第8話 友達がいた

 放課後の校舎は、静けさの中に何とも言えない寂しさをまとっている。夕焼けが窓から差し込み、廊下や教室をオレンジ色に染めていた。時音と一緒に過ごした最近の日々が、まるで夢のように思える。未来から来た彼女と、なぜか少しずつ近づいている実感がある自分がいた。


 けれども、そんな静かな時間が永遠に続くわけではない。廊下で一緒に歩く時音の隣に、新たな影が加わった。


 「おい、悠真!」


 軽やかな声が背後から響く。振り向くと、そこに立っていたのは拓真だ。クラスメイトで、何かと俺にちょっかいを出してくる、明るいヤツだ。


 「なんだよ、拓真?」


 俺が少し呆れたように問いかけると、彼はにやりと笑って俺と時音を交互に見た。彼の目が時音に向けられると、なぜか俺は落ち着かない気持ちになった。


 「いやぁ、驚いたよ。悠真がこんなに可愛い子と一緒にいるなんて、どういうこと?」


 拓真は時音に向かって、まるで品定めをするような視線を送っていた。彼の目が彼女に向かうたび、なぜか心にモヤがかかるような感覚があった。


 時音は少し戸惑ったように、俺にちらりと視線を送ってきた。その目が「どうしたらいい?」と尋ねているようで、思わず胸がきゅんとする。


 「えっと……拓真くんだっけ? 初めまして、時音です」


 時音が少し緊張しながらも丁寧に挨拶をすると、拓真はにんまりと笑って彼女に一歩近づいた。


 「へえ、時音ちゃんか。名前まで可愛いじゃん。悠真、ちょっと俺に彼女貸してくれよ、少し話したいことがあるんだ」


 拓真のその言葉に、俺は思わず眉をひそめた。彼女に何を話そうとしているのか、まるで見当もつかないが、時音が彼に心を引かれてしまうのではという不安が押し寄せてくる。


 「いや、時音は俺と一緒に帰る予定だ」


 思わずそう言ってしまった自分に少し驚くが、拓真の視線が意味ありげにこちらを見た。


 「なんだよ、悠真。そんなに独占するなって。ちょっとくらい俺にも話させてくれよ」


 拓真が軽く肩をすくめ、時音に話しかける。彼の軽やかな話し方と笑顔に、時音も自然と笑みを浮かべているのがわかった。心の奥が少し締めつけられるようで、俺はその場を離れることもできずにただ見つめていた。


 数分後、拓真がようやく満足したのか、時音に向かって「また話そうね」と手を振って去っていった。彼が見えなくなると、時音がふっと肩の力を抜いた。


 「……ちょっと緊張した」


 時音がほっとしたように小さくつぶやいた。その言葉に、俺は少し安堵した。どうやら、彼女も拓真に心を奪われたわけではなさそうだ。


 「まあ、あいつはそういうヤツだからさ。何か失礼なことでも言われたか?」


 俺が聞くと、時音は首を横に振った。そして、少し照れたように笑う。


 「ううん、ただ悠真くんの友達だってわかって、なんだか安心しただけ」


 その言葉に、胸がほんの少し温かくなった。彼女が俺を頼ってくれているのが、妙に嬉しかったのだ。


 校舎を出て歩きながら、時音が小さな声で話しかけてきた。


 「ねえ、悠真くん。私、悠真くんのことをもっと知りたいって思うの」


 その言葉に、心が大きく跳ねた。彼女の言葉が、これまで以上に近くに感じられる。


 「もっと知りたいって、俺のことなんてそんなに面白くないと思うけどな」


 俺が少し照れながら答えると、時音は楽しそうにくすくすと笑った。


 「そんなことないよ。悠真くんがどんなことを考えているのか、知りたいなって」


 その言葉に、俺もつい笑顔になった。彼女の笑顔が、俺の心を軽くしてくれる。


 「……じゃあ、俺も時音のことをもっと知りたいな」


 そう返すと、時音は少し驚いたように目を丸くしたが、やがて顔を赤らめて下を向いた。その照れた仕草がなんとも可愛らしくて、思わず目をそらしてしまう。


 ふと、時音が立ち止まった。俺も足を止め、彼女の顔を覗き込む。


 「悠真くん、あの……」


 彼女の声が少し震えているように感じて、俺は軽く彼女の肩に触れた。その触れた瞬間、彼女がびくっと小さく震えたのがわかる。


 「どうした? 何かあったか?」


 俺が優しく問いかけると、彼女はほんのり頬を染め、口元を少し開いた。


 「ごめんね、ただ……悠真くんがそばにいてくれると、なんだか安心して……」


 時音の言葉に、胸が温かくなるのを感じた。彼女が少しずつ俺を信じてくれているのが、嬉しかった。


 「そっか。俺も、時音がそばにいると心が落ち着くんだ」


 俺が真剣な表情で答えると、時音は照れくさそうに微笑んだ。そして、俺の腕にそっと手を添えてきた。その手が少し冷たく、けれど彼女の温もりが感じられて、俺は思わず握り返した。


 「ありがとう、悠真くん」


 時音の小さな声が、夜風に溶け込んで耳に響いた。その声に、俺の胸がドキドキと高鳴っていく。


 俺たちは少しの間、そのまま手をつないで静かに立ち尽くしていた。時音の横顔が月明かりに照らされ、俺の心に強く焼き付いていく。


 気づけば、彼女が少しだけ顔を寄せてきて、俺の肩にもたれかかっていた。その瞬間、胸の奥で何かがはじけるような感覚があった。


 「時音……」


 俺が彼女の名前を呼ぶと、時音は顔を上げて俺をじっと見つめてきた。その瞳に吸い込まれそうで、言葉を失ってしまう。


 気づけば、俺たちの距離はごくわずかに縮まっていた。彼女の唇がほんのりと輝き、俺は無意識に目を閉じた。


 けれども、その瞬間にふいに拓真の姿が脳裏によぎる。彼が時音に向けた視線や言葉が、なぜか胸に引っかかって、俺はふと冷静に戻った。


 気まずい沈黙が流れる中で、時音がふわりと笑った。


 「ごめんね、悠真くん。私、少し距離が近すぎたかも」


 彼女の言葉に、俺も軽く笑って肩の力を抜いた。心のどこかで時音をもっと近くに感じたい気持ちと、彼女に対する複雑な気持ちが交差している。


 「いや、こっちこそ……ちょっとびっくりしただけだから」


 俺が少し照れながら答えると、時音はまた微笑んだ。その笑顔が、何もかもを包み込むようで、俺は安心感を覚えた。

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