第16話:食べた物を分け与える意味

「市場をうろついて財布をスられた上に、あの豚野郎に捕まっただと? お前さん、昨日までで運を使い果たしたのか?」


 冒険者ギルドに連れて行かれた俺たちは、少し早いけれど昼食を取ることにした。その際、何があったかを話したんだけど、デュクスに「お前さん、何やってんだ」とあきれられた。


「は、はは……。木刀とはいえ、武器を抜いちゃまずかった──よなあ」

「当たり前だろ」


 デュクスは串焼き肉を頬張りながらため息をつく。


「なんで小手なんか狙った。脳天唐竹割り一択だろ、常識的に考えて」

「え、そっち……⁉」


 そんなことしたらこの木刀だ、下手したら本当に死ぬって!

 驚く俺に、デュクスはさらにあきれてみせる。


「何を言っている、殺す気でぶん殴ればよかったんだ。武器を抜くなら当然だろう」


 肉から引き抜いた串の先を俺に向けながら、デュクスは続けた。


「今回はただのスリだったからよかったが、もし間髪入れずに襲いかかってきたらどうするつもりだったんだ。そこのおチビさんもろとも、殺されていたかもしれないんだぞ?」


 う……。全くもってその通りだ、言われてぐうの音も出ない。でも、だからって人の脳天に木刀を振り下ろすなんて、俺には……。


「まあ、今回の件でお前さんが大甘のお坊ちゃん育ちってのがよく分かった。強くなる以前に、まず死なねえように、したたかになる方が先決だな」


 そう言いながら、デュクスが俺の皿から串焼き肉を一本、ひょいと持っていく。


「あ、それ、俺の……!」

「ケチケチするな、授業料だ」


 そう言って肉を口に押し込んでいく。


「ご主人さまの、返せっ!」


 シェリィが立ち上がって手を伸ばしたが、その指を串で軽く弾いていなすと、デュクスは悠々と最後の肉まで頬張った。


「ちょいと便所に行ってくる。食い終わったら装備を整えに行くぞ」


 デュクスはそう言って立ち上がった。「ご主人さまのお肉!」と再度飛び掛かったシェリィを片手で押さえて、席を離れながら「こいつは釣り銭だ、取っとけ」とパンを投げてよこす。それは、彼が注文していながら結局一口も食べていなかった、黒ずんだパン。


 デュクスが注文したものならハズレはあるまい、と思って同じものを注文したんだけれど、この「パンとスープ」ってやつがまた、なんとも言えないモノだった。


 パンが黒い。給食で食べたことのある黒パンって奴は、あれは「黒糖パン」であってほんのり甘かった。


 この「黒パン」、日本でよく食べていた「もちもち」なヤツとは違って、なんというか、砕いた豆の皮みたいなざらざらした食感と、水気のないスカスカさが見事な連携で食欲を無くす。しかもなんだかちょっと酸っぱい。端的に言っておいしくない。はっきり言ってマズ……もとい、美味くない。


 それでも残すのはプライドが許さないから、自分の分はなんとか食べ終えたというのに、デュクスの奴、何が「釣り銭」だよ!


 この、ボソボソでスカスカなパンに加えて、スープもだよ。野菜くずみたいなのがちょろっと入っているだけ。塩味に野菜出汁がビミョーに感じられます的な味。

 断言する。俺が作った味噌汁の方が百倍美味いね! この世界に味噌があるかどうか知らないけど。……絶対に無いよな。


「ご主人さま、食べないの?」


 シェリィが、自分のパンを頬張りながら聞いてきた。


「いや、もらった以上、食う。誰かに分けるってなら話は別だけど、残すのは俺の性に合わないからな」


 そう言ってパンにかじり付いてみせると、シェリィもにこにこしながら「ボクも、ぜんぶ食べるよ!」と胸を張った。


「そうだな。出されたものは感謝していただきます、だ」

「はぁい!」


 そう言いながら、パンをもしゃもしゃと口いっぱいに頬張るシェリィ。


「お前、本当に美味そうに食うなあ」

「わふぅ! だっておいしいもん!」


 椅子の後ろから垂れるふかふかしっぽをぱたぱた揺らしながら、満面の笑顔で食べる。実に幸せそうだ。そんなシェリィが可愛らしくもあり、また少し哀れにも思える。一体どんな食生活を送ってきたんだろう。

 パンを食べ終わって、名残惜しそうにテーブルのパンくずを舐めとろうとするシェリィを止めながら、俺はつい、「……半分やろうか?」と声をかけてしまった。


「いいの⁉︎」


 ぱっと表情が明るくなったシェリィだけど、すぐに「あ、だ、だめ……! ご主人さま、それは、その……」と、耳をしおれさせる勢いで、実に寂しそうに言う。遠慮する必要なんてないのに。


「俺はいいんだ。お前はチビなんだから、たくさん食って早く大きくなれ」


 そう言って、半分ちぎって渡した。

 その瞬間、シェリィはものすっごい勢いで大きく目を見開いて、俺の顔とパンをすごい勢いで何度も見比べた。


「こ、これを、ボクに……?」


 デュクスはトイレに行っているから、確認するまでもなく、今、このテーブルにいるのは俺とシェリィだけだ。


「お前以外の誰にやるんだ? 俺の相手はお前しかいないだろ」

「ぼ、ボクが、ご主人さまの、おあいて……⁉ そんな、ボクが、ご主人さまの、つ、つ……」


 たちまちシェリィの顔が真っ赤になっていく。

 ……今の会話で、顔をこんなに真っ赤にするような要素、あったか? まさか怒らせた、とかじゃないよな?


「でも、ご主人さま……。やっぱりボク、……け、ケダモノ、だから……」


 シェリィは真っ赤に染めた顔をうつむかせ、か細い声を振るわせて、パンを俺に差し戻そうとするような仕草を見せる。


 ここで卑下されるとは思わなかった。逆に言えば、それだけ「ケダモノ」扱いされてきて、自分という存在に自信が持てない暮らしをしてきたということだろうか。


 そう考えると、シェリィの「恩返し」とかいうのが終わるまでの間に、心から笑顔になれる瞬間をできるだけたくさんつくれたら、俺の命の恩人である彼女に報いたことになるのかもしれない。俺は精一杯の笑顔で、パンを彼女の胸元に押し戻した。


「何を言ってるんだ。そんなこと、俺が気にしたことあったか? 第一、俺とお前の仲だぞ? お前が食ってくれたらうれしい」


 そう言って笑うと、シェリィはさらに真っ赤になった。首筋から、落ち着かない様子でぱたぱたしている彼女の耳──金色のふわふわの毛でおおわれている耳の先まで、真っ赤になってるのが分かるくらいだった。

 が、次の瞬間、「ふわぁ……」と椅子からひっくり返る。


「うわっ! シェリィ! どうしたっ!」


 かろうじて彼女の服の袖をつかむことに成功して、彼女が床にぶっ倒れることだけは防ぐことができた。けれど、なんでこうなったのかが全く分からない!


「なんだ、カズマ。どうかしたのか?」


 顔を真っ赤に染め、目を回したかのようなシェリィを抱き上げて、どうしていいか分からずおろおろしていたところに、後ろから声をかけられた。思わず救いを求めて振り返ると、トイレから戻ってきたデュクスがいた。


「カズマ、嬢ちゃんを抱っこして何やってんだ?」

「あ……デュクス! ちょうどいいところに!」


 シェリィを抱き上げながら「パンを半分こして渡したらぶっ倒れた」と説明しているところで、シェリィがハッとしたように顔を上げる。で、また俺の顔を見て「ぴゃあっ!」と声を立ててビクリと体を震わせ、そのまま顔を背けるようにうつむいてしまう。


「お、おい……シェリィ、大丈夫か? なんだか熱があるみたいだし……なあデュクス、こんな急に熱が上がる病気って、なにか心当たりは……!」


 ところが、こっちが必死になっているっていうのに、デュクスの奴、俺とシェリィの顔を交互に見比べて、腹を抱えて笑い出したんだ。


「お、おま、え、本気で、言ってんのか!」


 ヒィヒィ笑いながらテーブルをバンバンぶっ叩く。

 結局、シェリィが「だ、だいじょぶ、だから、ご主人、さま……」と、蚊の鳴くような声で俺の腕から下りるまでデュクスは笑い続けたけど、もちろんそれで彼が嗤い終わることはなく、ぎこちなくちびちびとパンを食い始めた俺たちを見て、また笑い出したんだ。


「ダメだ、死ぬ、笑い死ぬ! お前さん、オレを笑わせ殺す気か! 自分が食べた物を女に分ける意味、分かってんだろ!」


 デュクスのヤツ、ついには床にうずくまって床をバンバンぶん殴るようにしながら笑い続けるのだ。


「これがコイツの本気で正気だってのがまた、信じられねえ! だ、ダメだ、息ができん! 腹がよじれる!」


 結局、俺が渡したパンを、シェリィは真っ赤な顔で、俺の顔をチラチラ見ながら、ちびりちびりと食べ続け、デュクスの奴は床を転げるような勢いで笑い続け、そして俺はデュクスに笑われ続けながら、渋面でパンをかじり続けたのだった。

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