第30話:静かな夜の平穏を乱す者は

「カズマ、寝るのは構わんが、万が一の時にはさっさと起きてくれよ?」


 不寝番の見張りを交代したデュクスの言葉に、俺も笑いながら答える。


「大丈夫。俺、これでも寝起きはいい方なんだ」

「カズマ、符丁ふちょうは覚えているな?」

符丁ふちょう?」


 符丁ふちょう──合言葉のことだ。「風」と聞かれたら「谷」と答えるような。


「え、ええと、『俺の──』」

「分かっているならいい。叩き起こされるときは一大事ってことだからな。自分で判断して行動できるように、忘れるんじゃねえぞ」


 そう言って、デュクスが定位置につく。

 少し早めに見張りの交代をしてくれたデュクスに感謝しつつ、シェリィに声を掛けた。早く寝て、明日に備えたかった。


 ところがシェリィは、不機嫌そうに頬を膨らませたままだった。

 ……ああ、そういえばさっきの会話で、なにか不満そうだった。見張りをして、月を一緒に見上げているときのシェリィは、一緒に銀の月が好きだとか言い合って、あんなに可愛かったのに。


「……ボク、あっちで寝る」

「シェリィ?」

「あっちで寝る。ご主人さま、たき火のそばで寝てればいい。ボク、一人で寝るから」

「どうしたんだ? シェリィらしくない」

「『ボクらしくない』……? ご主人さま、ボクの何を知ってるっていうの? ボク、もう決めたもん! ひとりで寝る! 寝るったら寝る!」

「お、おい、シェリィ……?」


 こんなシェリィは初めて見た。いや初めて会ったときに近いだろうか。

 さっきまで、心が通じ合ってたと思ってたのに。さっきまでの平穏な夜はなんだったんだ?

 こんなとき、どう声をかければいいんだろう。嫌がるのを無理に誘うのは、よくないんじゃないか? 彼女には、彼女の考え方があるんだし。


「……そ、そうか? 分かった、じゃあ……」


 ためらいながらも、俺はシェリィに毛布を渡した。彼女は不思議そうに、俺と毛布を何度も見比べた。


「……ご主人、さま?」

「あっちで寝るんだろ? ほら、たき火から離れると冷えるから」


 するとシェリィの奴、目を見開いてからうつむいて、ますます不機嫌そうな顔になると、毛布をひったくるようにして行ってしまった。


「……なんなんだ?」


 首をかしげていると、デュクスがめちゃくちゃでっかいため息を、すぐ後ろで吐いた。うなじに生温かい吐息が垂れ流されたんだ、もうすこしで悲鳴を上げるところだったよ!


「なな、なんだよっ!」

「我が弟子ながら、情けなくて涙が出てくるぜ」


 デュクスはそう言うと、背中を思いっきり平手打ちしやがった!


「いってえっ!」

「この唐変木のウスラトンカチ。あんなチビでもオンナだぞ。すぐに行って悪かったと頭を下げてこい。理由が分からなくてもだ」

「なんだよそれ!」

「もういい、分からなくていいからとにかく謝ってこい。女ってのは、こじらせると後々めんどくさいんだ。おまえがこのあとへしゃげて使い物にならなくなっちまったら、何のためにこんな旨味の少ない仕事を選んだか、分からなくなる。……さっさと行ってこい。一緒に連れてくるまで戻って来るなよ」


 デュクスにいわれて、仕方なく、離れた荷車の車輪の下に潜り込んだシェリィのところに行くことにした。

 途中で、別の見張りの男から「なんだ、お前」と呼び止められた。


「──おっと、気を悪くするなよ。確認だ、これも仕事なんだ。オレの女にドレスを買えなくなるんでね。持ち場を離れてなにをしている?」

「俺の女は花で十分だぞ。……相棒がさ、……あそこの、荷車の下にいて……」

「ん? ああ、獣人のチビか。なんだ、ちゃんと躾けておけよ」


 ニヤニヤと笑みを浮かべる護衛の男に、俺はため息をついた。気を取り直し、シェリィが下に潜り込んでいる荷車のところまで行く。


「……ボク、もう寝るもん。話しかけないで」


 彼女の言葉がひどく固く感じられた。腰のあたりで、ばさっと、一瞬だけ毛布が揺れる。


「わ、悪かった。その……ごめん!」

「知らない。ボクって、カズマさまのこと、『ボクを追い出すいやなヒトって思ってる』、そう思ってるんでしょ」

「……は? どういう意味だよ」

「もういいもん。カズマさま、ボクのこと、そう見てるヒトってわかったもん。もういいもん」


 ……なんか、すねている。俺のことも「ご主人様」と呼ばなくなった。いやそれ自体は悪いことじゃないんだけど、どうなってるんだ?


「な、なあ、シェリィ。あのさ……」

「ボク、シェリィじゃないもん。それ、カズマさまが勝手に呼んでるだけだもん。ボク、ほんとはシェルィトゥィだもん」


 ……ほんとにめんどくさい。デュクスの言う通りだった。


「……分かった、分かったからさ、その……怒るなというか、機嫌を直せとは言わないけどさ……」

「ボク、怒ってないもん」


 そう言って、荷車の下の、そのさらに奥にもぞもぞと潜っていく。

 彼女の腰のあたりが、もそもそと動いているのが分かる。


「……怒ってるじゃないか。ものすごく」

「怒ってないったら怒ってないもんっ!」


 シェリィは、明らかに機嫌が悪そうだった。これ以上話しかけても、余計に怒らせそうに感じた。


「……悪かった。もういいよ、お休み……」


 胸にドロドロしたものが渦巻く。荷車の下から、「え?」というのが聞こえてきたけど、ここであえて聞き直すか? というなんともいえない感情を無理やり飲み込んで、たき火のもとに戻った。


 たき火を背に立っていたデュクスは、戻って来た俺を不審げに見つめてから聞いてきた。


「……おい、カズマ。まさかお前さん、チビのこと、ほったらかしてきたのか?」

「いや、全然、話を聞いてくれなくて」

「聞いてくれない、じゃない。お前さんが聞いてやるんだよ」

「でも、何も話そうとしないし……」

「話し始めるまで待ってやらないからだろうが」

「けど……」

「チッ──」


 話を続けようとした俺を、デュクスが舌打ちをして止めた。


「その話は後だ、カズマ。お前さん、アレを見てどう思う」

「あれって……?」

「見ろ、あの男だ。お前さん、ヤツは何をしていると思う」


 デュクスの言った先……そこには、一人の男が、積み荷を満載した荷車と荷車の間で、何かをしている姿だった。


「……荷車の点検?」

「こんな夜中にか?」


 ──背筋に冷たいモノが走る。

 ひょっとして、なにか、明日の行程に支障をきたすような、妨害工作か何か……?


「オレが行く。いいか、オレに何かがあったら、すぐに大声を出して動けるようにしておけ」


 ごくりとつばを飲み込む。

 もしデュクスをどうこうしてしまうような相手だったら、俺は、人を相手に、初めて実戦をすることになる。

 人を斬る──できるのか、俺に……!




「止まれ。そこで何をしている」


 デュクスが声をかけたのは、もう、抜けばひと息に斬ることができる間合いだった。


「……なんでしょう?」

「そこで何をしている」

「え? ひょっとしてわたくし、疑われていますか?」


 男は、愛想笑いを浮かべながらデュクスに向き直った。

 男は、よくある緑がかった茶色の服を着た、この隊商のなかでもありがちな服装をしていた。

 腰にいくつもの革袋をぶら下げているのも、商人の特徴だ。この世界はどうやらポケットを服に付けることがあまりないらしく、ベルトに布や革の袋をぶら下げる。例の古着屋でも、ポケットのある服はほぼ見当たらなかった。


「いま、何をしていた?」

「何、ですか? もちろん、明日のための準備ですとも。明日は、多少無理してでも峠を越えねばなりませんからね」

「そうか、それはすまなかった。これもオレの仕事でね……回りがみんな、悪人に見えてしまう。因果なもんさ」


 肩をすくめるようにして答えた男に、デュクスも冗談めかして笑いかけた。どうやら、怪しい男ではなくて、本当にただの商人だったようだ。俺も胸をなでおろす。


「いえ、分かりますよ。わたくしも、荷の積み下ろしのときなど、周りがみんな泥棒に見えてしまう」

「そうなんだよ。怪しいと思ったら声をかけねば、オレの女にドレスを買えなくなるんでね」


 デュクスの言葉に、男は揉み手しながら愛想笑いを浮かべる。


「それはそれは……。護衛さんも隅に置けませんね」

「はは、そういうわけでの詮索だ。分かってもらえるとありがたい」

「……いえ、お気になさらず。わたくしも、まだ日の出ているうちにやればよかったのですよ。護衛さんのお手を煩わせて、申し訳ありませ──」


 その瞬間。

 月光を弾く軌跡が、真一文字にくうぐ。


 男の舌打ちの音が、嫌に大きく聞こえた。

 信じられないものを目にした思いだった。


 いつ抜いたか、電光石火のデュクスの剣。

 その剣を予知していたかの如くかわす男。


「デュクスッ!」


 俺は腰の剣を抜いて走り出した。

 だけどデュクスは、俺の方を見ることもなく叫ぶ。


「来るな! こいつはお前の手に余る!」

「ふう……。自分は、平穏が好きなんだがねェ」


 男の手には、いつの間にか短剣が握られていた。右手にはやや長い短剣、左手にはギザギザの峰を持つ短剣──ソードブレイカーとも呼ばれる、マンゴーシュ!


「完璧だったはずなんだがなァ。なぜ分かった?」

「勘だ」


 即答するデュクス。

 彼の勘が当たったかどうかはともかく、デュクスが仕掛けたことで、俺も遅ればせながら気付いたんだ。


 符丁ふちょう──「俺の女にドレスを買えなくなる」。それに対して「俺の女は花で十分だぞ」ではない答えを返したこの男は、少なくとも隊商の商人ではない!

 それだけじゃない、至近距離からのデュクスの斬撃を紙一重でかわしたこの男、かなり強い!


「まいったなァ。自分は本当に、平穏が好きなんだがなァ。ここはひとつ、見逃してもらえないかなァ」

「ほざけ。誰が見逃すか。おとなしく縄のドレスを着る気がないなら、脚の二本は覚悟してもらうぞ」

「脚の二本って、それ両方じゃないかなァ。あまり欲張りなのは感心しないねェ」


 男は、見た目は隙だらけだ。だけどデュクスが最初の一刀から仕掛けないということは、簡単にはいかない相手ということに違いない。なんとか隙を作らないと!

 俺はデュクスのやや後方に並ぶようにして、剣を構えた。


「カズマ……⁉」

「あんたに鍛えられたんだ、俺だって少しは戦える!」


 この隊商が頼りだという人たちがいるんだ。

 その人たちのためにも、この隊商に危害を加えようとする奴の好きにさせてたまるものか!

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