自分を守ってくれる温かな腕の感触が、熱を帯びて感じてしかたない。

 時嗣は見つめ合う二人を見て僅かに笑みを浮かべた後、凍り付いてしまっている玖瑶家の三人へ向かって口を開きかけた。

 だが、その時。不穏漂う場に現れた北家の家人が、何かを時嗣に耳打ちする。

 一瞬怪訝そうな顔をした時嗣だったが、僅かに考える仕草をした後に短く告げる。


「……わかった。通せ」


 怪訝そうな眼差しを受けながら、時嗣はまた一つ溜息を吐いた。

 誰もが言葉を発することを躊躇う場が、新たに表れた人影にて揺れる。

 紗依もまた、やや線の細い温和な顔立ちの少年を見て、思わず驚きの声をあげかけた。

 その場に導かれ姿を現したのは……玖瑶家の跡取り息子である亘だった。

 数人の家人、とりわけ玖瑶家の異能者の中でも相応の立場と力を持つ者達を連れている。


「わ、亘! お前このような場に何をしに!」

「お目通りを許して頂き感謝を。まずは、北家に祭神が御戻りになられたこと、謹んでお祝い申し上げます」


 亘は、子供が何をしに来たなどと姦しく騒ぐ父達など知らぬ顔で、まずや時嗣へと礼を尽くして祭神帰還に対する祝いを口にする。

 その所作の物言いも、父よりもよほど落ち着いており、玖瑶家の跡取りとして相応しいものだった。

 時嗣もまた父達に対するぞんざいなものではなく、名家の主に対するような態度を以て応じる。

 そのやり取りを見た父は見苦しく激して、息子に掴みかかろうとしたものの。


「お前達。父上たちはお疲れで少し判断に障りが出ておられる。……速やかにお連れしろ」


 先んじて連れてきた家人に命じたのは亘だった。

 頷き答えた家人たちは、父と美苑、そして顔を歪めて矢斗と紗依を睨みつけるばかりだった苑香の腕を捉える。

 喚きながら抗おうとする父達だったが、結局は引きずられるようにしてその場から消えていくこととなった。

 忙しく騒がしい空気に皆が言葉を失い見守っていたが、やがて一つ息を吐いた後に亘が時嗣達に向かって頭を下げた。


「北家のご当主様。父が騒ぎを持ち込みましたこと、息子として謝罪致します」

「いや……。貴殿も、なかなかに苦労されているようだな」


 苦笑いしながらいう時嗣に対して落ち着いた様子を崩さない亘を見て、紗依は少し目を見張っていた。

 以前だったら父達に押し負けていただろうし、もう少し頼りないところがあったようにも思う。

会わない内に随分と成長したようだ。紗依が玖瑶家に居た時よりも、随分としっかりしているように感じる。

 暫く時嗣に対して丁重に謝罪を続けていた亘だったが、やり取りに区切りがつくと、今度は紗依へと向き直った。


「紗依姉様が穏やかにお暮しで安心しました。どうされているか気になっていたので……」

「貴方も、元気そうで良かった」


 あまり平穏ではない再会になってしまったものの、あの家で紗依に気遣いをくれていた弟の顔を久方ぶりに見られたのは素直に嬉しい。

 手紙でやり取りはしていたものの、直接言葉を交わし元気であると確かめられたことを、良かったと思う。

 僅かに顔を綻ばせて応える紗依を見て、少しの間だけ亘の顔には年相応の無邪気な笑みが浮かんだ。

 懐かしい笑みに安堵を覚えた紗依だったが、次の瞬間に思わず目を瞬いてしまった。

 亘が矢斗へと向き直り、姉様のことを何卒お願い申し上げます、と丁重に伝えた時。

 ほんの一瞬……気のせいと思うほどの刹那の間だけ、亘が矢斗に対して激しい感情籠った眼差しを向けたように思えたのだ。

 それは憎悪とも思える程に、暗く深いものだったような気がする。

 矢斗は落ち着いた面もちのままであり、その場の誰も気にしていない様子である。

 先程まであまりに慌ただしく騒がしかったからまだ動揺しているのかもしれない、と紗依は自分の中で結論づけた。

 亘はそれから紗依と僅かに言葉を交わし、再び時嗣たちと言葉を交わした後、丁重に礼をとり退去させられた親達に続いてその場を辞していった。

 少年の姿が消えて、やや暫くして。


「跡継ぎはまだまともそうだな。さっさと代替わりして欲しいものだ」


 亘が去って行った方角を言葉なく見つめていた時嗣が、盛大な溜息と共に姿勢を崩しながら辛辣な評価を口にした。

 お疲れ様です、と労わるように声をかけた千尋へ、時嗣はうんざりとした表情を浮かべたまま声をかける。


「今後、あいつらの使いが来ても追い返せ。何が悲しくて、祭神の機嫌を損ねてまで取りなしてやる必要がある」

「わかりました」


 千尋は、紗依と矢斗の様子を見て優しく苦笑いを浮かべつつ夫に頷いた。

 矢斗はすっかり紗依を腕に抱いたまま離そうとしないし、紗依も抱き寄せられていることよりも今しがたあった騒ぎへの動揺の方が先に立っている。

 雛鳥を守る為に羽を逆立てた親鳥のような矢斗の様子に、時嗣は紗依を別室にて休ませてやれ、と言った。

 千尋も、すぐにお茶と甘いものを用意させます、と言ってくれた為、今は有難くそれに甘えることにした。

 肩を抱かれたまま紗依は矢斗と共にその場から後にして、残されたのは当主夫婦と数人の家人のみ。

 妻、そして家人たちへと視線を巡らせた時嗣は、僅かに考え込んだ後に再び口を開いた。


「……帝都近郊の療養所を全て調べろ。紗紀子様を、速やかに北家で保護する」


 何かの懸念を抱いた様子で表情を険しくした時嗣の言葉に、千尋達は何も問わず、ただ頷いたのだった……。

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