呪い子
布団を並べて眠りについて、少しして。
疲れて果てているはずなのに、紗依はふと目覚めてしまった。
小屋の外には強い風が吹き荒れている。風に揺られ小屋が軋む音に起きてしまったのだ。
母の青白い頬を見て、また痩せた、と心に呟いて唇を噛みしめる。
寒さを凌ぐ事すらままならない粗末な場所で、食事とて無いよりましという有様で。
医者に診せるどころか薬を求めることすら碌に叶わない状態で、病が癒えるはずがない。
紗依にばかり働かせるわけには、という母を必死に説き伏せて身体を休めてもらうことしか出来ていない。それがあまりにも悔しく、情けない。
母は、本来このような場所で暮らす人ではなかった。
始まりは『四家』にも並ぶと言われる程に古い、玖瑶家先代当主の一人娘として尊ばれていた人だった。
祖父には母の他に子は無かったため、祖父は母の婿として他家から父を迎えた。
それが間違いだった、と紗依は今でもついつい亡き祖父を恨めしく思ってしまう。
結婚してから少しして母は身籠り、やがて紗依を産んだ。
しかし、その時に不幸が生じた。
待ち望まれた初子であった紗依は、玖瑶家の血筋が持つはずの異能を欠片も持たずに生まれてきてしまった。
父は呪い子だと我が子を疎んじたが、祖父は何か考えがあったらしくそのまま育てる事を命じたらしい。
母もまた、紗依が大事な我が子であることに変わらないと、けして態度を違える事なく、大切に慈しみ育ててくれていた。
だが、それも祖父が亡くなり、父が当主を継ぐまでのこと。
目の上の瘤だった義父が消え、玖瑶家が自分の思うままになった途端、父は母を離縁したのだ。
理由としては、呪い子を産んだ為。呪い子を産んだ女が傍にあっては、玖瑶家の将来に障りがあると主張したらしい。
けれど周囲の者達は、玖瑶家を手に入れた為に母が用済みとなったからだと……外に囲っていた妾を妻にする為の方便だと気づいていた。
更に、父は紗依を忌まわしい呪い子であるとして密かに殺し、存在を無かったことにしようとしたという。
それに抵抗したのが母だった。
どんな代償を払ってもいいから、それだけは止めてくれと。紗依を殺さないでくれ、と土下座までして父に懇願したらしい。
父は、母が恐らく受け入れがたいであろう条件を突きつけた。
紗依の命を許す代わりとして、これから先ずっと玖瑶家の使用人として仕えること。
この後、妻として迎える妾を女主人として敬い、その下働きとして暮らすこと。
父としては、離縁したからといって他所に行かれても困る事情があったのだろう、と人々は語っていた。
正当な玖瑶家の血筋である母に、本来入り婿に過ぎない父が突きつけたのはあまりに屈辱的な条件だった。
けれど、母はそれを受け入れた。
それまで持っていた全てを奪われ、敷地外れの粗末な小屋に追いやられても、紗依をけして手放さなかった。
父に後妻として迎えられた美苑は、元は花街の芸者であったものを、父が熱烈に口説き落として落籍させたという。
新たに玖瑶家の女主人となった女は、元より自分が日陰の身であったのは母のせいだと逆恨みしていた為、事あるごとに母を虐げた。
恐らく、名家の血筋であり教養のあった母に対する劣等感もあったのだろう、と人々が密かに囁いていたのを聞いたことがある。
美苑は、下女中のすることから上女中のすることまで、あらゆる仕事を母に押し付けた。
日々、食事も衣服も十分に与えず、母を気紛れに振り回し続け。まともに寝る時間も与えぬ程に無茶難題を押し付け、少しでも間違いがあると人前にて折檻をする。
先代の頃から仕える古参の使用人達の中には、母子に同情するものもあったようだった。
だが、迂闊な手出しをすれば咎はその者達にも及ぶ。だからこそ、母は誰の手も借りようとしなかった。
どれ程嘲笑われようと、母は紗依の前で笑みを絶やす事はなかった。
余剰などないところをやりくりし、紗依の食べるものと着物を用意してくれた。
休む時間を割いてでも、自らが師となり、紗依には持ち得る限りの知識と教養を教えてくれた。
理不尽にさらされ命を削るようにして紗依を育てながらも、母の顔にはいつも娘を慈しむ笑顔があった。
母は時に厳しいけれど、何時も優しく温かだった。
どうしてそんな目にあってまで、自分を守ってくれるのだろうと紗依は不思議に思っていたものだった。
一度、母が強いられる理不尽を思い泣きながら、叫んだ事がある。
『呪い子の私なんか見捨てれば良かったの! そうすればお母様はこんな目にあわなかったのに!』
その時、初めて母に頬を張られた。
母は泣いていた。
何故自分を貶めるような事を言うのかと。異能が無い事がなんだ、と。
持つべき家に持たぬ者として生まれた事には、きっと何がしかの意味があるのだろう。
だが、どうであれ紗依が紗依であることは変わらない。紗依が、愛しい我が子であることは変わらない。
後生だから、自分の生を否定するような言葉を言ってくれるな、と母は紗依を抱き締めながら泣いたのだ。
紗依も気付いた時には泣いていた。
母が自分を揺るぎなく愛してくれているのを感じて、けして母に背くまいと。
けして卑屈になるまいと……何があっても、母の前にあって恥じない自分であろうと心に誓った。
やがて、紗依もまた使用人として働くようになる。
美苑はここぞとばかりに紗依にも無理を強いてきたが、母は我が身を盾にしてでも紗依を守り続けた。
紗依を虐げようとするのは、美苑だけではなかった。
美苑が妾であった時分に産んだ娘、紗依にとっては異母妹にあたる苑香である。
母の美貌を受け継ぎ幼い頃から美しいと評判であった苑香は、それだけではなく強い異能も備えており、父からは愛娘として溺愛されていた。
我儘放題に育った異母妹は、紗依を甚振ることを一番お気に入りの遊びとしていた。
殊更に異能を見せつけながら紗依を苛めては、傷つき苦しむ紗依を見て心の底から楽しそうに笑う。
子供故の無邪気な残酷さも相まって加減を知らぬ苑香に、何度命の危機を感じただろう。
母は、時として抵抗したことが理由で折檻を受けることも厭わず、紗依を苑香から守ってくれていた。
だが、長年強いられた理不尽による苦痛と過酷な環境は、少しずつ母の身体を確実に苛み続けていたのだ。
数年前から、母は何かと病がちになってしまい、床に伏せることが多くなってしまう。
起き上がろうとする母を押しとどめ、紗依はその頃から自分と母の二人分の衣食を賄うために必死で働き始めた。
今まで母は自分を守るために必死に耐えてきてくれた、今度は自分が母を守るために力を尽くす番だと。
苑香はここぞとばかりに母と一緒になって紗依を甚振ってきたけれど、紗依はただ耐え続けた。
どれだけ疲れ果ててもその日一日頑張れば、母の衣食を得ることができる。
どれだけ難題を突き付けられても、耐え抜けば母の薬を手に出来る。
そう思えば、失いかけた力が手足に満ちていくのを感じた。
揺るぎなく愛してくれる母。母が自分に与えてくれた想いの分を、少しでも母に返したい。
その想いだけで、今も紗依は歯を食いしばって日々を耐え抜くことが出来ている。
母の掛布団をかけなおしてあげて、紗依は再び横になる。
明日も朝から山のように言いつけられた仕事がある。少しでも身体を休めておきたい。
安らかな母の寝息を耳にしながら、何時しか紗依は深い眠りに落ちていた。
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