敗戦、惜別の後に儚く/縦縞ヨリさんへ💗

敗戦、惜別の後に儚く/縦縞ヨリさん

https://kakuyomu.jp/works/16818093090412094976


 ようちゃんをご指名ありがとうございます💗


 わたしのファンサとしてこちらにて感想及び僭越ながらアドバイスなどをさせて頂こうと思います。先に言っておきますと、今回はアントニオ猪木ばりのビンタはありませんのでご安心くださいませ。


 まずは全体的な感想なのですが、カクヨムでは数少ない真っ向勝負の歴史もの小説ということで、歴史小説好きのわたしとしてはそれだけでテンションがあがり期待大なのですが、期待通り内容は非常に良かったです。特にクライマックスから終盤に向かうまでは読者の感情を揺さぶるような内容と演出で、読んでよかったなと思わせてくれる一作でした。この前のエッセイ企画の「もいちゃんのクリームソーダ」のような素朴で優しい作品とは一変して、迫力のある小説ですね。


 さて、縦縞さんにリクエストをいただいたのですが、


1.客観的に見て時間軸や登場人物の動きに違和感のあるところは無いか。

2.より作品を良くするには、どんな所にもっと力を入れて書くべきか。


 と言うご質問と、


3.ドMなのでキツめに詰めていただけるととても嬉しいです。


 というリクエストをいただきました。とはいえ、わたしの性格も欲しがりなドMなのでS的な詰め方はできないのですが、適時文面を引用させていただく形で遠慮なく指摘させていただこうかと思います。また1.2.3を全体論に織り交ぜて回答したく思います。


 その全体論なのですが、小説を書く前の最初の最初として考えたいことが大雑把にいうと三つありまして、


①何を書きたいか……テーマ(ストーリー)。

②何を読者に感じさせたいか……テーマ面、感情面。

③どういう風に書きたいか……文体、演出。


 だと思うんですね。「絶対こうでなくてはならない!」ということではないのですが、この三つを考えないで書くと、全体的に一貫性のない作品になりがちです。急に主たる内容が変わったり、テンポが速くなったり、感情の起伏がおかしくなったりするということですね。


 御作の場合、①は合格ラインにのっていると思います。非常に良かったです。②も及第点はあるというのが妥当な評価だと思います。

 問題は③にあるとわたしは思いました。ですので今回はこの③を中心にお話していこうかと思います。


 ③というのはですね。大きな選択であり分かれ目になるのが、「人称表現」になります。つまり一人称か三人称どちらで書くかということですね。これが縦縞さんだけではなく、みなさんもほとんどきちんと考えていないところなんです。

 人称とは映画でいえば「撮影手法」ですので、絶対に最初で決めておかねばならないんですね。これを決めておかないと書いている途中で「作風」レベルでおかしくなってしまうんです。感情的に書いていく作品だったはずなのに、いつの間にか客観的な表現で流れていったり、その逆だったりするわけですね。

 ですので、「主人公の感情を前に出したい」一人称か、「ドラマを主体にしたい」三人称を選択する必要があるんです。ここで、なんとなく一人称、書き慣れているから三人称と始めてしまうと、話の内容がを起こしてしまうわけです。他の作品の感想において、わたしが「一人称で読みたかった」とか「三人称で書いた方がいい」と言っている時は、大体ここで躓いていると感じているわけです。


 ここまで言えばおわかりかと思いますが、御作の場合、「ドラマを主体にしたい」三人称の筈が、中盤で感情的に盛り上がって、一人称的になってしまっているのですね。ですから、「淡々と話しを進めている序盤」と「やたらに感情が揺れ動く中盤」と「静かに仕舞いゆく終盤」という三作風をくっつけたような作品になってしまっているんですね。

 これが悪い事かというと、まったく悪いわけではないです。最初からきちんとそういう風に意図を持った設計をして、各パートの継ぎ目をシームレスにして読者に気がつかれることがなければ、構わないのですが、恐らく御作はわたしの言う①②③を意識してスタートはしていないのではないかと思います。しかも五千字にも満たない短編で表現するには尺的にもちょっと無理があると思います。


 で、ですね。三人称で書く場合、「ドラマを主体に書く」ということは、感情表現をできるだけ書かない、抑えなければならないんですね。つまり感情によって凹凸ではなく、ドラマそのものによって凹凸をつけなければならないわけです。ですので、どちらかというとわたしと同じでエモーショナルな表現の多い縦縞さんは、感情表現に頼らず、ドラマと登場人物の会話のみによって読者の感情を揺さぶっていかなければならないという、不得手な闘いをすることになるんですね。ちなみにドラマの進め方については、大田康湖さんの本企画参加の作品を参考にしてみると勉強になるかと思います。


 三人称ですが、御作の序盤のように「語り(ナレーション)」を入れない描写をしていく方法と、中盤以降の「語り」をしてく描写があるのですが、作品の統一性としてどちらかにした方が良いと思います。もし前者であれば地の文はひたすら淡々と書いて、会話文を膨らませて感情を出していくのがセオリーですし、後者であれば、もっと地の文に「艶」をつけていくのが妥当です。いずれでも良いのですが、御作はどちらにするかの選択をしていないので、ごちゃまぜというよりかはどちらも中途半端なんだと思います。


 概論としての話はここまでで、具体的に序盤を引用してみましょう。


 一九四六年十二月、松戸。矢切の渡しの船着場にて、男は外套をかき合わせた。

 黒々とした江戸川。こんな時間では跳ねる魚も居はしない。

 時刻は夜の九時を回り、船はとうに終わっている。朝まで待つより他あるまい。

 十二月の冷気は、まるで無数の小さな針が刺さるように男を責める。体の芯まで刺さり、そのうち心臓まで凍らせてしまうかも知れない。

 いや、いっそそれでも良い。

 もうじき年も暮れる。こんなに冷えるのに、心はまだあの蒸し暑く青い空の下にいる。


 こんな時間(前)→夜の九時(後)


 1.の「客観的に見て時間軸や登場人物の動きに違和感のあるところは無いか。」ですが、原則、倒置的な表現はしない方がよいと思います。理由は二つありまして、「読者が読みにくい」と「作者にはイメージがある分、無意識的に説明を細かく書かなくなり説明不足に陥ってしまう」からです。わたしは(アマチュア作家が)会話文から始める小説に否定的なのですが、ああいう書き方をするときは大抵、作者には映像的なイメージがあるがゆえに、きちんと地の文で説明をしないんですよね。結果、読者にはノーヒントみたいなアニメの謎序盤(プロローグ)みたいになってしまうんです。

 なので、序盤で、


「会いたかったよ」

 少女は微笑む。ああ、こんなこと、昔にあったような気がする。

「約束を果たしに来たからね」

 少女はそういうと、目の前から消えていった。


 みたいな小説を読むと、「え? それって作者の脳内にしかないイメージだけを書いたオタク向けアニメとかカクヨムで嫌われている、クソプロローグじゃん!」ってなりませんか?笑。


 ということで、序盤に手を入れてみましょう。


 戦後という言葉で振り返るにはまだ早すぎる一九四六年の十二月。松戸にある矢切の渡しの船着場。江戸川は夜九時という時間とは関係なく水面は真っ黒で、魚などりはしないような淀みようである。

 急いで来てはみたものの、船はとうに終わっていた。隻腕の男は諦めの表情を浮かべながら外套をかき合わせ、朝まで待つより他あるまいと一人ごちる。師走の夜風は暗澹たる世間の隙間風のごとく冷たく、男の身体を芯まで突き刺してくる。

 男は物言わぬ漆黒の川を眺める。もうじき年も暮れる寒さに身を晒されているにも拘わらず、自分の顔が映された暗闇の鏡をじっと見ている。おそらくはその向こう側に、かつて男が居た場所が見えているのであろう。徴兵され兵士として戦った多くの者の御霊とともに、男の魂は遥か遠い南国の島で、今もなお彷徨っているのである。


・順番に説明をしていく

・男が何者であるのかを少しずつ提示していく。

・年代、時間、季節が歴史小説的にはややぶっきりらぼうなので、多少のをする

・比喩を使って、一つの物を複数表現する(江戸川、夜、黒)

・語りは最小限にして、できるだけを書いていく。

・序盤の最後だけに語りを入れ、読者に本題の興味を持たせる。

・かつての戦場がレイテであることは男が語らない以上、読者は知りようがないので、後で男の会話によって表現する。

・関わらず→拘わらずorかかわらず。


 これくらいでしょうか。御作の序盤で大事なのは、「この場面(序盤)に世界観を説明して読者を引き込むこと」と「(三人称であるならば)、様態を使って状況を丁寧かつ詳細に説明していくこと」ではないでしょうか。


 以下、序盤以降もこのペースと文体で揃えれば、統一性のとれた作品になると思います。繰り返しになりますが、三人称で感情での盛り上げをしたいときは会話文です。地の文で盛り上げるのは我慢をした方が「余韻」も生まれますし、有効です。


 2.の「より作品を良くするには、どんな所にもっと力を入れて書くべきか。」ですが、上記のように統一性を取ること、すなわち最初にしっかりと設計をすることです。ストーリーはよくできておりますので、あとは文体や作風、表現する意図、話やキャラのテンションの推移などの、「ドラマ全体としての完成度」に気をつけることです。何をするかを事前に詰めて、何をしない(強調しない)かをしっかりと決めておくことが大事だと思います。とにかく、「歴史小説はプロットが命」です。書いていくうちに作者自身が勝手に盛り上がってはいけないジャンルなのです。


 三人称というのは難しく、しかも歴史小説となると更に難度が上がります。盛り上げ方、色艶の出し方、感情表現の抑え方、常にトータルバランスに腐心して何度もチェックする訓練をしていくのが大事だと思います。


 以上、わたしなりのファンサを書かせていただきました。参考にしていただければ幸いです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る