魔女と大男と眼鏡少年(仮
沙木貴咲
1.千里眼の魔女
第1話
東都のはずれ、小高い丘にやたらと細長い館がありました。赤い屋根にひしゃげた赤い煙突、赤い大きな扉には『占イ』と書かれています。それはよく当たるという占いの館で、扉の前には大男がおなかを空かせたクマのようにいつもうろついていました。
「冷やかしはやめてくれよ。魔女は忙しいんだ」
大男は興味本位に館を覗き込む人がいると、そう言ってすごみます。
魔女。そう、この赤い館の主は『千里眼の魔女』と呼ばれていました。
恋のゆくえや仕事の成功、人探し、探し物、さらには国の未来まで。すべてを知っているかのようにズバリ言い当てる魔女は、東都の人からはもちろん、北都の王や南島の人気歌手からも悩みを相談されていました。
今日も東都を守る軍隊の将軍が魔女を訪ねています。
「さて、将軍がしかけようと思っている作戦は成功するのか否か……?」
部屋の奥に据えられた重々しい机に黒ずくめの魔女が座っています。真っ赤な口紅を塗った唇が片方だけ上がって微笑みました。
「答えは『ノー』ね」
机を挟んだ向かいには肩幅の広い男性が座り、魔女の言葉に首をかしげます。
「なぜだ。吾輩の計画は完璧のはずだ。西都を攻め落とす方法はこれしかあるまい」
将軍が噛むパイプからはしゃべるたびに煙草の煙がフガフガ立ちあがり、魔女はそれを鬱陶しそうに手で払うと答えました。
「断言してもいいわ。作戦は失敗する。なぜなら、将軍の軍隊にはスパイがもぐりこんでいるからよ」
魔女は両手を広げて自分の顔の前に四枚のカードを浮かべました。左から右へなでるように触れると、ダマスク模様のカードはクルクル回ってそれぞれの絵柄を明らかにしていきます。
「大人の男性……将軍よりも年上……神経質なタイプ……頭脳派」
将軍は不思議そうな顔で宙に浮くカードを眺めています。上下に手をかざすのは、カードを糸であやつる手品か何かだと思っているのでしょう。
「そんな男性に心当たりは?」
魔女から問いただされて、将軍は慌てて背筋を伸ばしました。
「年上で神経質な頭脳派……そんなもの軍師のジャレドしかおらぬではないか。おぬし知らぬのか? ジャレドは吾輩が将軍になる前から東都を守ってきた忠実なる軍師ぞ」
太い腕を組んで厚い胸をそらし、将軍は魔女をバカにするように言いました。
「千里眼などとうそぶきおって。魔女の目は節穴か?」
独り言のような低いつぶやきを、館の入り口にいた眼鏡の少年は聞き逃しませんでした。
「将軍、言っていいことと悪いことがありますよ」
年は十二歳くらい。大きな丸眼鏡をかけた少年は、分厚い本から目をあげて静かに言います。彼は館の入り口に座って受付係をしているのでした。
「ルーク、いいのよ。将軍はまだ気づいていないようだから」
魔女は少年をたしなめますが、ルークと呼ばれた少年は右手の人差し指を将軍に向けて、爪の先にフッと息を吹きかけました。指さす方向には将軍のパイプ。ボッと音を立てて真っ赤な炎が立ち上がります。
「うわっ! 熱っ!」
慌ててパイプを床に放り出した将軍は、ルークをにらみながら「この不良魔法使いが」と吐き捨てました。
「不良は余計じゃないかしら? ルークは優秀な火の使い手よ。そんなことより、将軍はこんなところで油を売っていて大丈夫? 反乱が起きるのはもうすぐよ」
魔女は机の上にある丸い半円形のガラスケースを指先でなぞります。中にはいくつもの光がまたたいて、まるで小さな宇宙のよう。魔女の指の動きに合わせて星たちは無軌道に動き回り、とりわけ華やかな光を放つ星と赤い星が呼応して金の糸で結ばれました。
「ほら、もうすぐ……」
魔女がそう言いかけたとき、館の重々しい赤い扉が勢いよく開きました。
「おい、やめろ! まだ鑑定中だぞ!」
表にいたクマ男が制するのも聞かず、モスグリーンの軍服を着た男性が大声でわめきます。
「将軍、大変です! 軍師のジャレド様が反乱を起こしました! 北都とつながっていたんです」
椅子にふんぞり返っていた将軍は跳ね上がるように立ち上がりました。
「な、な、なんだとッ! まさか……!」
「言ったじゃないですか、スパイがいると。鑑定のお代はルークに。百エキニーです」
魔女は手のひらをスッと赤い扉に向け、もう帰ってくれと言わんばかりの失礼な態度。でも将軍は何も言い返せず、迎えに来た軍人に腕を引っ張られながら扉へ向かいます。
入り口の小さなデスクに座るルークは将軍から帯付きの札束を受け取り、「百エキニー、確かに」と頷きました。
「急いでください! 城は大騒ぎです」
軍人は将軍を車に押し込むように乗せて走り出します。
「なんだ、ありゃ。軍人が取り乱してみっともない」
走り去る車に向かってクマ男があきれ顔で言いました。館の中を覗いて「ルーク、おやつちょうだい」と声をかけます。二メートルもあろうかという大男が背を丸めて赤い扉をくぐると、あら不思議。いかつい大男は瞬時にルークとよく似た巻き毛の男の子に変身しました。渡されたチョコチップクッキーに笑顔でかぶりつこうとしますが、眉をしかめて頬を押さえます。
「いててて! さっきの軍人につねられたところが痛い」
「なんですって? 見せてごらん、サイラス」
魔女は慌てて駆け寄り小さな顔を両手でなで回しましたが、少年は痛がるどころか、キャキャと笑って身をよじりました。
「そこじゃない。くすぐったいよ、母さん」
母さん……そうなのです。魔女は体の大きさを自由自在に変えられるサイラスと、火の魔法使いルークの双子のお母さんなのでした。
「お前たちを傷つけるようなヤツは母さんが許さないよ。ったく!」
息巻く魔女の前に、どこからか湯気の立つカップがスーッと流れてきます。
「コーヒー飲む?」
自分の机に座ったまま、ルークは人差し指でカップをあやつっていました。少し驚いた表情を浮かべてから、魔女は頬をゆるめて「ありがとう」とにっこり。
「また魔法がうまくなったのね」
そう言ってカップに口をつけようとしますが、サイラスが「俺は?」と聞きながら身体ごとぶつかってきてコーヒーがピチャン。熱いしずくが魔女の鼻に跳ねて、笑顔は一瞬でくしゃっとゆがみました。
「母さん、俺は? 魔法うまくなった?」
やけどしそうな鼻を押さえる魔女をおかまいなしに、サイラスは二メートルの大男になると天井に両手をついてミシミシ揺らします。
「やめて。大きくなったサイラスが暴れたらこの家なんてあっという間に潰れてしまうわ。今のあなただったら、東都のお城にだって穴を開けるかもしれないわね」
少年の笑顔を浮かべる大男は得意げに言いました。
「へへっ。今度お城に行って試してみようか。なんたって、俺たちはただの魔法使いじゃないんだから。母さん言ったよね。特別な血を受け継いでいるって」
分厚い本を読んでいたルークがチラと魔女に目を移します。
「父さんのこと?」
「え……ああ。うん、そうね。お前たちのお父さんはとても偉い人よ」
少し口ごもりながら言う魔女をルークは無言でじっと見つめました。静かなルークとは対照的にサイラスは無邪気にはしゃぎます。
「偉い人ってどんなふうに? 大金持ち? それとも王様?」
「もっとすごい人よ」
「へえ、会ってみたいなあ。お父さん、いつ会える?」
「そうね……いつになるかしら。会いたいわね」
笑顔のサイラスに答えながら、魔女はおもむろに首から下げた石に触れました。澄んだ紫色に金粉をまぶしたような天然石はとても美しく、光の反射に合わせて色を変えます。
「次のお客さん、そろそろだよ」
ふたたび分厚い本に目を落とすルークは静かに言いました。何かを思い出すかのような魔女の顏が一瞬で変わります。
「さて、次はどんなお客?」
「十歳」
「十歳? 子ども?」
「十歳しかわからない。ラーラが手紙を届けてくれたんだ」
天井からぶら下がる鳥かごには青い鳥がいて、魔女が目を向けるとピチュと鳴きました。ルークが小さく折りたたんだ紙片を渡します。
『せんりがんのまじょへ じゅうににちのおやつのじかんにやかたにいきます うらないしてください XXXX じゅっさい』
慌てて書きなぐったような字はかろうじて読めますが、『じゅっさい』の隣に書かれた文字はインクがにじんで読めません。
「きったない字。イタズラじゃない?」
サイラスは眉をしかめましたが、魔女は手紙を真剣な眼差しで見つめます。
「ここには名前が書いてあるのかしら? S、スト……?」
にじんだ文字を読み当てようとしたとき、ギィと音を立てながら赤い扉が少し開きました。
「ステラよ」
顔を半分だけ出して少女が名乗り出ます。細く開けた扉の隙間にすべりこむようにして少女は中に入ってきました。
「おいおいおい! 千里眼の魔女はタダで子どもの相手をするほど暇じゃないんだ。鑑定料は百エキニーだぜ? イタズラなら帰ってくれ!」
いつの間にか大男に変身したサイラスが少女の前にズカズカ歩み寄ってすごみます。ルークは少女を頭のてっぺんから足の先までジロジロ見た後、興味なさそうに視線を本へ落としました。
ふたりがそんな態度を取るのも無理ありません。ステラと名乗る少女は、とてもとても身なりが汚かったのです。金髪かもしれないおかっぱ頭は埃で汚れ、淡いピンクのワンピースには茶色い泥のシミができて右ポケットが半分取れかかっています。安っぽい布の靴には穴が開き、高額な魔女の鑑定料を払えるお客には見えませんでした。
「お金はないけれど、これを持ってる」
壁のように立ちふさがるサイラスを押しのけ、ルークを一瞥するとステラは左のポケットから何か取り出しました。魔女の前に進み出て手のひらを差し出します。
「アマル!」
思わず息をのむ魔女の前には、澄んだ紫色の美しい天然石がありました。金粉を散りばめたような美しい石は、汚く貧しい身なりのステラにはひどく不釣り合いに見えます。
「アマルは北都の山奥でしか取れない伝説の石よ。貴族や王様だってめったに持っていないのに……なぜあなたが?」
困惑しながら魔女は自分が首から下げる紫の石を思わず握りしめ、そっと襟の内側に隠しました。
「これは本物よ。アマルが百エキニー以上の価値があることも知ってる。だからといって、お釣りをちょうだいなんて言わないから安心して」
ステラは堂々とした態度で魔女の机の前に座りました。
「早く始めて。私の未来を占ってちょうだい、エヴァ」
そう呼びかける少女に、魔女もルークもサイラスも表情を変えました。
「なぜ私の名前を知っているの?」
今、千里眼の魔女はそれ以外の名前で呼ばれることがありません。エヴァという名前を持っていることを知る人はほとんどいないのです。
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