第19話『それ』

「ステラ女史……君の意志は確認したけど、人生の先達として一つ忠告しておくよ」

「忠告、ですか?」

 ステラは不思議そうに訊き返した。

「……、これから生きる上で自身の望みを偽称する必要はない。こんな世界だ、望みを偽ると後悔する」

「……心にとどめておきます」

「そうしてくれると嬉しいよ」

 レインの言う通りなのだろう。

 こんな、

 絶望ばかりの世界で、安く使い潰される自分の存在。

 その中で、自身のささやかな願いさえも軽んじれば、きっと大いに後悔するのだろう。

 でもだからこそ、願いは持つべきではない。

 ささやかな願いすら否定されるのだから。

「さて、では本筋に戻ろうか」

「【災害級】の討滅……、容易く言うが無理難題だぞ?」

 何せ世界を滅ぼした十二の獣の一体だ。

 現存戦力で討ち滅ぼすの難題どころではない。

「そうだね。しかも件の【災害級】は何処に居るのやらだし、もしかしたら居ないかもしれない。だからこそ、哨戒任務を継続しながら戦力の向上を図るつもりだよ」

「戦力の向上?」

「ステラ女史は限界が近いし、君には後ろのお嬢さん二人の錬磨をしてもらう」

 いまは一人でも戦力が欲しいからね。

 レインはそれから幾つかの作戦を語った。

「まあそれも、【災害級】が【生存権内】に居なければ杞憂になるけどね」

「そうあってくれたらいいんだが」

「同感だねぇ」

 


 砂塵舞う、群青の下リーベスは初めてステラが戦う姿を見た。

 彼女の実力は確かなモノだと、一目で確信した。

 先ずは驚くべきその速力。

 魔力で増力ブーストした潜在力ポテンシャルは容易に人間が出せる速力を超越する。

 対人相手には過剰だ。

 強すぎる。

 〈モンスター〉戦用に造られたのは伊達ではない。

「強いな」

「でしょ? 私凄く強いの!」

 模擬戦を終えて、少女ははにかんだ。

「レインさんの計らいのおかげで、今は不満なさそうだよ?」

「何から何まで中将閣下の手のひらの上か」

 周囲からはステラの賛辞が響いている。

「すごいよね、私たちと其処迄歳離れてないのに」

「さてな」

 むっとして、顔を逸らす。

「どうして顔を逸らすの?」

「うるさい」

「むー、どうして顔を逸らすの!」

 ステラが他の男を褒めたことが気に食わないなんて、言えない。

 そもそもどうして、彼女にそんな思いを抱くのだろうか。

「何でもない……それよりもネネ達はどうだ?」

「うん、もともと武器庫で鍛えてたから、飲み込みが早いよ」

 〝妖精兵器〟は皆、遊びの延長で魔力の扱いを覚えている。

「そうか」

 ステラはリーベスの隣に座った。

「君はやっぱり、納得いってない?」

「事がどうあれ、子供を戦いに誘うなんて、許せない」

 どれだけ言っても、〝妖精兵器〟は兵器である。

 同時に生きている。

 レインの計画は上層部の狙いよりかはましだが、〝妖精兵器〟の尽力無くして達成不可能だろう。

「それでも私たちはその為に産まれたんだよ?」

「それでもお前たちは生きている、死ぬために生まれたとしても、お前たちは生きている……」

 心臓の鼓動に耳を傾けてみた。

 今俺は冷静じゃない。

 頭を冷やせ。精神の水底に沈め。

 何を憤る?

 ――憤る理由は分かりきっている。

 自分が思う以上に少女たちが、「大切」になっていたからだ。

 「大切」を侵害されて――心を怒りに染めた。

 偽善的に振舞って、自分の本心を隠した。

 利己的で、独善的で、度し難いほど身勝手で。

 醜い保身のための怒りだ。

「嗚呼」

「リーベス?」

 なんて度し難い。

 なんて愚か。

 どれだけ自身に侮蔑すればいいのだろうか。

 落胆、失望、汚辱。

 自身への嫌悪がふつふつと湧いてくる。

「俺にできることは……、」

 彼女たちを無事に生かして返す事だけだ。

 ただそれだけを自身に銘じて、彼は群青の空を仰いだ。


「リーベス!」

 ネネが黒い毛玉を抱えて走ってくる。

「なんだついて来てたのか?」

「みたい!」

「にゃ!」

 ネネの腕の中から顔を出すリン。

 彼女はリーベスの下に駆け寄ると、彼の膝の上に座った。

「おいおい」

「だめ?」

 見上げて訊いてくる。

「いや、構わんよ」

 イマ、リーベス達は自由時間だ。

 次の哨戒任務が行われるまで、取り敢えず空いている。

「子供の相手も少し慣れてきたかもな」

「ふーん!」

「なんでお前が胸を張るんだ?」

 自慢気に胸を張るネネにツッコミを入れる。

「クーフェはどうしている?」

「うーんとね。なんか砂鯨見たいんだって!」

「そうか」

 今は砂鯨の繫殖期だ。

 もしかしたら砂鯨の交尾が見れるかもしれない。

「……」

 可笑しな感覚だ。

 出る時はあれ程悲壮な覚悟をしているのに、今はこうして暇をつぶしている。

「そう言えば知ってる⁉」

「ん?」

「なんかね! 男の人は女の子と何かするとおまたから茸が生えてくるんだって!」

「ぶっ⁉」

 いきなり何を言うのかと、吹き出してしまう。

「なんかねせーびょーって言うんだって!」

「……忘れなさい」

「えー」

「いいから忘れなさい!」

 恐らく軍人の世迷言を聞いたのだろう。

 やはり最前線だけあって、ここの兵士たちは上品とは言い難い。

 やはり子供にとって良くない環境だ、即刻帰れるようにしよう。

 リーベスは強く誓うのだった。



 ――『それ』は完全になりたいと思った。

 そのために総てを惑わす力を得た。

 其れは進化の過程であり結果であった。

 その事実に『それ』は絶望した。

 より堅固かたく。

 より高速はやく。

 より強靭つよく。

 ――その願いは自身の進化により打ち崩された。

 これ以上は改善できない。

 それは自身の存在の定義を揺るがした。

 『それ』は子をなす事が出来なかった。

 自身が完全になるという進化が欲しかったからだ。系譜を持たずただ一個の『最善』へと至る事こそ至上であり、渇望であった。

 

 故にその望みが潰えたことは、『それ』にとって許し難き絶望であった。

 その怒りの咆哮は三日三晩続き、とある都市くにを滅ぼした。

 しかし『それ』は考えを改めた。

 『それ』は今の自分が『最善』であると考えたのだ。今の自分こそ頂であり、描いた己なのだと。

 そう考えれば悪くない気分だった。

 

 ――『それ』の考えが覆ったのは、同族が討たれからだ。

 『それ』と同様に至上の頂に居た筈の同族は、大地を焼くだけにとどまり、討ち滅ぼされた。

 同族の死に、『それ』はまた咆哮を上げた。

 やはりまだ足りない。

 そう確信するには十分だった。

 完全無欠にはほど遠いのだと、それは確信した。

 そして『それ』は警戒した。同族を討ち滅ぼす種族を。

 それは一個の個体としてはあまりに脆弱。しかして、集団となれば超絶なる力を発揮する。其処に答えがると『それ』は考える。

 相対する考えだが、煮詰まった今の状況ならばそれが答えなのやも知れなかった。


 『それ』は自身を分けた。

 一個にして『最善』へと至る考えを改めた。

 群れとなり、至上へと到達する。

 『一個の群れ』となった。当然『それ』の一個の生存能力は著しく減退した。

 しかし、殲滅能力は大きく上昇し――何より、低俗な生物になったことで『それ』は再び進化を始めた。

 『それ』は一個にして! 系譜を作ったのだ!


 だが『まだ足りない』。

 これで満足なぞ出来る筈が無い。まだ進化には先がある。一個の種族となり滅びる事が無くなった『それ』は貪欲に他を貪った。

 元来の性質を無視して、同種や、同族を討った種族以外を食らい始めたのだ。

 進化の影響か『それ』は飢えている。


 発達する自己に強烈な飢えを宿してしまった。

 増殖する思考の中で、原初の想いと、根源的欲求が重なり『それ』は極めて狡猾でありながら、衝動のままに他を滅ぼす怪物へとなり下がった。

 そして――その歯牙は砂漠の中のとある基地に向かった。


 ――【変色の獣『それ』】は猛き咆哮を上げる。

 折り重なる砲声は、天蓋を震わせた。

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