白銀の騎士と漆黒の姫
甘灯
1、白銀の騎士の英雄譚
「この国はいずれ滅びます」
幽閉塔へ続く城壁を歩いていたノワールは漆黒の髪を風になびかせながら、静かに呟いた。
【白銀の騎士】ブラン=ケオトルトは彼女の言葉が、はにわかに信じられなかった。
この大陸では『金』よりも『水』に価値があり、各国共通の『富の象徴』とされていた。
大陸内でこれだけの水路がある国は『グリーディオラ帝国』だけだ。
「…どんなに栄華を極めようと
ブランの動揺を見透かしたように、ノワールは言葉を紡ぐ。
「それが“略奪”による栄華なら尚の事…また人の手によって滅ぼされることでしょう」
「…口を謹んだほうがいい」
ブランは思わず口を挟んだ。
「貴女は…自分の置かれた立場をわかっておいでか?」
「ええ、わかっております」
ノワールは凛とした揺らぎの一切ない、澄んだ青い眼差しを向けてきた。
毅然とした彼女の態度に、不覚にもブランは
グリーディオラ帝国の『白銀の騎士』と言えば、周辺諸国にその名が知れ渡っている。
一切の返り血を浴びることはなく、瞬時に敵を切り伏せる機敏さと卓越した剣術を誇る、ブラン=ケオトルト。
彼の名声をさらに盤石なものにしたのが、『スウルス国』との戦いだった。
勝利を治めた凱旋では、まったく傷も汚れもない白銀の鎧を纏ったブランの姿に、自国民は
そんなグリーディオラ帝国の英雄が、今は囚われの身である亡国の姫ノワール=スウルスに気後れした。
それほどまでに、彼女の振る舞いは堂々たるものだった。
「
ノワールは完全にブランの心を“見透かしていた”。
「…そうだ。死にたくなかったら言葉を選んだほうがいい」
「私が死ぬこと…自分の命が惜しいと思っているとでも?」
初めて憤りを
「あの日……祖国が焼かれたあの時に、私の心はもう死んだようなものです」
そう言い放ったノワールの顔を直視できず、ブランは目を伏せた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
赤々と燃える、敵国の王都。
金目のものはすべて奪い尽くし、逃げまどう者たちを自国の兵士が次々と切り殺していく。
そこら
白銀の鎧を纏ったブランは、そんな
ーブランは『王直属の
目的の場所に着き、適当な木に馬を繋ぎ止めたブランは、古い石造りの建物の中へ入った。
入口を入ってすぐのところに、地下へ続く階段があった。
両手を広げても余りある横幅の広い、石造りの階段。
ブランはなるべく物音を立てないように、慎重な足取りで降りていく。
そして行き止まりと思われる最奥部に、大きな石の扉があった。
ブランは警戒しながら、ゆっくりと押し開ける。
目の前の幻想的な光景に、ブランは息を飲んだ。
『ここが…水の神殿』
ブランは思わず、声を出した。
明かりが届かない地下のはずなのに、辺り一面に満ちた
よく目を凝らして見てみると、発光した小さな浮遊生物が見えた。
この生物が発する光が、水面を明るく照らしているのだ。
ブランは前方へ視線を向けた。
扉と一直線に細い石畳の道があり、広間のちょうど中央で途切れている。
途切れた先には台座があり、一つの古びた『
『あれが【
ブランは我を忘れて、導かれるように石畳の道へ一歩足を踏み出した。
その時、風を切る音がした。
ブランの踏み出した靴のつま先の前に、一本の矢が突き刺さる。
我に返ったブランは、すぐ飛び
素早い身のこなしで入口の前へ戻り、石の片扉を盾にして身を隠す。
一呼吸したブランは少し顔を覗かせて、広間内の様子を
上部辺りの壁にせり出たバルコニーのような部分があり、そこから弓を構えた敵兵が、こちらに向かって狙いを定めていた。
(さて…どうするか)
流石のブランでも、正面突破は厳しい。
『……兄様?』
その時、背後から若い女の声がした。
『!!』
ブランは反射的に体勢を低めて振り返りざまに、剣を真横に払った。
その剣先は女の首元をぎりぎりでかすめる。
漆黒の髪の一房が切れて、パラパラと床に落ちた。
女の青い瞳が大きく見開く。
ブランは一切の隙を与えずに女の真後ろに回り込んで、その首に片腕を回した。
『くっ…!』
背後から首を締めあげられた女は、ブランの腕に爪を立てながら必死に抵抗する。
『貴様は誰だ』
ブランは締め上げる腕の力を少し抜いて、一層低い声で問うた。
しかし女は何も答えない。
『首をへし折られてもいいのか?』
ブランの本気の言葉に、女は息を呑んだ。
『ノワール様!!』
第三者の声が入り込み、ブランは思わず舌打ちした。
声の方へ振り返る。
ブランが通過した時は、
今はくり抜かれたような横穴が
(先程通り過ぎた時は、そんな穴などはなかった。隠し扉だったのか…いや、それよりも…)
『ノワール』
その名前に聞き覚えがあった。
『スウルス国の姫君か』
『っ!』
ブランの投げかけに、女は明らかに動揺した。
その後。
ノワールを盾にしたブランは広間にいた弓隊の動きを封じて、いとも簡単に【聖杯】を手に入れた。
こうして運を
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『ブラン、よくやった!この【聖杯】が手に入れば、枯渇した我が国土は再び昔のように潤う!!』
グリーディオラ皇帝に褒め称えられたが、ブランは一切喜ぶことはなかった。
(あの戦いに正義はなかった…ただ他国への侵略と略奪と…そして殺戮だけだった…)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
無抵抗なスウルスの民を殺した。
投降しようとした者の首をはねた。
『なぜだ…我々が何をしたというのだ…?』
『痛い…痛いよ』
『抵抗はしない!だから殺さないで!!』
嘆き、悲しみ、もがき、スウルスの死者達がブランの体へ
「っ!!」
ーあの戦いの後から、ブランはいつも悪夢に
ブランはノワールが幽閉されている塔を訪れていた。
「何か望むものは?」
ノワールは首を横に小さく振る。
そしていつものように椅子に座って、壁の小窓から外を眺め始めた。
食事に手を付けている様子は一切ない。
給仕の女を見ると、静かに首を横へ振った。
ブランは黙って、視線を落とした。
「なぜ、ここに来るのですか?」
ブランは顔を上げた。
言葉を投げかけたノワールの視線は、依然として窓の外に向けられたままだ。
「あなたに……死なれては、困るからだ」
「ああ、そうでしたね…【聖杯】のお陰で、私は生かされているのでした」
ノワールは生気のない眼差しをブランに向けて、弱々しく呟いた。
【聖杯】はスウルス王家の一族しか、『その力』を引き出すことはできない。
この大陸は深刻な“水不足”に陥っていた。
数年間、雨が地上を潤すことはなく、大陸中の至るところの水場が干上がった。
乾き切った大地では作物が全く育たず、人々は
唯一、【聖杯】を持つスウルスという、古い民族が統治する小国以外を除いては。
スウルスの民は慈愛心の塊のような、そんな思いやりのある民族だった。
スウルスの民は
彼らは水を独占することは決してなく、他国と均等に水を配当したのだ。
しかしグリーディオラ皇帝だけは、無限に水をもたらす【聖杯】を独占しようと画策していた。
グリーディオラ皇帝は『スウルスの民は水の配当を打ち切ろうとしている!!』という嘘の情報を近隣諸国へ流した。
その嘘を信じた各国は、激しく動揺した。
『スウルスの民が【聖杯】を独占しようとしているぞ!』
『なんとしても、阻止しなくては!!』
声をあげる身勝手極まりない各国の首脳たち。
波紋は瞬く間に広がって、国同士の【聖杯】を奪う戦いが始まった。
そして【聖杯】を勝ち取ったのは、グリーディオラ帝国だった。
(……あの戦いに正義などない。
独占力に駆られた、
スウルスの民の慈悲の心を踏みにじった。
これは……彼らへの
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