35 守護者の主

未だに心臓が激しく鼓動している。ふと真下を見て、俺は足元をすくませた。


「.......お前!もっと心の準備とかさせろよっ!!ショック死するとこだったぞ!!」


さっきまで居た穴の中はもう、手で覆えるくらい小さくなっている。ニーヴァが俺と一緒に空の中へと飛び上がったのは、ニーヴァがミルを探すのを手伝ってくれると聞いた直後のことだった。一瞬の出来事に俺は跳ね上がる心臓を止められない。


「はっはっは!さて。お主のお仲間とやらを探さんとな....ちょいと待っていろ」


どうやってか空中にピタリと留まっているニーヴァに掴まれながら、俺は宙ぶらりんになっている。こんな状況では、冷静になったところで落ち着けるわけもない。


「ん、あれだな?」

「.........ん?」


ニーヴァが何かを見つけたようなので、見ている方向を凝視するがよく見えない。なんせ、ここから見れば人間も豆粒ほどにしか見えない高さだ。


「よし、見に行くぞ」

「え────」


俺が声を上げる暇もなく、ぐるぐると移り変わる視界の中で俺は空中を移動していた。

そして次の瞬間には、三半規管をかき回された不快感とともに、地面が写った。


「おぇ.........」

「よし、着いたぞ人間!」


吐き気に不快な表情を浮かべつつ、体を起こし前方を見た。


「ギ、ギン?」


そこにいたのはミルだった。怪訝な表情をしているのは、俺の隣にいるニーヴァのせいか。


「大丈夫だ.....コイツは悪いやつじゃない」

「本当...?とりあえず無事なんだ、....よかった!」

「て.....てめェ....なんで生きてやがる?!」


お互いの無事に安堵したとき、ミルの背後の縄で縛られた人物が目に入った。


「.....お前は────」


男はどこか見覚えがある顔だった。長い黒髪の、不気味な雰囲気の男。


「あのときの....」


思い出した。ミルと知り合った後日に俺にちょっかいを掛けてきた輩だ。こいつがミルを狙ってなにか画策をしようとした、ということなのだろうか。


「っ!てめえは森の守護者フォレストセンチネルの巣穴に突っ込んだはずだろぉ!?」


男は目を充血させ怒鳴り散らす。森の守護者フォレストセンチネルとは、多分岩人形ゴーレムのことだろう。やはり、俺はコイツに落とされたのだ。


「デカい岩の巨人のことか?それなら俺が倒したぜ」


男を挑発するように笑ってそう言ってみせると、男は信じられないという顔で目を見開いた。


「デ、.....デタラメ言ってんじゃねぇ!!」


そんな男の言葉に口を開いたのは、ニーヴァだった。


「ロックゴーレムのことなら、そうだな。この人間が見事倒していたぞ」


すると、男は口を開いたまま硬直してしまった。ミルもまた話を理解しているようで、静かに驚きを見せている。


「.........」

「っそうだ!ギン!さっき何か『幻』みたいなの見なかった?」

「『幻』......ああ!」


『幻』....それには覚えがある。俺は岩人形ゴーレムの穴に落ちる前、謎の人物におびき寄せられ、その人物ごと眼の前の床が消失し穴に落ちたのだ。


「コイツは、『触れた相手に幻を見せる』魔法を使うから気を付けて!ギンはもう、その条件を踏んでるみたいなんだ!」

「触れた.......いつだ?」


正直、全く思い出せない。俺に助けを求め穴に誘ったのは女性だった。とするとその時点で俺は幻覚にかかっていたことになる。一体いつ、俺は触れられたんだ?一応、数日前に絡んできた時に触られたが、流石にそんな前から効果が続くとは思えない。


「多分、朝.....じゃないかな」


ミルの言葉に俺は今朝のことを思い出す。


「もしかして、あの老人か......!」


今朝俺達は依頼に向かう最中に老人とすれ違った。そしてその時に、確かに俺は肩を触られた。


「そうか。じゃああれは、お前の変装だったってことか?」


俺が男に話しかけると憎らしい目を向けられた。


「...........ていうか、てめぇはなんなんだぁ!!」


その怒声は俺ではなく、隣にいるニーヴァに向けてのものだった。ニーヴァの方を見ると、その口元には静かに笑みを浮かべていた。


「.........お主、幻を見せるといったな?」


二ーヴァに凝視された男はビクリと肩を揺らし、ヘビに睨まれたカエルのように身体を固まらせた。


「魔族........?」


そして一言、そう発した。ここに来た時は俺に気を取られて気づかなかったのか。それとも距離が離れていてよく見えなかったのか。男は初めてニーヴァの正体に気づいたようだ。


「わはは、珍しいか。そうだ......貴様、特別なものを見せてやろう」


そう言ってニーヴァは男の方へと右手を前に出した。

そしてぱちんと、静寂の中に指を弾く音が鳴り響いた。


「.........あぁ?」


何も起こらないことに男は唸り声を上げた。しかし何かを感じ取ったのか、怪訝そうな表情を見せている。確かに、何か嫌な予感のような....自分でもよくわからないものを感じていた。


「なんか....音が聞こえない?」


俺は耳を澄ませた。すると、微かに「ゴオオ」という音が聞こえるような気がした。不安から思わずニーヴァの方を見るが、ただ無言で悪戯な笑みを浮かべるだけだった。


「........?」

「........ぁあああ」


突然男が口をあんぐりと開けたかと思ったら、喉の奥から掠れるような声を漏らした。

絶望の表情で、男は上空を見上げていた。


(空────……..は?)


すぐに空を見た俺は、言葉を失った。

微かに聞こえていた「ゴオオ」という音。それは巨大な物体の風切り音だったのだ。


「..........隕.....石?」


天からまっすぐと降ってくる、巨大な岩石。俺は全身に鳥肌が立つと同時に、自らの明確な死を想像した。


(....は?いや.....どうする?隕石....本物?)


絶望の光景に、俺は思わず顔を引きつらせた。

もう落ちる寸前。ミルはただ絶望の表情で立ち尽くしている。長髪の男は縄に縛られながら必死で体を動かしている。ニーヴァの方を確認しようとして、俺の視界は───暗転した。


────死。そう思った瞬間、次に聞こえてきたのは愉快な女の子の声だった。


「わはははははっ!」


それはニーヴァの声だった。お腹から響く、心底楽しそうな声。

俺は───いや、この場にいた全員、傷一つ無かった。


「............」


ぺたんとミルが座り込む。

無理もない。俺も今すぐ腰を下ろしたい気分だ。


「わはは!どうだ?面白かったか?」

「.......いや、死ぬかと思っただろ.....!今のってもしかして.....!」

「うむ、幻だ」


にわかには信じられないことだが、今自分が無事であることが何よりの証拠だ。幻を見せるという男へとサプライズのつもりだったのか、ニーヴァは俺達へとその『見本』を見せつけてきたのだ。


「はぁ.......」


思わずため息が漏れる。気づけば全身が汗だくになっていた。


「なん......なんなんだよぉ........!!」


さっきよりも何年か老けたようにすら思えるやつれた表情で、男が声を上げる。

元気なニーヴァとは対照的に、俺達はひたすらその余韻に浸るしか無かった。

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