語り得ないものには、沈黙せねばならない

○前段


1 : Die Welt ist alles, was der Fall ist.

世界は全てである。あらゆる何か、その現象がそこにあるに依る。


2 : Was der Fall ist, die Tatsache, ist das Bestehen von Sachverhalten.

何が提示されているのか。事実・現象とは事態が実在することである。


3 : Das logische Bild der Tatsachen ist der Gedanke.

事実・現象の論理上の像が、思考である。


4 : Der Gedanke ist der sinnvolle Satz.

思考は意味のある命題である。


5 : Der Satz ist eine Wahrheitsfunktion der Elementarsätze. (Der Elementarsatz ist eine Wahrheitsfunktion seiner selbst.)

命題は要素命題の真理関数である。 (要素命題はそれ自体の真理関数である。)


6 : Die allgemeine Form der Wahrheitsfunktion ist: [p¯,ξ¯,N(ξ¯)].. Dies ist die allgemeine Form des Satzes.

真理関数一般は、[p¯,ξ¯,N(ξ¯)]と書ける。これは命題の一般形式である。


ここまでのまとめ:

「世界」より「命題」を引き出している。


 世界→事実・現象の集合体。

 事実・現象→事態の集合体。

(事態は更にこと・ものに分解される)


(主体は世界と像の境界として存在する)


 事実・現象を観測する→像。

 像の具体化(→写像化)→思考。

 思考の有意味化→命題。


 命題の「語りえること」を最大化するため、

 まずは命題を最小点(要素命題)にまで分解し、

 全ての命題を最小点の組み合わせにまで深める。



6.1 : Die Sätze der Logik sind Tautologien.

論理命題はトートロジーである。


6.2 : Die Mathematik ist eine logische Methode. Die Sätze der Mathematik sind Gleichungen, also Scheinsätze.

数学は論理的な方法である。数学の定理は方程式、つまり擬似定理となる。


6.3 : Die Erforschung der Logik bedeutet die Erforschung aller Gesetzmäßigkeit. Und außerhalb der Logik ist alles Zufall.

論理の研究はすべての法則の研究を意味する。そして論理の外ではすべてが偶然である。


6.4 : Alle Sätze sind gleichwertig.

すべての命題は同等である。


6.5 : Zu einer Antwort, die man nicht aussprechen kann, kann man auch die Frage nicht aussprechen. Das Rätsel gibt es nicht. Wenn sich eine Frage überhaupt stellen lässt, so kann sie auch beantwortet werden.

答えが言えなければ、質問も言えない。懐疑論は存在しない。質問ができるのであれば、それに答えることもできるはずなのだから。




○派生図


6001

|……

└51

 ├21

 |└2

 ├3

 └4





6.51 : Skeptizismus ist nicht unwiderleglich, sondern offenbar unsinnig, wenn er bezweifeln will, wo nicht gefragt werden kann. Denn Zweifel kann nur bestehen, wo eine Frage besteht; eine Frage nur, wo eine Antwort besteht, und diese nur, wo etwas gesagt werden kann.

懐疑主義は反駁できないわけではないが、尋ねることができないところを疑いたいのであれば、明らかにナンセンスである。なぜなら、疑いは、疑問があるところにのみ存在し得るからです。質問は答えがある場合にのみ行われ、これは何かが言える場合にのみ行われます。


6.52 : Wir fühlen, dass, selbst wenn alle möglichen wissenschaftlichen Fragen beantwortet sind, unsere Lebensprobleme noch gar nicht berührt sind. Freilich bleibt dann eben keine Frage mehr; und eben dies ist die Antwort.

たとえすべての考えられる科学的疑問が答えられたとしても、私たちの生活の問題にはまだ触れられていないと私たちは感じています。もちろん、それでは何の疑問も残りません。これが答えです。


6.521 : Die Lösung des Problems des Lebens merkt man am Verschwinden dieses Problems. (Ist nicht dies der Grund, warum Menschen, denen der Sinn des Lebens nach langen Zweifeln klar wurde, warum diese dann nicht sagen konnten, worin dieser Sinn bestand?)

人生の問題の解決は、この問題の消滅に見ることができます。 (これが、長い疑問の末に人生の意味が明らかになった人々が、その意味を語れなくなった理由ではないでしょうか?)


6.522 : Es gibt allerdings Unaussprechliches. Dies zeigt sich, es ist das Mystische.

しかし、言い表せないこともあります。これはそれ自体を示しており、神秘的です。


6.53 : Die richtige Methode der Philosophie wäre eigentlich die: Nichts zu sagen, als was sich sagen lässt, also Sätze der Naturwissenschaft - also etwas, was mit Philosophie nichts zu tun hat -, und dann immer, wenn ein anderer etwas Metaphysisches sagen wollte, ihm nachzuweisen, dass er gewissen Zeichen in seinen Sätzen keine Bedeutung gegeben hat. Diese Methode wäre für den anderen unbefriedigend - er hätte nicht das Gefühl, dass wir ihn Philosophie lehrten - aber sie wäre die einzig streng richtige.

哲学の正しい方法は、実際にはこうだろう: 言えること、つまり自然科学の命題、つまり哲学とは何の関係もないこと以外は何も言わず、その後、誰かが形而上学的なことを言いたいときはいつでも、彼が命題の中の特定の記号に何の意味も与えていないことを彼に証明してください。この方法は他の人にとっては満足できないでしょう - 彼は私たちが彼に哲学を教えているという感覚を持たないでしょう - しかしそれが唯一厳密に正しい方法です。


6.54 : Meine Sätze erläutern dadurch, dass sie der, welcher mich versteht, am Ende als unsinnig erkennt, wenn er durch sie - auf ihnen - über sie hinausgestiegen ist. (Er muss sozusagen die Leiter wegwerfen, nachdem er auf ihr hinaufgestiegen ist.) Er muss diese Sätze überwinden, dann sieht er die Welt richtig.

私の命題は、私を理解する人なら誰でも、その命題を通してその命題を乗り越えたとき、最終的にはその命題が無意味であると認識するという事実によって説明されます。 (彼は、梯子を登った後、いわば、梯子を捨てなければなりません。)彼はこれらの命題を克服しなければなりません、そうすれば彼は世界を正しく見ることができるでしょう。


7 : Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.

話してはいけないことについては、沈黙しなければなりません。




 ヴィトちん「あのさぁ、答え出しようのないものに対してあれこれ語ったところで意味ないよ? それって全部あなたの感想ですよね、にしかならないからね?」


 ひどい人である。そのうえでこうも言うのだ。「以上、すべて私の感想でした」。


 ヴィトゲンシュタインが言いたいのは「形而上学的議論はすべて答えを持たないものにしかなりえない。論理もまた形而上学的位置づけに確かになるのであり、一応このように語りはしたが、結局の所このあたりも現象として語り得ず、ならばこれらを語ることにも最終的には意味がない」という感じになるだろうか。


 ならば、己の信ずるところを「現象」として表現するよりほかないのだ。沈黙はあくまで「言葉としての表現」についてでしかなく、信ずるところは、行いとして表現するか、あるいは己のうちに秘められている「信念」の涵養としてのみ実践すべきである、と。ふむふむ。


 ……斉物論やん!


 うーん、まぁ最終的に「やっぱり斉物論の内容を事細かに、だいぶ生きづらそうな性格を反映した内容で、執拗に」表現したもの、というはじめの印象は変わらなかった。


 ただ一点、ここが致命的に、決定的に違う。

 ヴィトゲンシュタインは、はしごをかけ、懸命によじ登り、行き着いた先……「限定された世界の端」にて膝を折り、限定されたものの「先」を仰ぎ、祈っている。しかしこうした苦悩を老子は、莊子は、そして仏典の説く菩薩たちは、ひょいと世界の、その先に飛び込んでしまっている。


 これはひどい、これはひどい……。


 さて、これでわからない箇所箇所を飛ばしつつ、なんとかひと通りの文章に接した。「わかった」とは到底書けない。今後また改めて読み返してまた理解を深めていくことにはなりそうだが、とりあえず現状の理解を、斉物論たちも交えて整理してみたく思います。


 というわけで、『論考』周りラストは大長編です。

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