第20話
瞼が重い。
薄らぼんやりした意識は少しずつクリアになり、曖昧だった輪郭のものたちが形や匂いを伴って五感をくすぐる。耳は低く流れる軽やかな音楽を拾い、鼻はほろ苦いコーヒーの香気を感じ取った。けれど目だけは開かず、瞼は自ら意志を持って視界を閉ざすかのように、暗くのっしりと瞳に覆いかぶさっていた。
こんなにも不快な目覚めを私は知らない。粘り気のある睡魔がまとわりつき、身体は重しをつけられたみたいにうまく動かなかった。なぜか腕は痺れて痛み、体の向きを変えたいのに手足はぎこちなくモタついてしまう。すべてが億劫で、未だ夢の中にいるのか、潜在意識と顕在意識の境界線は漠としてはっきりしない。呻きながらやっと寝返りを打つと、柔らかくあたたかなものに触れて指先が僅かに戸惑う。その正体を確認する前に、頭の中には実家の景色とサブローのもこもこした背中が思い浮かんだ。柴犬のサブローは寒い朝によく布団に潜り込んできたけれど、私は実家に帰ったんだっけ? 現実と夢の狭間を千鳥足でふらつく私はまだ酔っているのかもしれない。頭の回転は鈍く思考は麻痺している。指だけが無意識に動いてふわふわした毛を撫でた。
「おはよ」
「……?」
サブローは「おはよ」なんて言わない。私は、重く張りつく瞼をこじ上げて目を開いた。
「起きた?」
眩しさの先に見えたのは、長いまつげに縁どられた淡い色の瞳。ずっとそうしていたのか、私を静かに見つめていた。
「創也さん……!」
ミルクティーベージュの髪に絡めた指を慌てて引っ込める。眠気は一気に吹き飛び、私は目の前の現実を理解しようと必死で考えた。
「な、なん……?」
「一人で歩けないくらい酔ってたから」
「いや、あの……!」
「俺のシャツつかんで離さなかったんだよ。だから」
「す、すいません!」
寝返りすらままならなかったのに、身体はバネのように跳ね起きて土下座する。膝と額は不自然に沈み、そこで初めて私は自分がどこにいるのかを知った。
「ベッド?」
おそるおそる上げた目で見覚えのない寝室を見渡し、自分の隣に横たわる創也さんを改めて確認する。思わず、自分が服を着ているのかどうかを確認してしまった。
そんな私を見て、創也さんはふっと笑みを漏らした。
「安心して。何もしてないよ」
自分もちゃんと服を着ていると、白いTシャツをつまんでアピールする。
「よく寝てるから様子見てただけ。俺は昨日、あっちで寝たし」
指さす後ろを見ると、ソファの上で毛布が丸まっていた。
「ここは、あの、まさか……?」
「俺んち」
「を……ぅ……くぅー!」
もはや声にならない。申し訳ないやら、情けないやらでもう消えてなくなりたい。私は恥ずかしくなって顔を両手で覆った。
「あ、メイクは落としちゃったけど、良かったよね。そのまま寝ると肌荒れるから」
確かに、手のひらに触れる頬はさらりと柔らかい。化粧の脂っぽさやベタつきがまったくなかった。
「ありがとうございます……」
酔って寝る私の顔を創也さんがメイク落としで丁寧に拭ったのかと思うと、いたたまれなくなる。何をどう言っても後の祭り。お酒を飲んだときの開放的な気分は楽しかったけれど、こんな顛末になるなら二度と飲まない。無自覚に恥をかくのは耐えがたいだけでなく、あまりに無責任だと思った。
ベッドの上で縮こまる私を創也さんは首を傾げて見上げる。
「大丈夫? 頭痛い?」
覗き込む目は潤んで吸い込まれそうに綺麗。私は数秒見惚れてから、慌てて首を振った。ぼうっとしてはいるけれど頭痛はない。
「コーヒー飲む?」
質問しながらも返事は求めていないのか、創也さんは起き上がると振り返りもせず部屋を出ていく。開け放したままのドアを見て、私はあとを追いかけた。
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