コールドスリープねこ

さなこばと

前編

 もう食べられないよ……。

 ご主人さま、今日の猫缶大きすぎて、食べても食べても終わらないよ……!

 幸せ。

 ボクはとろんとした微睡みがすごく心地よかった。

 もっと、もっとと喉をゴロゴロ鳴らすんだけど、だんだんと目の前のエサ箱がかすんできた。

 ボクのごはんが消えていく。

 前足を伸ばしてカリカリするけど、全然触れている感覚がなくて、ボクは必死になって確保しようとする。

 でも、それは意味がないみたいで、視界は少しずつ暗くなっていって……。


 ボクは目覚めた。




 ボクが眠っていた場所は、ふわふわした白い布が敷き詰められた大きな箱だった。

 布には自分の匂い以外は何もしない。

 ご主人さまの匂いがしないのに、どうしてボクはご主人さまとごはんの夢を見ていたんだろう。

 二度寝したらまた続きが見られるなら、と思って目を閉じてみる。

 でも、さっきまでぐっすり寝ていたみたいに頭がすっきりしていて、体をすぐにでも動かしたい気分。すごくうずうずする。

 しばらくの間は眠りたくてもムリそうだ。

 ボクは目を開けて、座り込んだまま尻尾をゆらゆらさせる。

 そこで気づいた。

 ボクの尻尾、二本になってない……?

 自分のお尻をまじまじと見つめる。

 尻尾は、綺麗に分裂したかのように二本あり、不思議だねと言わんばかりにくねりくねりと動いてた。

 なんだっけ、これ。

 体の具合は良好で、尻尾も二本分の感覚がある。

 とりあえずお腹がすいた。

 ボクはぐぐっと伸びをする。そして箱からぴょんと飛び出すと、ご主人さまの家を探すことにした。



 寝ていた箱は大きな建物の内部に置かれていたみたいだ。

 薄暗い通路を誰とも会わないまま駆けて、たくさんある階段を飛び降りて、着地すると一旦周りを見回した。

 人っ子一人いない。ここには誰も住んでないのかもしれない。

 通路に沿って大きな窓が並ぶ、その一画に箱が積まれていた。軽い体でスッスッと上る。

 そうして目の前の窓ガラスに、ボクは外をよく見ようと思って前足をピタリとつけた。

 ピシリという音がして、窓にひび割れができた。

 ……もう一度、今度はたたいてみた。

 ボクが触れたところを中心にひびが広がって、細かな破片がきらきらと散った。

 そうやって三度四度とたたいていたら、窓ガラスはばらばらに砕けた。

 衝撃に弱い窓だったのかも。

 ボクはそこから外に出ることにした。

 こなごなのガラス片を踏まないように慎重に足を進めて、そして――目をぎゅっと閉じた。

 斜め前方向から日射しが強烈なまぶしさで差し込んできていたのだ。

 もうこんな時間なんだ。

 あと少ししたら日が沈んで暗くなるのかも。

 何の気配もしない静かな街を、ボクは直感に従って右へと歩き出した。

 巡回に行くときはいつも右回りだったからだ。



 道路はひび割れて散々なことになっている。

 あちこちに草が盛んに茂っていて、人による手入れがされていないのがわかる。

 もしくはもうこの街は捨てられたのかも。

 ボクが眠っている間に何があったんだろう。

 道脇の自販機は錆だらけで潜り込むのも避けたいくらいだし、親しみ深かった家々の屋根も塀も崩れ落ちたりしていて……まるでこの街に良くないことが起きたみたいだ。

 あまりにも周りの景色が一変していて、心細さが忍び寄ってきて、ボクは走るスピードを上げた。

 誰とも出会わない。

 生きているものがどこにもいない。

 ボクはひとりぼっちだ。


 また、あの頃みたいになるのかな。


 嫌な思い出を散らすように、ボクは前のめりになって疾走する。

 不思議なことに長く走っていても疲れない。

 ついさっきまでものすごく眠り込んでいたみたいだから、体に元気が満ちているのかも。

 ボクは駆ける。

 ご主人さまを見つけるため、ご主人さまに撫でてもらうため、ご主人さまからごはんをもらうため。

 一刻も早く会いたい。

 そして、ボクは見覚えのある道に出た。

 ご主人さまの家はこの通りを曲がったら、もうそう遠くはない。

 だったら全力で走り切るだけだ!



 駆けに駆けて。

 ボクは目的地にたどり着いた。


 家のあった場所は、空き地になっていた。

 張り紙をした看板が、片隅に寂しく立っている。

 ボクは人間の言葉が読めない。

 もしかしたらご主人さまからの何かのメッセージが書かれているかもしれないのに。


 砕かれたコンクリート片が雑然と広がるだけの光景を眺めながら。

 ボクは座り込んで何も言えないまま呆然としていた。

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