沈む姫
ハナダイロ
第1話
ガラス戸を開けてベランダに出ると、熱を吸収した樹脂の床が足の裏に触れる。先週立夏を迎えたばかりだというのに、すでに本格的な夏の匂いがあたりに立ち込めていた。天日干ししていたせいで、心持日向臭い匂いを発している布団を取り込み、洗濯竿にかかった縒れたTシャツをハンガーからむしり取り、柵の影に隠すように低い位置にぶら下がった角ハンガーから下着をぞんざいに外して、開け放した窓からベッドの上に放った。そういえばもう二週間もシーツをかけていない。二週間前の、自堕落になる予感をあえて無視して新しい生活に息巻いていた自分が愛おしい。
私は手すりに体重を預け、階下の庭を覗き込んだ。たった二階分しか離れていないのに、草いきれの匂いが鼻をつくのはきっとこの庭の奔放さだろう。ありとあらゆる雑草が茫々に伸びきり、ところどころに人様のゴミが転がっている。不届きものが捨てていった大きなアームチェアに、針金ハンガー、どこかから飛ばされてきたペイズリーのスカーフ、面白みのない白いTシャツや、うっかりベランダから落ちたのであろう片っぽだけのスリッパに、ツタが絡まった錆びたじょうろ。ほとんどのものが丈の長い多種多様な雑草に埋もれて、じっと目を凝らさないと確認できない。この調子では、私が二週間前に飛ばした紙飛行機も、一昨日の大雨のせいでしなびて土にかえってしまっているんだろう。隣接する集合住宅の打ちっぱなしのコンクリート壁に橙色の陽光が反射し、彼の庭に黄昏の影を投げかけている。私はこの時間帯の彼の庭が好きだった。今日はあまりにも西日が強い。こういう日の陽光は、重く私の身体にのしかかって、ふと手すりを乗り越えて、彼が築き上げた粗末なジャングルの中に飛び込みたい気分に、私をさせる。もたれかかる実体のない生活ほど、不確かなものに依ってうっかり落ちてしまうだろうことを私は知り始めていた。たとえばそう、人間の介入を阻む庭。彼の庭は、一分一秒ごとに少しずつ様子を変えていく小宇宙だ。毎日、隣の屋根までたどり着くことなく墜落する私の飛行機を呑み込んで膨らんでいく小宇宙。陽光を求めて真上に伸びた植物たちは、私を受け止める準備をしている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます