第35話:俺とシェリィとの関係って

 パチパチと、薪が燃えてはじける小さな音。

 虫の声。

 何か、鳥だか何だかの声。

 たまに風が吹き、草木がざわめく音。。

 ぼそぼそとわずかに聞こえてくる、見張りのささやき声。


 それら以外は実に静かな夜だ。

 だけど、油断はできない。昨夜も同じような静けさがまず存在し、それをひっくり返してぶち壊した襲撃者の存在があった。静かだからと油断はできない。


 けれど、それにしたって本当に静かな夜だ。

 暗い夜の世界の中で、いま、たき火の明かりが照らし出す範囲内だけが、俺たちが生きることを許された世界──そんなふうに感じてしまう。


「……それで? そのおかみさんはなんて言ったんだ?」

「……ボクのこと、よくはたらく、いい子だって……」


 うつらうつらしながら、シェリィが答えた。


「ボク、泣いてたの……。泣いてたら、おかみさんに、『なにめそめそしてるんだい』って……。それで、『泣いてるひまがあるならこっちに来な』って……。『こっちはいそがしいんだ、ぴーぴー泣いてるあいだにイモの皮でもむけるだろ』って……」


 なんだかひどいことを言われてる気がする。

 でも、シェリィは、眠そうな顔で、微笑んだんだ。


「うれしかった……。イモ、あらったら、ほめられた……。皮、むいたら、ほめられた……。イモ、切ったら、ほめられた……。ボク、なにしても……ほめて、もらえた……。あんなに、ヒトにほめられたこと、なかった……」

「褒められたことが、無かった?」

「ごはん、食べさせてくれた、きこりのおじいちゃん、こわかった……。ほめてくれなかった……。ごはん、食べさせてくれた……でも、こわかった……」

「きこりのおじいちゃん?」


 話の流れが変わった気がして、どういう意味かと思ったけど、シェリィはこっくりこっくり、途切れ途切れになりながら、話を続ける。


「いつも、こわいお顔……お顔、半分、おひげの……『ヒト』のおじいちゃん……」

「『人のお爺ちゃん』? それは誰なんだ?」

「森にいた……。こわかった……。いつもこわいお顔だった……。ボクをにらんで、いつも、『また来たやがったのか、チビ』って……。『こっちに来い』って、水、かけられた……」


 森にいたひげ面の老人──俺と出会う前のことだろう。その老人から何らかの虐待を受けたのか──そう思ったけれど、違った。


「からだ、ふいてくれて……。『火に当たれ、あったかくしろ』って……。『これも食え、あれも食え』って……。『はやくねろ』って……」


 目を閉じて語る彼女の頬が、どこか緩んでいるように感じられる。


「……あさになって、『また来やがれ、チビ』って……。それで、おなかすいたとき、いったら、『また来やがったのか、チビ』って……」


 どうも、彼女の話を聞いていると、その「お爺ちゃん」という木こりの人は、顔が怖くてぶっきらぼうだったってだけで、とてもいい人だったんじゃないだろうかと思えてくる。水をかけたのも、俺と出会う前なら犬同様の全身もふもふバージョンの姿だっただろうから、汚れを落とすためだったと考えたら納得だ。


 シェリィが以前してくれた話によれば、彼女は人間によって親きょうだいを殺されて、かろうじてたった一人で逃げ出したはず。

 だから彼女は「人なんて嫌い」と言い、俺に対しても最初はすごく敵対的だった。


 でも、それでもこうして今、俺のそばにいるのは、その爺さんの経験があったからなんじゃないだろうか。シェリィ自身、怖いと言いながら、何度もそのきこりの爺さんのところに通っていたらしいのだから、その爺さんが自身を脅かす存在ではないことを理解していたのだろう。


 ぶっきらぼうだから褒められもしないし、ああしろこうしろと命令口調だったかもしれないけれど、それでもシェリィを手酷く扱うような人ではなかったに違いない。


「……ひょっとして、シェリィに『恩には恩で返せ』って教えたお爺ちゃんっていうのが、その木こりの老人……って、おい……」


 シェリィはもう、眠っていた。


 今日は、食事の準備や後片付けなどを頑張ったんだ。やったことのない、慣れない作業をして、疲れがたまっていたに違いない。


 そっと彼女のそばに行き、毛布を肩までかけてやる。


「はふぅ……ご主人、さま……」


 もぞもぞと毛布の中で丸くなりながらつぶやいた彼女を見て、何とも言えない思いがこみ上げてくる。


 一時はあんな喧嘩状態になってしまい、探しても見つからなかったときには、以前の森に帰ってしまったんじゃないかとまで思った。

 彼女が恩返しを終えるときが、お別れのとき──そう理解しているはずなのに、彼女を失うことを、ひどく恐れている俺がいる。今日はそれを思い知らされた。


『オンナって生き物はな、なにかあっても口では不満を言わずに、腹に溜め込んでいくモンなんだ。それであるとき火を噴いて、以後、突然いなくなる……』


 デュクスの言葉を思い返す。彼はきっと恋人同士になった女性についての話をしたんだろう。シェリィとの関係はそういうものじゃないけれど──なにげなくそう思ってから、はたと気づく。


 じゃあ、俺とシェリィって、どんな関係なんだ?


 恋人同士……ではない。それだけは間違いなく言える。だいいち、恋人を「ご主人様」などと呼ぶはずがないじゃないか。

 じゃあ、主従関係? それもない。シェリィは口では俺を「ご主人様」なんて呼んでるけど、いつでもそれを彼女の方から打ち切ることができるのは、昨夜の姿を見れば明らかだ。

 だったら友達か? それも違う気がする。もしも俺たちが友達と呼べるような気安い関係だったら、やっぱり昨日みたいなことにはならないだろうからだ。


 いつも左腕にしがみつくようにして左隣を歩くのは、じゃあなんだ? と思うけれど、これは慣れない人間社会で、俺からはぐれないようにしていると考えたら一発で説明がつく。だからはぐれることを気にする必要もなかった昨夜なんて、自分から離れていって、ひとりで馬車の下に潜り込んで俺との会話も拒絶していた。


 一緒にいてよく顔を赤くしてるのも、「(別にカレカノという関係でもないのに)一緒にいてうわさとかされると恥ずかしいし……」とかいうアレだとすれば、これまた説明がつくような気もする。


 あれっ、なんだか胸が猛烈に痛い……。

 だめだ、考えるのをやめよう。致命傷になりそうだ。

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