怪獣が三回寝転んだ

福田 吹太朗

怪獣が三回寝転んだ

その一 おじいちゃんの予言


 ちょっとぼくの話を聞いてほしい。

 これはまだぼくが幼かった頃の話だ。

 ぼくのおじいちゃんが言ったんだ。怪獣には気を付けろ、ってね。

 おじいちゃんは真っ白に染まった顎ひげを撫でながら、ぼくの目をまじまじと見つめていた。おじいちゃんの言葉は重たく、そして説得力に満ちていた。吐く息は草原の風のよう。声は地響きのよう。つくため息は竜巻のようだった。

 おじいちゃんはあくまでも真剣だった。

「宇宙よ、聞くがいい。怪獣が一回寝転ぶ時、地震と災害が発生する。怪獣が二回寝転ぶ時、戦争と、それに続いて飢饉が発生する。怪獣が三回寝転ぶ時……」

「ちょっと待って、おじいちゃん。寝転ぶって言うのは、ひっくり返るってこと? それとも誰かがやっつけるってことなの?」

 おじいちゃんはまたため息をついた。

「それはわたしにも分からない。なぜなら、それはまだ起こってはいないからだ」

 おじいちゃんはそのあとを続けた。

「怪獣が三回寝転ぶ時……」

「ちょっと待っておじいちゃん。怪獣っていうのは、それはどんな姿をしているの?」

 おじいちゃんはぼくを睨んだかのようだった。けどそれはぼくの勘違いで、ただ蝿が一匹、真っ白い眉の上で休んでいたんだ。

「それはわたしには分からない。だってまだ誰もその姿を見てはいないからだ」

 おじいちゃんは濁った声の咳払いをした。

「怪獣が三回寝転ぶ時、世界は滅びてしまう」

「おじいちゃん、それは本当なの?」

 ぼくは非常に気になった。だって、その頃にはおじいちゃんはこの世の人ではないかもしれないけれど、このぼくは、おそらくまだ生きていて、世界が滅んでいくのをこの目で見なくちゃならないからだ。おじいちゃんはぼくの考えを即座に見破ったのか、

「宇宙よ。これはわたしの世代の問題じゃない。きみたちの世代の話なんだよ」

 おじいちゃんは悩ましげだった。

 こうしてぼくたちは、まずはその怪獣を探す旅に出ることになったんだ。


その二 仲間たち


 ぼくがやるわけじゃないんだけれど、少なくとも、この目で怪獣の最後を見届けなければ、きっと一生後悔することになっただろう。

 だからぼくは仲間を募って、とりあえずあちらこちらをあてどなく歩き回ることにした。

 あ、やるって言うのは、殺るって意味じゃないから、どうか安心して。

 ぼくの仲間は二人だった。

 右側にいるのが大地。頭はイマイチだったけど、腕力だけだったら誰にも負けない、そんなやつだった。

 左側にいるのが海原。大きなことをいつも言うんだけれど、大抵はでたらめ、けれどごくたまにまぐれ当りもあるもんだから、こうして仲間に加えたってわけなんだ。

 大地は言った。

「なあに、怪獣って言ったって、どうせライオンの子供みたいなもんだろう? おれがひと捻りしてやるから、今から棺桶を用意しておいてくれ」

 彼はそう言って、力こぶを作って見せていた。

 海原も負けじと言った。

「きみたちじゃ心もとないな。きっとすぐに道に迷っちまう。だからこのぼくが、正しき道へと導いてやるのさ」

 彼は誇らしげだった。

 ぼくは言った。あ。ちなみにぼくの名前は宇宙。父と母はどこかで生きているって噂だけど、本当なのかどうかは分からない。ぼくは物心ついた時からずっと、おじいちゃんと一緒に暮らしてきたんだ。ぼくは言った。

「けれど三人じゃ足りないな。もし怪獣がライオンの子ほどの大きさじゃなくて、あの入道雲に届くぐらいだったら、ぼくらはおしまいだ。もう一人仲間がいるな」

 けれど大地と海原はほぼ同時に、

「そんなの後で探せばいい」

「もし三人の手に余るようなら、そん時はそん時だ」

 こうしてぼくたち三人は、まずは怪獣が現れそうな、兆候から探し始めたってわけなのさ。


その三 真っ黒焦げになった怪獣


 話はいきなり前後する。

 前後っていうより、いきなり最後まで飛んでしまうんだ。

 ぼくたちの目の前には、巨大なクレーターがぽっかり空いていた。

 そこの真ん中の一番低くなった場所、すり鉢で言ったら先端と表現したらいいのだろうか? そこには萎れた花のように、真っ黒く焦げた焼け焦げた新聞紙の燃え残りのような小さな塊が、縮こまって固まっていたってわけなのさ。

 周囲にはやはり真っ黒い色の、穴ぼこがいくつも空いていた。

 ぼくはただただ驚きながら、情けない気分と哀れみの気分が半々となって、いつまでも眺めていたんだ。

 あれは一体なんなのか? あれが怪獣の死体に違いない。あんなに呆気なくやられてしまうなんて……世界が滅びるっていうよりも、このクレーターのように、ぼくの心には大きな穴が空いてしまったんだ。


その四 旅館


 旅を続けるには当然泊まる場所を確保しなければならない。

 ぼくはポケットを探ってみたが、お金なんて入っているはずもない。ただたった一枚、誰か偉い人が即位した時の記念硬貨が出てきただけだ。

 他の二人も似たようなものだった。

「どうするよ? 今晩は野宿でもすんのか?」

 大地は案外小心者なのか、野宿を嫌っているみたいなので、ぼくが面白がってからかうと、

「おれは蚊が苦手なんだ。勘弁してくれよな」

 などと言って、早くも全身を掻く仕草をしていたのが余計におかしかった。

 けど実際野宿が大変なのは分かりきったことだった。だからぼくたちは、血眼になって少しでも安い宿を探す他に、残された道はなかった。

 海原はこういう時、一番頼りになった。率先して先頭を歩き、安い宿の見分け方を我々二人に伝授していた。

「いいか? この宿屋はダメだ。看板がまだ新しいだろう? これは工事して何もかも改装した証拠だ。きっとその時使った分の金を上乗せして、ぼったくるに違いない」

 次の宿屋では、

「ここは一見古くて、料金も安いんじゃないかと思ってしまう。でもよく見てみろ」

 ぼくたちは窓にかかったカーテンの隙間から、中を覗き込んだ。

「ほら、あそこには古い額縁が飾ってある。あっちにはメダルがいくつも。記念品みたいのだってまるで見せびらかすように、何個もあるだろ? ここは古くからある由緒正しい宿屋なんだ。きっと受付の人間だってこの界隈じゃ有名で、格式の高い場所としてお高い値段を請求してくるのさ」

「なるほどね」

 ぼくと大地は、唸るように納得したのだ。

 通りはだんだん狭くなっていく。それに連れて情け容赦なく周囲は暗くなっていき、道の両側の視界も悪くなる一方なのだった。

 その最も奥まった場所に、一軒の萎びた旅館があった。文字通り水気がなくなって、今にも干涸びてしまいそうな佇まいを見せていた。

 海原は大声で言った。

「よし! ここなら大丈夫だ」

 大丈夫というより、もうこの旅館しか残ってはいなかったんだよ。

 ぼくたちは格安の料金でチェックインしたのだけど、時刻はもうすでに午前三時を回っており、束の間の休息を取ることしか出来なかった。


その五 兆候


 ぼくたちは寝ぼけ眼のまま、ゆらゆらと起き上がった。なけなしのお金をかき集めて支払うと、旅館のオヤジは一本抜けた歯を見せ口を開けて笑いながら、ぼくらをさっさと追い出したがっていた。ぼくたちはそれに従うしかなかった。

 その小さな街道沿いの町を出ると、目の前には広大な平野が広がっていた。

 そこを進むのが近道に思えた。ぼくは海原に、

「東? 西? それとも南か北?」

 海原はいかにも旅の達人のように、指を立てて風向きなどを探りながら、

「東だな。いやいや、ここはまずは南に進むのが賢明だ」

 などとかなりいい加減な道案内をしていたのだ。

 その平野はどこまでも広がっているようにも見えた。

 気が遠くなるようだった。だがこんなところで立ち止まってしまえば、怪獣どころか狼か野獣の群れに襲われるのは目に見えていたのだ。

 ぼくらはひたすら進んで行った。うんざりするぐらい同じ地面が続く真下を俯いて眺めながらも、それとは対照的に真上を見上げると、真っ青な空が気持ちがいいほどに、どこまでも広がっていたのだ。

 ぼくはその瞬間だけ清々しい気分になっていた。けれどそういう時に限って、何か不吉なことが起きるものなんだ。

「おいおい、なんだこりゃ」

 意外と小心者だった大地が恐れをなしていたのもある意味当然で、いきなり地面が大きく揺れ出したのだ。

 そればかりか、メキメキと嫌な音を立てながらさらに揺れは強くなって地割れが起き、広大な平野にゼットやエスやエヌの文字を並べて連ねたような一筋の巨大な割れ目が走って、何万年も消せない傷跡を残していた。

「何だか嫌な感じだな」

 海原が心配そうな顔で言った。さらに言葉を続けて、

「これは何かの兆候に違いない。その例の怪獣がそろそろ目覚める前触れなんじゃないのか?」

 彼は訝っており、ぼくはあえて黙っていたんだけど、全くその通りなのだった。

 これはきっと、何か嫌なことが起こるきっかけ、前兆だとしか思えなかった。

 ぼくたち三人は、次の余震が来ては大ごとだと、慌てて早足で進むしかなかったのだ。


その六 繭のようなドーム


 目の前には巨大なドームがあった。白っぽい半透明の長細いボウルをひっくり返したような形状で、微かに透き通った壁の中では、何か巨大なものが横たわっているようにも見えたのだ。

 あれがおそらく、例の怪獣に違いない。

 まだ眠っているのか、薬で眠らされているのか、ともかく何か巨大な影が薄っすらと見えたのだ。

 確かにあれが目を覚まして、起き上がったら一大事だ。

 ぼくは双眼鏡を取り出して、その建物にもっと接近して見ようと試みたのだが、それ以上は何も仔細な情報を得ることは出来ず、仕方なしに一度引き下がることにしたのだ。

 怪獣はまだ目覚めてはいない。目覚めさせてはいけない。

 けれど相手は相当気紛れな本能の持ち主で、ぼくらが何と思おうとも、目覚めたい時には勝手に目覚めてしまうのだろう。

 もしそうなったらどうなってしまうのだろうか? ぼくは思わず身震いし、ひとまず安全な場所へと避難したのだった。

 これは幻想なんかじゃない。空想の世界の出来事でも、妄想ですらなかった。

 覚悟を決めておかねば。ぼくは強風で煽られるマントの端っこを掴みながら、向かい風に逆らって、避難テントへと向かったのだった。


その七 狭い町


 とある町へと辿り着いた。

 人口が密集しており、ぼくたちの手には負えないぐらいに住民たちが右往左往し、押し合いへし合いしていたのだ。

 地震の被害者が早くもテントに住んで生活していた。どこかの親切な人たちがあっという間に、板チョコの溝のように規則正しく並べてしまったのだ。チョコの溝の部分はテントとテントを区切る細い道だった。

 どんどん人々が避難してくる。町の人口は嫌でも膨らみ、生まれたばかりのネズミがゾウになろうとチーズを無理矢理胃の中に詰め込んでいるようだった。

 ぼくと大地と海原とは、町を取り囲むブロック塀の、四隅のいずれかに陣取り、じっとしているしかその時は何も出来なかった。

 救援のための食糧が運ばれてくる。空腹に耐えかねた人々は、皆で寄ってたかってその袋にしがみつくと、なりふり構わずそれらを奪い去っていった。

「ひどいな」

「ひどいな」

「まったくひどい。ひどいもんさ。みんな必死なんだ」

 ぼくらのいる位置からはそれらの光景がよく見えた。彼らは怪獣に食べられてしまう以前に、自分たちの食べ物を探し出すのに、死に物狂いだった。

「さ、今のうちだぞ? 一刻も早くここからは脱出しないとな」

 海原がそう言って立ち上がった。ぼくと大地もそれに続いて歩き出し、何も売られていない空っぽの市場を抜けて、人気のないシャッターだらけの商店街を通り過ぎると、やがてすぐに町の出口が見えてきたのだった。


その八 川


 目の前に巨大な幅の川が見えていた。

 何でも噂によると、そこを渡り切ると別の国の土地で、こちら側とは比べものにならないほどに裕福だという話だった。

 川の手前の岸辺には、大勢の人たちが向こう岸へと渡る機会を窺っていた。泳ぎの達者な人の中には、泳いでその川を渡る猛者もいたのだが、ぼくら三人にそんな力はなく、大人しく他の人たちと同じ列に並んでいた。

 列の先頭のすぐ目の前には船着き場があって、何艘もの小型の舟と渡し守がいて、金を取って人々を対岸へと運んでいるのだ。

 長い時間待った末に、ようやくぼくらの番が回ってきた。渡し守に三人分の料金を渡すと、その今にも傾きそうな細長い舟に乗り込んだのだった。

 渡し守は櫂一つで、巧みに舟を操縦していた。舟は順調に川を横断しているように見えた。が、川の中ほどまで来た途端、その渡し守はいきなり漕ぐ手を止め、舟を停止させてしまったのだ。

「おいおい、こりゃ一体何なんだ?」

 大地がそう言うと、その渡し守は呑気にキセルに火を入れ、煙を美味そうに吐き出しながら、

「なあに。よくあるハプニングというやつさ」

「ハプニング? 料金はきちんと支払っただろ?」

 海原がそう抗議したのだが、渡し守は平然としながら、

「水面の下をよく見てみな? 藻が異常に繁殖していやがるだろ? こうなると船底にも櫂にも傷がつくし、その分の割り増し代金をもらわないと、割に合わないからなあ」

 今度はぼくが、

「じゃあもし払わなかったら? 元の岸辺に戻るのかい?」

 渡し守は鋭い目線で、

「そん時はここに留まることになる」

「エッ?」

 三人は同時に奇声を上げた。この場に留まるって……

「それっておじさんだって、ここから動けないってことだろ? それでいいのかい?」

 渡し守は吸い終えたキセルをひっくり返し、トントンと叩いて灰を落としながら、

「おれはいくらでも泳げるからな。どのみち舟が傷モノになるぐらいだったら、泳いで戻った方がマシさ」

 こんなのはぼったくりよりもタチが悪かった。

 ぼくたちは慌てて財布の中身を確認していたのだが……

「足りないんだろ? 最初から分かっていたさ」

「ならどうして? どうして舟に乗せたのさ?」

 渡し守は一本どころか、黄ばんで四、五本は抜けた歯を見せながら大声で笑い、

「あんたらが乗りたいって言うから乗せたまでだよ」

 と、完全に責任転嫁していたのだ。そして、

「まあ仕方ない。今からクイズを出すから、それに答えられたら温順しく続きを漕いでやる」

「クイズって……もし間違えたら?」

 しかしその問いには答えず、渡し守はいきなり出題を始めたのだ。

「……足があって帽子も被っているのに、水の中で泳いで暮らしているものは? さあ、分かるかな?」

 その目の前の人物は、揶揄うように笑っていた。

 ぼくと大地は海原を見た。彼だけが頼りだった。

「時間制限を設けようかな? ええと、今から三十秒……」

「そ、それは……イカだ! 帽子を被っていて、足が生えていて水の中で暮らしている!」

 渡し守はやれやれという顔になりながら、その後は貝となり、一言も話さず対岸へと漕ぎ切ったのだった。


その九 鬱蒼と茂った森


 川を渡れば裕福な国。それは幻想に過ぎなかった。

 目の前には鬱蒼とした巨大な森が姿を現したのだ。

 ここを通り過ぎれば豊かな都会のジャングルか、オアシスでも待っているのだろうか? その確証はなかった。それでも背後には川、右も左も濃い緑色の木々が見えるだけで、どう考えたって前に進むしか道はなかったんだ。

 とにかくこんな所でモタモタとしていれば、怪獣にやられる前に毒蛇かワニの餌食になってしまうことだろう。それだけは何としても避けなくてはならない。その一心でぼくたちは、森の中へと踏み込んで行ったのだ。

 幸いなことに、森の中を進むのはぼくたちだけではなかった。大勢の人たち、おそらく例の川を渡ってきた同じ目的の人々が、蛇行しながら連なって、アリの行列のように一定方向目指して歩いていたのだ。ぼくらはただ、彼らにくっ付いて行けばよかった。森の地面には沢山の人が歩いたことを示す、踏み固められた跡が出来ていて、一筋の道になっていた。大勢の人がすでにここを通ったのだろう。

「すごい人数だな。けど何だか心強いな」

 大地が言った。確かにその通りなのだった。

「彼らについて行けばいい。はぐれることもないさ」

 海原もそう楽観していた。

 けれどもそういう時になるとなぜか決まって、まるで誰かのいたずらのように、ちょっとした良くないことが起きるものなんだ。

 突然空気を振動させるような虫の羽音が聴こえた。一匹の巨大なハチが、ぼくら目がけて一直線に向かって来たのである。

 虫が嫌いな大地などは、真っ先に逃げ出していた。ぼくと海原も、それに続いてただひたすら全速力で走り出すしかなかった。

 ぼくたちははぐれてしまった。ここがどこなのか分からない。先ほどの踏み固められた道は姿を消し、ただ鬱蒼と茂る濃い緑色の植物が、周囲を埋め尽くしているだけなのだった。

 いきなり木々の向こう側で、数人の男性の声がした。大地はすぐに飛び出して行こうとしたのだが、海原がそれを押しとどめた。

「もう少し様子を見よう」

 ぼくたちは葉っぱの間から、声のした方を覗き込んだのだ。

 屈強な男たちが、鉈や斧みたいな刃物を使って、ものすごい数の木を伐採していた。

 何だかヤバそうな雰囲気だ。ぼくたちはそっと、その場を離れようとした。けれどもぼくが誤って、木の枝を思い切り踏んでしまった。ポキッという音が響いたかと思うと、あっという間に男たちに取り囲まれていたのだ。

「ぼくたちは怪しいものじゃないんです。旅をしているだけなんです」

 言葉が通じなかったのか、聞こえても聞こえないフリをしていたのか、彼らは刃物を手にしながら、次第に周囲からその輪を縮めてきた。

 刃物の先端が、木々の間からの光線を反射して、ギラリと輝いた。

「なんだ、まだ子供じゃないか」

 彼らの最後尾で年長者らしき人の声がした。

「見逃してやれ。どうせ何も出来はしない」

 ぼくらはただ黙って、立ち去ろうとした。

 けれどもこのぼくは、なぜかこんな時に好奇心が湧いてしまい、思わず尋ねてしまったのだ。

「あのう……これって、何に使うのですか?」

 大地と海原の額には、冷や汗が伝っていた。

 しかしその年長者は、案外気さくに、

「これはな、怪獣のエサになるんだよ。だから我々はこれらの木の枝を売って、生計を立てているのさ」

 その男性はそれだけ言うと、黙って目で早く行くようにと、促したのだった。

 ぼくたちは大急ぎでその場を離れた。するとしばらくして、目の前に例の、踏み固められた細い道が見えてきたのだ。


その十 秘密の研究


 ブルーシートというのは何だか生理的に気分が悪い。

 研究室の庭の一画に、まさにそんな場所がわざわざ作られていた。

 きっちり真四角になるよう、金属のポールが地面に打ち込まれ、その周りをシートで覆ったスペースの中は外界からはすっかり遮断されて、数名の声のみが聞こえるだけだった。

「これは失敗作ですか? 成功作ですか?」

「うーん、何とも言えませんね」

「足がホラ、片側だけ短い」

「あ、ほんとだ。そういえば腕も」

「ねじれてますね」

「尻尾が二本生えてしまっている」

「これじゃあ失敗作だな」

 やや沈黙があった。

「そうとも言えませんよ? 何も均整のとれた、モデルみたいな体型を目指している訳ではないのですよ。これで十分です」

「ですが生えかけの角はどうします? 設計図には載っていなかったのですが?」

「いずれ取れてポロリと落ちるんだよ。子供の歯みたいにね」

「そうですか。なら安心しました」

 ブルーシートの内側は覗けなかった。だから実際その生き物らしきものが、どんな姿をしていたのかは分からない。

「よし。じゃあ埋めちゃいますか?」

「ですね。どうせプロトタイプですし」

「ま、埋めればゴミ、生かせば資源ですよ。電池だけは抜き取っておきますか」

「それはまだ使えますからね。買ったばかりだし。単三でしたっけ? 単四でしたっけ?」

「アルカリ充電式ですよ」

「なら目覚まし時計にでも入れておくか。最近よく眠れなくてね」

「そりゃそうでしょう。この開発に失敗したら、我々全員銃殺刑ですからね」

 何やら不穏な言葉が飛び交い始めたので、ぼくはそこからはそっと、退出したのだった。


その十一 メガシティ


「ビルだ! ビルが見えているじゃないか!」

 海原が興奮したように叫んでいた。

 鬱蒼とした森を抜けると、目の前にはいきなり、大都会が広がっていた。

「こんなところに怪獣はいるのか? 大体金がないんだぞ? ここでどうやって生活するんだ?」

 大地の懸念ももっともだった。

 けれどもここまで来た以上、わざわざ都市の外で野宿するのも何だか馬鹿らしい。だからぼくたちは、覚悟を決めて都市の中へと踏み込んで行ったんだ。

「とりあえず、今晩一晩でも泊まれる場所を探すしかないよな」

 海原が一応財布の中を確認しながらそう言った。

 通りは活気に満ちていた。車が行き交い、店には商品が溢れ、通りを歩く人たちが身に付けているものは、豪華なブランド品ばかりだった。

「いいよなー、皆さんたくさんお金があって」

 大地は皮肉たっぷりにそう言ったのだが、ぼくは出来の悪い弟に苦言を呈する兄のように、

「なあなあ大地くん、そんなこと今さら言ったって、どうしようもないんだからね」

「まあそうなんだけどな」

 大地は苦笑いしていた。

 ぼくたち三人は、大通りをあてどなく、何時間も野良犬のように歩いていたのだった。すると突然背後から、

「きみたち、こんなところで何をしているんだい?」

 ぼくらは思わず振り向いた。それは三人の共通の友人で、名前を冥界といったのだ。

 冥界の現れるところには、死が必ずやってくる。ぼくらの間では周知の事実、慣用句のように使われている言葉なのだった。

 ぼくはとてつもなく嫌な予感がした。

「きみがいるってことは、まさか……」

 そのまさかだった。

 巨大なビルの先端に、突如として隕石のような、けれどもそれは明らかに人工的に作られた爆弾で、それが炸裂した瞬間、もうすでに無数の破片が道路に飛び散っていたのだ。

「ほらね。ぼくは厄病神なんだ」

 冥界は涼しい顔をしていた。

「ほらねじゃないよ。一体どうしてくれるんだよ。お前が現れたせいで……」

「せいで? これは例の怪獣が出現する兆候なんだよ。地震に続いて戦争だな。だけどまだまだ、こんなのは序の口にすぎない」

「って言うと?」

 海原が興味深そうに聞いた。

「戦争センソウ、その次に来るのは、一体なーんだ?」

「おいおい、ぼくたちを馬鹿にしているのか?」

「ま、今に分かることだろうさ」

 ともかくもぼくたちは、新たに加わった四人目の仲間とともに、どこか安全な場所を探して大慌てで避難したのだった。


その十二 西方の三博士


 長い長い人々の列。

 皆痩せ細り、疲労困憊して倒れる者も続出していた。

 次に正体を現したのは、飢餓なのだった。

 乾いた大地に雨は降らない。水は一滴も残っていない。人々は絶望し、生きる目標を失い、食べるという行為がどんなものかすら忘れかけていたのだが、それでも何とか生きようと、木の枝を見ると口に咥えたくなり、ガラスの破片が反射すると水たまりと勘違いしたのだった。

 大勢の人々が、難民キャンプへとやって来ていた。

 テントが無数に設営され、それらは真上から眺めるとまるで、色とりどりの傘が花開いたようにも見えたのだが、皮肉なことにこの地には、もう百日間も一滴の雨すら降ってはいなかった。

 ぼくたちはどういう訳か、こんな世界の最果てへとやって来てしまったのである。

 突如として都市が攻撃され、そこから逃れるために列車に飛び乗ったのだが、着いた終着駅が砂漠のど真ん中なのだった。

 予定だと、次に列車が到着するのは、十二時間後とのことなのだった。

「まずいな。もうすでに怪獣は、二回寝転んだ、ってことかな?」

 海原が深刻な顔でそう言った。

「そうに違いない。早くそいつを見つけ出して、退治してしまわないとな。世界が滅んじまう」

 大地のその言葉を聞いた途端、冥界が皮肉っぽく言ったのだ。

「おいおい、本気で倒せる相手だと考えているのか? それは無理ってもんさ。大体まだその姿すら、見つけてはいないじゃないか」

 その通りではあったのだが、面と向かって言われると、嫌な気分になるものなのだ。

 戦争もまだ続いていた。テントにあった小さなオンボロのラジオからは、絶えず戦況を伝えるニュース放送が流れていたのである。

「……カタツムリ国が今のところ有利に戦いを進めております。ジワジワと第二の都市に進軍しておりますが、ムカデ国も必死で防衛にあたっており、戦況は一進一退、ここから何が起きるのかは想像すらつきません……」

 ぼくたちのいるテント内には、何だか悪い空気が充満していた。気を紛らわせるために、ぼくら四人は表へと出て、焼けつくような太陽の下、ウロウロと散歩することにしたのだ。

 しばらく行くと、明らかに他のとは形が違う、天井の先の部分が尖ったカラフルなテントがあり、ぼくたちは興味本位で、そちらへと近付いて行ったのだ。

 テントの入り口でそっと気付かれないように中を窺っていると、中からいきなり、

「どうぞ」

 という声が聞こえてきた。

 中は外とは対照的に、無機質で何の飾り気もなかった。ただ椅子が三つ真横に並んでいて、三人の人物がこちら向きに腰掛けていた。全員真っ白い長いあご髭を生やし、かなりの年長者だった。

 一番左側の人物が言った。

「我々は西の方角からやって来たんだよ。きみたちは東からかね?」

「ええそうです。たぶん……」

 真ん中の人物が言った。

「わざわざ長い距離を、こうして歩いてやって来たのさ。世界の果てを見てみたくてね。それと別のものも」

「別のものって、それは何ですか?」

 右側の人物は、その言葉を無視して喋り始めた。

「世界を破滅に導くものが何だか知っているかい?」

「例の怪獣ですか?」

「そうじゃない。それはな……」

 三人はまるでリハーサルでも重ねたように、左から順々に、

「宗教、迷信」

「金と欲、それに?」

「人間のエゴさ」

 三人の声は見事なまでに、リズムもテンポも合っていた。やはり何度も練習したのだろうか?

 ぼくたちはキョトンとしたまま、その外から見ればカラフルなテントを後にしたのだった。


その十三 実験室


 これはぼくが実際に見たことではない。冥界から後日聞いた話なのである。

 彼は自由自在に気配を消すことが出来た。おまけに変装の名人だった。

 彼の主張だと、自分はとある小さな実験室に侵入したと言うのである。

 誰にも気付かれなかった、らしい。そこでは秘密の研究が行われていたのだが、特にピリピリと張り詰めた空気ではなく、たとえて言うなら、学生たちが放課後集まって、皆で和気藹々とサークル活動でもやっている雰囲気とのことだった。

「おい、見ろよ! もうすぐ完成するぞ!」

「何だこれ、まるで人間の赤ちゃんみたいだな」

「でも確実に動いているぞ。動いている!」

 実験室内は大騒ぎだった。

 冥界がそれとなく覗いたところ、確かに巨大なビーカー状のものの中には、まるで人間の胎児のような、大きさも形もそっくりの生き物がいて、微かに息をするように振動していたのだ。ただ人間と違っていたのは、臍の緒で繋がっていた訳ではなく、ビーカーの外側まで伸びた電源コードによく似たワイヤが何本も、その生き物へと繋がれて装着されており、真四角な機械によって人工的に、電気パルスか何かで刺激を与えていたらしい。

 ぼくは無知だったし、特に理系や科学のことなんかは全く理解できなかったので、それがどういった実験だったのかは、その話を聞いてもよく分からなかった。

 ただ一つ言えることは、おそらくなのだが、それが後の怪獣の原型になったということなのだ。その点では冥界とも意見は一致していた。

 ビーカーの中の怪獣の赤ちゃんは、スヤスヤと息をして無防備な状態を晒していた。もしその時思い切って……いや。悪いのはそれを作った人間だ。赤ちゃんに罪はない。最初はみんなそうなんだ。純粋で無垢な存在なんだ。

 ただぼくがその話を聞いて思ったことといえば……相手は決して機械のような無慈悲な物体ではなく、もしかしたら話せば分かる生き物だったのかもしれない。


その十四 病気


 とある町の市場にやって来ていた。

 あの例の最果ての砂漠から列車に飛び乗ると、やっとのことでこんな所まで辿り着いたという訳なんだ。

 ぼくらは夕食を安く済ませようと、その巨大な市場で食材探しをしていた。

 さっきからやたらと大地が、

「かゆいかゆい。何なんだ、これは」

 と、二の腕の辺りを掻きむしっていた。見るとイボ状のものがいくつもできていた。

 海原が、

「病院に行った方がいいんじゃないのか? まだその程度とはいえ」

 すると大地は、

「そうだな。軟膏でも処方してもらえば、このかゆみは止まるだろうさ。だから蚊とか虫は嫌いなんだよなあ」

 彼は大きな体に似合わずに、泣き言を言っていたのだ。

 病院はなぜかごった返していた。廊下にまで患者で溢れ、皆が大地と同じように、腕や足や背中や首筋を掻きむしっていた。

「何だか嫌な感じだ。ここには長居しない方がいい」

 冥界がそう言うので、ぼくたちは大地の治療の順番を待たず、病院を後にしたのだ。

 大地は冥界が、民間療法のようなやり方で治療をした。と言っても、蒸しタオルを患部に巻いただけなんだけど。

 冥界は真剣な表情で言った。

「これで徐々にかゆみは治まるはずだ。それとこの町からは一刻も早く、離れたほうがいい。死のにおいがするんだ」

 彼に言われた通り、ぼくらは電車に乗って、かなり遠くの別の町まで、移動することにしたのだ。

 降りた駅で、テレビのニュースが流れていた。

「……現在東の国で、正体不明の病気が流行している模様であります。国際医療機関はこれを、イボイボ病と名付けました。今のところ、人命を左右するほどの病気ではない模様であります……」

 そのニュースを見た冥界が、

「ほらな。地震、戦争、飢餓ときて、今度は疫病だ」

 海原が納得しながら、

「これにも怪獣が関わっているってわけか」

 だが当の大地自身は、とっくに蒸しタオルは外しており、

「おれは治ったからな。もう大丈夫だから、安心しな」

 などと、案外一番元気になっていたのだった。


その十五 想像図


 きっと冥界は、ぼくや大地や海原よりも、はるかにずっと多くの、怪獣に関する情報を知っているに違いない。

 それは実験室に忍び込んだ一件以外にも、例えば爆弾が落ちてきた都市には先に辿り着いていたし、怪獣の特性を何となく言い当てていたし、会話の端々からもそうだとしか考えられないと、ぼくなりに判断してみたんだ。

 ぼくはそのことを、冥界本人に尋ねてみた。

 するとやっぱり、

「ああ、多分ね。だってぼくは、この目で怪獣の姿を目撃しているからね」

「えっ? それは本当なのか?」

 ぼくら三人からは一斉に驚きの声が上がった。

「けどあんまり期待されても困るね。見たのは一度きりだし、ぼくには特殊な能力があるからいいものの、本来は人の目には見えないらしいからね」

 彼の話によるとこうらしい。怪獣は空気のような目には見えない存在で、それを作った人間たちでさえ、その真の正体を掴みかねているというのだ。

 姿が見えないので、ビデオカメラ等でも撮影は出来ず、その証拠すら残ってはいないらしいのだ。

 大地がそれを聞いて、

「だったら絵に描いたらいいじゃないか。それだったら何となくだが、大まかな部分は伝わるだろ?」

 彼にしては名案なのだった。

 しかしながら実際誰が、その絵を描くかという話になると、

「おれは自分で言い出しておいて悪いんだけど、絵はからっきし苦手なんだ。リンゴ一個だって描けやしない」

 大地に続いて海原も、

「ぼくも文章だったら書けるけど、イラストとか絵は苦手だなあ。またの機会に」

 という訳で、このぼくがその目には見えない生き物の姿を、絵に描いてみんなに分からせるという、無理難題に挑戦することとなったんだ。

「えーと、体は? 体全体の形とか」

「そうだねえ、確か、全体的に丸みを帯びていたはず」

「腕は? あと尻尾が生えているとかいないとか」

「腕は確か長くて、自由に伸び縮みしたり、引っ込めたり出来たような。尻尾はどうだったかなあ……」

「顔は? どんな顔をしていたんだい?」

「輪郭は丸くて、耳は尖っていて、鼻は二つの小さな穴があるだけ、目はそう、まん丸く大きくなってみたり、時に切れ長のような形に変化したり、口は確か……真っ赤な炎が吹き出すような、煌々と燃えるような印象だった気がする」

「他には?」

「他には……あ!」

「何だい?」

「翼が生えていたよ。それで大空を自由に羽ばたくんだ」

 何だか冥界の記憶による証言はあやふやだった。

 それでもぼくは何とか、絵にはしてみたんだけど……

「あれっ? 足はどうしたんだっけ?」

「足は細くて木の枝みたいだった。頼りない感じだな」

「そりゃほんとかい?」

 大地が皆を代表して、びっくりして声を上げたのだった。

 冥界は淡々と説明を続けた。

「何でも聞いた噂によると、予算が足りなくなって、足の部分は後回しにされた結果、そんなことになってしまったらしい」

「そんないい加減なことってあるのか?」

 海原も驚いていたのだった。

「ま、そんなところかな。どっちみち見えないんだから、合ってるのか違っているのか、証明のしようがないんだけどね」

 冥界は開き直ったかのように言ったのだ。

 ぼくはマジックペンとクレヨンを置いて、

「よし。こんな感じかな?」

 出来上がった絵は、どことなく何かに似ていた。

「あれっ? それって……確か南の島にいるっていう、かわいらしい鳥にそっくりだな」

 大地に気付かれてしまった。確かに翼が生えて丸っこい体を持った足の細い生き物は、鳥にしか見えなかったのだった。


その十六 怪獣の棲んでる場所


 怪獣が一回寝転ぶ時、地震と災害が発生する。怪獣が二回寝転ぶ時、戦争と、それに続いて飢饉が発生する……。

 おじいちゃんの予言は見事に当たっていたんだ。おまけにそこには疫病までくっ付いて、怪獣はその有り余る能力威力を大いに発揮して、さぞや有頂天だったに違いない。しかしそうなると……怪獣はもうすでに、二回は寝転んだってことなのか。

 怪獣が三回寝転ぶ時……できれば怪獣には、もうそれ以上寝転んで欲しくはなかった。そいつはいいやつに違いない、そいつはいいやつに違いないんだ。ぼくは自分に言い聞かせた。怪獣にだって、きっと親身になって言い聞かせれば、何をするのが良くて、何をするのが間違っているのかぐらい分かるはずだ。やつはきっといい怪獣に決まっているんだ。

 だけどそもそも、そいつの居場所がどこなのか分からなければ、どうしようもないじゃないか。世界のあちらこちらで災害や戦争や飢饉やおかしな病は頻発している。そいつらはみんな、あの怪獣のせいなんだ。

 ぼくは改めて、みんなに相談したのだった。

「なあ、怪獣は一体どこに潜んでいると思う?」

 しばらく沈黙があった。海原がその重苦しい空気を少しでも軽くしようと、

「あの砂漠のテントにいた三人を思い出してみろよ? 彼らは西から来たって言っていた。ぼくたちは東から。するとあと残っているのは……」

「南か北、って訳だな?」

 大地が真面目な顔で言った。

 すると冥界がはっきりとした口調で、

「それは北に違いない。ぼくの勘に過ぎないんだが、そっちの方角が何だか怪しい気がする。あの実験室があったのだって、確か北だった」

 最後にぼくが言った。

「よし。じゃあこれからすぐに、北に向かうとするか。三回寝転ぶ前に辿り着けなければ、大変なことになってしまう」

 ぼくたちは慌てて、北を目指して出発したのだ。


その十七 戦闘


 戦争は北の地でも行われていた。だけど何かがおかしい。まるで味方同士で戦っているみたいだ。だがそれともちょっと違う。四方八方、滅多矢鱈に攻撃を仕掛けているみたいなんだ。

 ぼくはようやくそこで思い出した。あの怪獣は目に見えないんだ。だからあたかも、味方が味方に発砲しているように見えてしまったのだろう。

 もちろん、ぼくら四人の目にも見えてはいなかった。あ、冥界を除いてだから、正確には三人なんだけど。

「一体何が起きているんだ? さっぱり分かんねえ。なあ、解説を頼むよ」

 大地が冥界に、無茶とも言えるお願いをしていた。

「解説って……そうだなあ、あ! 今二機の戦闘機が、怪獣に向かって……あーあ、全然違うところを攻撃しているよ。ああっ! 次は戦車が……!」

 海原が呆れたように、

「無理があるだろ。見えないものを見えるようにだなんて」

 すると大地は反省でもするように、

「それもそうだな。これは済まねえ」

 しかし海原は、そこでふと考え込み、

「けどもしあの姿が見えたらなあ。たやすく攻撃出来るのに。何か方法はないのか?」

「方法って、怪獣の姿を見えるようにするってこと? さあそれは……」

 冥界にも限界はあった。そこでぼくがふと、

「あれって本当に実態がないって意味なのかい? それとも、ただ透明になっているだけなの?」

「さあ……それは何とも」

 ぼくはそこで、物は試しにと、いつも防犯のために持ち歩いている、カラーボールを投げつけたんだ。

「ダメだよ。全然違うところに飛んで行ったぞ?」

 冥界は悔しそうに言った。ぼくは、

「せめてどっちの方向なのか、指示してくれないか?」

 カラーボールはもう残ってはいなかった。仕方がないので、マジックペンを手に取ると、

「あっちだ! もっと上の方だ!」

 どうやら怪獣は、かなりの高さの上空を舞っているらしい。ぼくは冥界の指示通りに、マジックペンを放り投げたのだが、それは虚しく回転しながら、青空の中に消えてしまった。

 ポケットの中を探ると、もうクレヨンしか残ってはいなかった。ぼくは真っ赤なお気に入りのクレヨンを手に取り、

「今だ! すぐ近くにいる!」

 すぐさま思い切り放り投げると、コン、という甲高い小さな音とともに、それは徐々に姿を現していった。

 それは南の島の鳥というよりは、動物の赤ちゃんのようだった。

 あどけない姿だったのだ。


その十八 寝た子を起こすな


 怪獣は疲れてしまったのか、ゆっくり地面に降り立つと、そのまま横になってスヤスヤと寝息を立てて寝てしまった。

「なんだ。随分とかわいらしい子じゃないか」

「きっと疲れてしまっているんだよ」

「寝た子を起こすな、って言うからな」

「もしあと一回寝転んだら……」

 ぼくらは興奮しながら勝手なことを言っていた。

 怪獣は微かな寝息とともに、気持ちよさそうに眠っており、確かにここで起こすのはかわいそうな気がした。

 だからぼくは、みんなに提案した。

「このままゆっくり寝かしておこう」

 そんな時、最悪なタイミングで、遠くから不快で耳障りな音が聴こえてきた。ぼくはとても嫌な予感がした。

 それは思った通り飛行機という文明の利器、言い換えればテクノロジーの化け物だった。

 それらが編隊を組んで、大挙して押し寄せて来たのだ。心地良さそうに眠っていた怪獣は、尖った耳がほんの僅かに動いたように見えた。

「マズいな。何だかとても稚拙な手のような気がする」

「やつらあの子のことを、攻撃するつもりなのかな?」

「あと一回、もうあと一回だぞ……」

「もうぼくら、ここらでサヨナラかもしれない……」

 その巨大な軍用機は怪獣のちょうど真上に回り込み、大きな鉄の塊を投下し始めたのだ。

 ヒューヒューという音が辺りを切り裂いて、大量の爆弾が雨あられと降り注いでいた。

 怪獣は微動だにしない。最初のうちは少なくともそうだった。周囲に立ち込めた煙と同様、精神的にも煙たくなってきたのか、やがて徐々に体をもたげ始めたのだ。

「あと一回、あと一回転んだらおしまいだぞ……」

 誰からともなく、そんな言葉が飛び交った。正直言って怪獣は、爆弾の一つや二つ、あるいは百個や千個など、物ともしなかった。

 そしていきなり立ち上がった。

 当たり前の話だが、寝ていれば寝転ぶことはないのだけど、立ち上がるとすっ転んで、寝転ぶ可能性が生まれてしまったのだ。

 怪獣はほとんど無傷だった。だけど立ち上がった瞬間、そこいら中に落ちている不発弾の一つを踏みつけてしまい、ただでさえ細い足で支えていた巨体は平衡を失い、怪獣は呆気なく転倒してしまったのだった。

 その次には、世界が一瞬で消滅した。


その十九 おじいちゃんのぼくの予言


 ぼくの宇宙は消滅した。

 ぼくは新たに一からやり直さなければならなかった。

 ぼくの目の前には、一人の小さな子供がいる。その名前を太陽といった。ぼくは今まで目にしてきたことを、次の世代に伝える義務のようなものがあった。

「太陽よ、聞くがいい。怪獣が一回寝転ぶ時、地震と災害が発生する。怪獣が二回寝転ぶ時、戦争と、それに続いて飢饉が発生する。怪獣が三回寝転ぶ時……」

「ちょっと待って、宇宙おじいちゃん。寝転ぶって言うのは、ひっくり返るってこと? それとも誰かがやっつけるってことなの?」

 ぼくは思わずため息をついてしまった。

「それはぼくにも分からない。いや、思い出したくもないんだ。なぜなら、それはあまりにも鮮明で、今でも目の前で光が点滅し続けているからだ」

 ぼくはそのあとを続けた。

「怪獣が三回寝転ぶ時……」

「ちょっと待っておじいちゃん。怪獣っていうのは、それはどんな姿をしているの?」

 ぼくは太陽に優しく微笑みかけた。太陽もそれに応えて、ニコリと微笑んだ。

「それはぼくが見つけるんじゃない。きみ自身がその目と耳と足で探し出すんだからね?」

 ぼくは太陽に、世界の行く末を正確に伝える必要があると感じていたんだ。ぼくの失敗を繰り返して欲しくもなかった。

「怪獣が三回寝転ぶ時、世界は滅びてしまう」

「おじいちゃん、それは本当なの? ぼくはとても心配しちゃうな。だって、その頃にはおじいちゃんはこの世の人ではないかもしれないけれど、このぼくはおそらくまだ生きていて、世界が滅んでいくのをこの目で見なくちゃならないんだからね」

 太陽は実にしっかりとしていて、何もかもよく分かった子供だった。ぼくはそこでようやく安心し、

「太陽よ。これはぼくの世代の問題じゃない。きみたちの世代の話なんだよ」

 ぼくは誇らしく思ったのだ。

 彼なら何とかしてくれると感じたからだ。

 こうして太陽は、そのいつの時代にも正体を現す、怪獣を探す旅に出ることになった。

 それからぼくは静かに眠りについた。何の音も聴こえない、安らかな世界だった。ぼくの睡眠は徐々に徐々に、深くなっていく……ふと片目を開けて、空を見上げると、小さな蚊のような虫が飛んでいた。それは虫に見えたのだが、どこかしら鳥にも似ていた。南の島に生息するとかいう、何とかっていう鳥だ。

 けれどもぼくは、それを夢の中で見ていたのか、現実に見ていたのかさえ、夢うつつで分からなくなっていたんだ。

 それからぼくはしっかりと目を閉じ、後はただ空っぽの容器のように、自分の存在さえ分からなくなってしまったんだ。

 何もかも忘れてしまった。けど世界は続いていく。



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怪獣が三回寝転んだ 福田 吹太朗 @fukutarro

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