白銀の騎士と漆黒の姫

甘灯

1、白銀の騎士の英雄譚

「この国はいずれ滅びます」


 幽閉塔へ続く城壁を歩いていたノワールは漆黒の髪を風になびかせながら、静かに呟いた。

【白銀の騎士】ブラン=ケオトルトは彼女の言葉が、はにわかに信じられなかった。

眼下がんかに広がるグリーディオラ帝国。その帝都の町並みはとても華やいで活気づいている。

いたるところに水路が通されて、客や荷を積んだゴンドラが忙しなく行き交っていた。


 この大陸では『金』よりも『水』に価値があり、各国共通の『富の象徴』とされていた。

大陸内でこれだけの水路がある国は『グリーディオラ帝国』だけだ。


「…どんなに栄華を極めようと所詮しょせんは人が作ったもの…いずれ滅びる定めにあることは変わりません」


 ブランの動揺を見透かしたように、ノワールは言葉を紡ぐ。


「それが“略奪”による栄華なら尚の事…また人の手によって滅ぼされることでしょう」

「…口を謹んだほうがいい」


 ブランは思わず口を挟んだ。


「貴女は…自分の置かれた立場をわかっておいでか?」

「ええ、わかっております」


 ノワールは凛とした揺らぎの一切ない、澄んだ青い眼差しを向けてきた。

毅然とした彼女の態度に、不覚にもブランはひるみそうになった。


 グリーディオラ帝国の『白銀の騎士』と言えば、周辺諸国にその名が知れ渡っている。

一切の返り血を浴びることはなく、瞬時に敵を切り伏せる機敏さと卓越した剣術を誇る、ブラン=ケオトルト。

 彼の名声をさらに盤石なものにしたのが、『スウルス国』との戦いだった。

勝利を治めた凱旋では、まったく傷も汚れもない白銀の鎧を纏ったブランの姿に、自国民は敬畏けいいの眼差しを向けたのだった。

 そんなグリーディオラ帝国の英雄が、今は囚われの身である亡国の姫ノワール=スウルスに気後れした。

それほどまでに、彼女の振る舞いは堂々たるものだった。


わたくしは敗れた国の王女……今の言葉が“貴方の主人”の耳に入ったら、私は『殺さず生かしたのに恩知らずな女』として断罪される。そうでしょう?」


 ノワールは完全にブランの心を“見透かしていた”。


「…そうだ。死にたくなかったら言葉を選んだほうがいい」

「私が死ぬこと…自分の命が惜しいと思っているとでも?」


 初めて憤りをあらわにした彼女の言葉に、ブランは押し黙った。


「あの日……祖国が焼かれたあの時に、私の心はもう死んだようなものです」


 そう言い放ったノワールの顔を直視できず、ブランは目を伏せた。




   ◇ ◇ ◇   ◇ ◇ ◇




 赤々と燃える、敵国の王都。

金目のものはすべて奪い尽くし、逃げまどう者たちを自国の兵士が次々と切り殺していく。 

そこらじゅうで、絶えず悲鳴が聞こえた。

白銀の鎧を纏ったブランは、そんな町中まちなかでひたすら馬を走らせた。


ーブランは『王直属のある・・めい』を受けていた。


 目的の場所に着き、適当な木に馬を繋ぎ止めたブランは、古い石造りの建物の中へ入った。


 入口を入ってすぐのところに、地下へ続く階段があった。

両手を広げても余りある横幅の広い、石造りの階段。

ブランはなるべく物音を立てないように、慎重な足取りで降りていく。

そして行き止まりと思われる最奥部に、大きな石の扉があった。

ブランは警戒しながら、ゆっくりと押し開ける。

 

目の前の幻想的な光景に、ブランは息を飲んだ。


『ここが…水の神殿』


 ブランは思わず、声を出した。

明かりが届かない地下のはずなのに、辺り一面に満ちた水面みなもが淡く光っている。

よく目を凝らして見てみると、発光した小さな浮遊生物が見えた。

この生物が発する光が、水面を明るく照らしているのだ。

ブランは前方へ視線を向けた。

扉と一直線に細い石畳の道があり、広間のちょうど中央で途切れている。

途切れた先には台座があり、一つの古びた『はい』が鎮座していた。


『あれが【聖杯せいはい】……?』


 ブランは我を忘れて、導かれるように石畳の道へ一歩足を踏み出した。

その時、風を切る音がした。

ブランの踏み出した靴のつま先の前に、一本の矢が突き刺さる。

我に返ったブランは、すぐ飛び退いた。

素早い身のこなしで入口の前へ戻り、石の片扉を盾にして身を隠す。

 一呼吸したブランは少し顔を覗かせて、広間内の様子をうかがった。

上部辺りの壁にせり出たバルコニーのような部分があり、そこから弓を構えた敵兵が、こちらに向かって狙いを定めていた。


(さて…どうするか)


 流石のブランでも、正面突破は厳しい。


『……兄様?』


 その時、背後から若い女の声がした。


『!!』


 ブランは反射的に体勢を低めて振り返りざまに、剣を真横に払った。

その剣先は女の首元をぎりぎりでかすめる。

漆黒の髪の一房が切れて、パラパラと床に落ちた。

女の青い瞳が大きく見開く。

ブランは一切の隙を与えずに女の真後ろに回り込んで、その首に片腕を回した。


『くっ…!』


 背後から首を締めあげられた女は、ブランの腕に爪を立てながら必死に抵抗する。


『貴様は誰だ』


 ブランは締め上げる腕の力を少し抜いて、一層低い声で問うた。


 しかし女は何も答えない。


『首をへし折られてもいいのか?』


 ブランの本気の言葉に、女は息を呑んだ。


『ノワール様!!』


 第三者の声が入り込み、ブランは思わず舌打ちした。

声の方へ振り返る。

ブランが通過した時は、ただの壁だった場所。

今はくり抜かれたような横穴がいており、そこに長い髭を蓄えた老人が立っていた。


(先程通り過ぎた時は、そんな穴などはなかった。隠し扉だったのか…いや、それよりも…)


『ノワール』


 その名前に聞き覚えがあった。


『スウルス国の姫君か』

『っ!』


 ブランの投げかけに、女は明らかに動揺した。



 その後。

ノワールを盾にしたブランは広間にいた弓隊の動きを封じて、いとも簡単に【聖杯】を手に入れた。

こうして運を味方・・につけたブランは、スウルス国を滅ぼし、グリーディオラ帝国の英雄『白銀の騎士』として名を轟かせたのだ。




 ◇ ◇ ◇   ◇ ◇ ◇




『ブラン、よくやった!この【聖杯】が手に入れば、枯渇した我が国土は再び昔のように潤う!!』


 グリーディオラ皇帝に褒め称えられたが、ブランは一切喜ぶことはなかった。


(あの戦いに正義はなかった…ただ他国への侵略と略奪と…そして殺戮だけだった…)




   ◇ ◇ ◇   ◇ ◇ ◇




 無抵抗なスウルスの民を殺した。

 投降しようとした者の首をはねた。


『なぜだ…我々が何をしたというのだ…?』

『痛い…痛いよ』

『抵抗はしない!だから殺さないで!!』


 嘆き、悲しみ、もがき、スウルスの死者達がブランの体へまとわり付く。


「っ!!」


 


ーあの戦いの後から、ブランはいつも悪夢にうなされるようになった。






 ブランはノワールが幽閉されている塔を訪れていた。


「何か望むものは?」


 ノワールは首を横に小さく振る。

そしていつものように椅子に座って、壁の小窓から外を眺め始めた。

食事に手を付けている様子は一切ない。

給仕の女を見ると、静かに首を横へ振った。

ブランは黙って、視線を落とした。


「なぜ、ここに来るのですか?」


 ブランは顔を上げた。

言葉を投げかけたノワールの視線は、依然として窓の外に向けられたままだ。


「あなたに……死なれては、困るからだ」


「ああ、そうでしたね…【聖杯】のお陰で、私は生かされているのでした」


 ノワールは生気のない眼差しをブランに向けて、弱々しく呟いた。




 【聖杯】はスウルス王家の一族しか、『その力』を引き出すことはできない。


この大陸は深刻な“水不足”に陥っていた。

数年間、雨が地上を潤すことはなく、大陸中の至るところの水場が干上がった。

乾き切った大地では作物が全く育たず、人々は飢饉ききんに苦しんでいた。

唯一、【聖杯】を持つスウルスという、古い民族が統治する小国以外を除いては。


 スウルスの民は慈愛心の塊のような、そんな思いやりのある民族だった。

スウルスの民は困窮こんきゅうしている周辺諸国へ、聖杯を用いて『水』を無償で援助した。

彼らは水を独占することは決してなく、他国と均等に水を配当したのだ。

 しかしグリーディオラ皇帝だけは、無限に水をもたらす【聖杯】を独占しようと画策していた。

 グリーディオラ皇帝は『スウルスの民は水の配当を打ち切ろうとしている!!』という嘘の情報を近隣諸国へ流した。

その嘘を信じた各国は、激しく動揺した。


『スウルスの民が【聖杯】を独占しようとしているぞ!』

『なんとしても、阻止しなくては!!』


 声をあげる身勝手極まりない各国の首脳たち。

波紋は瞬く間に広がって、国同士の【聖杯】を奪う戦いが始まった。


そして【聖杯】を勝ち取ったのは、グリーディオラ帝国だった。


(……あの戦いに正義などない。

 独占力に駆られた、ただの暴力だ。

 スウルスの民の慈悲の心を踏みにじった。

 これは……彼らへの冒涜ぼうとくに他ならない)





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