第2話 偏見を助長するメディアの演出

メディアが障害者を取り上げる際、しばしば「感動」や「同情」を引き出すための演出がなされます。こうした演出は、視聴者の興味を引くために意図的に強調されることが多く、一見、障害に対する理解を広めるように思われます。しかし、実際にはこの演出が偏見を助長し、当事者にとって居心地の悪い状況を作り出す一因となっているのです。


感情に訴える「かわいそう」の演出


メディアが取り上げる障害者に関するストーリーは、しばしば「かわいそうな存在」として描かれ、視聴者に哀れみの感情を抱かせるものになりがちです。この「かわいそう」という印象が強まることで、障害者が「助けが必要で、無力な存在」というイメージが生まれてしまいます。たとえば、障害を持つ人が困難な状況を克服する姿が強調され、あたかも「普通の生活を送ることが難しい」といったメッセージが暗に伝えられることが多いのです。


このような偏った描写により、視聴者は「障害者=かわいそうな人」という認識を持ちやすくなり、日常生活の中で障害者に対して無意識の偏見を抱くことにつながります。多くの障害者は、特別扱いや哀れみを望んでいるわけではなく、ただ普通に生活したいだけなのですが、その思いが十分に伝わらないのが現実です。


障害者を「ヒーロー化」する危険性


一方で、メディアは障害者を「勇気あるヒーロー」としても描くことがあります。困難な状況を乗り越える姿や、他の人々に感動を与える姿が強調されると、それは「障害者であるならば、何か特別なことを成し遂げるべき」という無言の圧力として働きます。障害を持ちながらも成功を収める人は素晴らしいですが、全ての障害者がそのような役割を期待されるのは現実的ではありませんし、当事者にとって過剰なプレッシャーにもなります。


この「ヒーロー化」は、普通の日常を送っている障害者の姿をかえって見えづらくし、支援や理解が必要な面があることを見落とす原因にもなりかねません。


メディア演出が生む「境界線」


これらの感情を煽る演出が、障害者と健常者の間に無意識の境界線を引き、互いを理解し合う妨げとなることがあります。「かわいそう」や「ヒーロー」というレッテルは、障害者を日常生活での自然な関わりの中に溶け込ませにくくし、互いの共通点ではなく差異ばかりが強調される結果となるのです。こうした演出によって、「障害者は特別な存在であり、普通の生活とは違う」という固定観念が強化されてしまうのです。


結論


第2話では、メディアが視聴者の感情を引き出すために行う演出が、どのように偏見や誤解を助長しているかについて考察しました。障害者が「かわいそう」「特別な存在」という偏見に囚われないためには、メディアもまた、障害者の普通の日常や多様な姿を伝える責任があるといえます。次回は、精神障害に対する偏見と、メディアによって生じる「危険な存在」という誤解について、さらに掘り下げていきます。

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