第36話 ビト視点
まさか、あのディラン様が元平民の女に好意を抱くとはな。
また笑ってしまいそうになるのを我慢し、エリオット様のいる執務室を目指す。
先ほどフェリシー様に文句を言っていたディラン様は、まさに恋を自覚せずに好きな子をいじめる子どもの『それ』だった。
わかりやすすぎる態度に、何度吹き出しそうになったことか。
初恋か? まあ、まだ本人も気づいていないようだが。
これはエリオット様に報告したほうがいいのか?
「さて。今日はどんな報告をしよう?」
そんなことを呟いて、ピタッと足を止める。
エリオット様に会う前に、確認しておくべきことがあるからだ。
「あの、すみません」
「はい?」
廊下で窓拭きをしていたメイドに声をかける。
「今日、ディラン様はエリオット様の執務室に行っていましたか?」
「ディラン様ですか?」
「ええ」
フェリシー様とルーカスが会っていたのは午後だ。
昼食の席で兄弟が会っていたとしても、その話をしているはずがない。
たいして仲良くもない兄弟が、昼食のあとわざわざ会っていたら──それはフェリシー様のことを話した可能性が高くなる。
「そうですね。つい先ほど、執務室からディラン様が出てきましたよ」
「つい先ほど?」
「はい。何やら慌てて玄関ホールのほうに走っていきましたが……」
「! そうですか。ありがとうございます」
間違いない。
ディラン様は、エリオット様にも言ったんだ。
おそらく、フェリシー様を外出禁止とかにしてほしかったのだろう。
たとえディラン様が外出禁止だと命令しても、エリオット様が許していればあまり意味がないからだ。
実際にエリオット様がそれを許可したのかはわからないが、フェリシー様と男が2人で会っていたことは知っているということか……。
それなら、その事実は話さなきゃならないな。
どこまでを正直に話すか……ニヤける口元を手で隠し、再び執務室を目指す。
コンコンコン
「ビトです」
「入っていい」
「失礼します」
整理整頓された綺麗な執務室の中で、エリオット様は優雅に紅茶を飲んでいた。
たまたま休憩していたのか、仕事を中断させて俺を待っていたのか。
「今日も出かけていたのか?」
「はい」
「そうか。では、今日は何か変わったことはなかったか?」
「!」
この質問は、いつも報告の際エリオット様が聞いてくることだ。
今日は何か変わったことがあった──それを知っているくせに、直に聞いてくることなく同じ質問をしてくるとは。
俺を試しているのか?
自分からしっかり報告するのかどうかを……。
俺とエリオット様は似ている。
人を試してみたくなったり、ありきたりでつまらないものには興味がなかったり、不要になったものをすぐに切り捨てることができる。
違いは、エリオット様は自分や公爵家にとっての不利益で判断するが、俺は興味が持てるかどうか……それだけで判断する。
処刑人の家系である実家は俺のものではないし、俺には何も失うものがないからだ。
じゃあ……まずは1番言われたいであろうことを言ってやるか。
「本日も絵本の寄付に孤児院に行きまして、そこで貴族男性と知り合いました」
「貴族男性?」
「はい。孤児院にパンを寄付しにきたそうです」
「そうか。どこの家の者だ?」
エリオット様の赤い瞳が、真っ直ぐに俺の左目を見ている。
瞳の揺らぎがないかどうかを見極めているようだ。
フン。俺はヴェルド家の人間だぞ。
嘘をつくとしても、瞳の揺らぎなどあるものか。
たとえエリオット様だとしても、俺が嘘をついているかどうかを見極めることは困難だろう。
まあ、そんなことはどうでもいい。
今はこの質問に正直に答えるかどうかを考えよう。
俺はあの男がクロスター公爵家のルーカスだと知っている……が、あの男は一度も俺やフェリシー様にその名を名乗ってはいない。
言われた通りの『ルカ』という名を言うか、正直に『ルーカス』だと言うか……。
「……わかりません」
「わからない? 名前を聞いていないのか?」
「ルカ様というお名前だけ聞いております。詳しく聞いてしまっては、こちらも名乗らないといけなくなりますので」
「……それもそうだな」
こちらも名乗らないといけなくなる──という言葉に納得してくれたらしい。
エリオット様がフッと軽く笑う。
もちろん、いつも通り目は笑っていないが。
「では、ワトフォード公爵家の名をそのルカという男性には言ってないんだな?」
「はい」
「わかった。……ところで、その男性とはそのまま別れたのか?」
はっ。何を白々しいことを。
知っているのだから、ハッキリ聞いてくればいいだろ。
そんな本音はもちろん隠し、冷静に答える。
「いえ。話があると店に誘われて、少しの時間だけ2人でお話をしていました」
「そうか。その内容は?」
「今後も一緒に孤児院を回りたいというお話だったそうです」
「なぜ?」
「詳しいことはわかりません。ルカ様のお付きの者とともに離れた席にいたため、話の内容は聞こなかったので」
まあ、本当は全部聞こえていたけどな。
でも俺が話す必要はないだろう。こんな言い方をしたなら、きっと……。
エリオット様は小さく「ふん……なるほど」と呟くなり、ニヤッと口角を上げた。
何かおもしろい考えが浮かんだかのような顔だ。
「では、それはフェリシー本人に聞くとしよう。呼んできてくれるか?」
「! はい」
やっぱりな。
思わず俺も口角を上げそうになったが、なんとか真顔を保つ。
俺の予想した通りだと、エリオット様に気づかれてはいけない。
さあ。おもしろくなってきたぞ。
クロスター家の長男と会っていることを、エリオット様にだけは知られたくないはずだ。
フェリシー様は最後まで隠し通すことができるかな?
やはり俺とエリオット様は似たもの同士だと思いながら、俺は頭を下げて執務室から出た。
『今日会っていた男性の件で、エリオット様が聞きたいことがあるらしい』
そう告げたなら、フェリシー様はいったいどんな顔をするのか。
楽しみだ。
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