第5話

 19時少し前に待ち合わせ場所に着くと、すでに彼が立っていた。夕日が彼の端正な顔立ちに柔らかく差し込み、長いまつ毛が瞳に美しい影を落としている。


 9月の澄んだ空気の中、スーツ姿で静かに佇む彼の姿は、まるで映画のワンシーンを切り取ったかのように孤高で、物憂げでありながらも美しかった。


 私は両手で頬を軽く2回叩き、自分に気合を入れた。そして彼の前まで歩み寄った。


「こんばんは」


 深い色の瞳が私を見つめ、まるで全てを見透かしているかのようだった。鼓動が早くなるのを感じながらも、私は必死に平静を装う。


「ああ、こんばんは。来てくれてありがとう」


 私は、手に持っていた紙袋を彼の胸元に押し付けた。中身は、さっきデパートで買った老舗和菓子店の最中。化粧箱入りの贈答用を選び、「お礼」の熨斗まで付けてもらていった。


「これは?」


「昨日のお礼です。助けてくれてありがとうございました。どうぞ皆さまでお召し上がりください」


 彼は一瞬驚いたような表情を見せた後、横を向いてくすっと笑った。その瞬間、彼の美しい顔が少し幼く見え、柔らかい魅力が増したように感じられた。


 それから彼は自分の口元に手を当て、少し笑いを含んだ声で言った。


「あなたは……面白い人ですね」


「恐れ入ります。じゃ、私はこれで」


 踵を返した私を、またしても彼が引き止めた。


「とりあえず、食事をしながら話しませんか。近くの店を予約してありますので」


「お礼の品をお渡しできれば、私にはもうお話することはないのですが」


 少しクセのある髪の一筋が額にかかり、私はドキッとした。完璧な男性がふと見せる、無防備な瞬間を目撃したような特別感が、そこにはあった。ほんの少し前髪が乱れるだけで、周りの人を惹きつけてしまうこの現象に名前をつけるとしたら……。


 私はバッグから手帳を取り出し、「フラッシュチャーム(技名)」と書き込んだ。一瞬だけチャーミングな姿を見せ、相手を油断させる技だ。うん、ラブコメのシナリオに使えるかも。


 手帳から顔を上げると、彼は再びくすくすと笑っていた。


「いろいろと楽しそうな人ですね。予約の時間までもうすぐですから、とりあえず行きましょう」




 イタリアンかフレンチレストランに案内されるとばかり思っていたが、たどり着いたのは路地裏に佇む、小さな割烹だった。凛とした和の設えを仄かな灯りが照らす、看板すらない隠れ家のような店だ。


 箱庭に面した奥の座敷に通されて、私は今まで味わったことのないような懐石料理でもてなされた。


 シンプルながら奥行きが感じられる料理を、女将が選んだ日本酒とともにいただく。控えめに言っても、至福の時間としか言いようがない。


 彼はお酒には一切手を付けず、ガス入りの水やモクテルを楽しんでいた。女将との会話から察するに、シャインマスカットとジャスミン、リンゴとカルダモンなど、旬のフルーツにスパイスを合わせたモクテルは、彼が予約を入れるときに特別に用意されるもののようだった。


「連れてきてくれてありがとう」


 デザートの柿の羊羹を終え、私は深々と頭を下げた。


「今日のお料理……、本当に美味しくて、新しい世界を知った気がします」


「それはよかった」


 彼――出雲蓮――は満足そうに微笑み、唇の前で両手の指を組んだ。その指先すら美しくて、私はまたしても見入ってしまった。もし私が彫刻家だったなら、彼からインスピレーションを得て、神がかった傑作を作れそうな気がする。


 彫刻家でないことを悔やむ私に向かい、彼はにっこりと笑った。


「僕のほうこそありがとう。あなたのことを知ることができてよかった」


 彼は私の食事を妨げないよう、職業や趣味、年齢、出身地などを小出しに質問してくれた。私は料理に集中したかったこともあり、質問には答えたものの、ほとんど質問を返さなかった。よく考えたら、なかなか失礼だな、私……。


「出雲さん」


「蓮でいいよ」


「……蓮さん、昨日は助けていただいて本当にありがとうございました。それから、セクハラまがいのことを口走ってしまい、すみませんでした」


 私は姿勢を正し、もう一度深く頭を下げた。


 蓮さんは、ふと真剣な表情になり、静かに言った。


「それで、新婚生活なんだけど、君が僕の部屋に越してくる形でいいかな?」


 その言葉が耳に入った瞬間、私は驚きで目を見開いた。新婚生活?


「……まさか、昨日のことでまだ私をからかっているんですか?」


「からかう? いや、君が僕にプロポーズしてくれたから、僕は結婚することにした。それだけだよ」


 はぁ?


 私は混乱した。この人、一体何を言っているのだろう。そして、いつの間にか口調も砕けている。


「だって、私たち、お互いのこと何も知らないじゃないですか」


「僕は今日、君のことを知ることができた」


「でも、私はあなたのこと知らないし……」


「だから、なんでも質問してくれって言ったじゃないか。包み隠さず答えるよ」


 蓮さんは、さぁどうぞと言いわんばかりに両手を広げ、にっこり笑う。そんな表情にも引き付けられる自分が少し悔しい。だけど、どうして彼はこんなに淡々としているのか……私はまったく理解できないでいた。

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逆プロポーズではじまる交際0日婚! 〜狙うのは脚本家としての成功とXXX 八月朔日 @HappyMonday839

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