第十肆話 天正十年 五月三十日 二条新御所

 二条新御所には、誠仁親王を上座に、此度安土城に使いに出た女房たちを脇に控えさせ、公卿のトップの面々が顔を合わせていた。


 まず口を開いたのは、近衛太政大臣であった。

「此度の件、三職推認でおじゃれば、近衛は太政大臣の席をお空け申す」


 それに対して、一条関白は念押すように話した。

「よもや正親町帝付きの関白を推認を求めるとは、とても思えぬのでおじゃるが」


 誠仁親王は溜息を一息吐くと、集まった者に対して答えた。

「織田前右府さきのうふは、正親町帝の譲位と三職の推認を求めてこられた」


 その場の空気が、一瞬で固まった。


 恐る恐る口を開いたのは、一条関白であった。

「信長は三職を兼任すると申しておるのか?」


 誠仁親王は、ゆっくりと首を横に振った。

前右府さきのうふは、先ずは正親町帝の譲位を所望じゃ」


「そして誠仁が帝位に就いた後に、前右府さきのうふが関白となるつもりだったのじゃ。だから正親町帝の譲位を再三求めていたのじゃ」


 一条関白はガッカリしたように呟いた。

「それでは内基も、いずれ関白を辞さねばならぬのか……」


 確認を取る様に続けて発言したのは、近衛太政大臣であった。

「それでは太政大臣の席を空位にせずとも、良かったのでは?」


 その言葉にも誠仁親王は、ゆっくりと首を横に振った。

「太政大臣には、織田三位中将さんみちゅうじょうを推認せよとの思し召しじゃ。どうしても譲位より先に推認を受けるとするなら、先ずは三位中将さんみちゅうじょうの推認からとの要求であるな」


 近衛太政大臣は、肩を落としてしまった。


 一条関白は思い出したかのように、口を挟んだ。

「それでは、征夷大将軍は不要となるのか?またはに居る義昭に帰洛を許す腹積もりなのか?」


 誠仁親王は、これにも首を横に振った。

「征夷大将軍にも誰ぞを起用するようじゃが、誰を選ぶことやら……」


 近衛太政大臣は、ハッとなって声を出した。

「よもや日向守ではないで在ろうな?やつは土岐家再興を願って居ったはずじゃ。土岐家で在れば、清和源氏の名門。実力を付けた今であれば、幕府も開けよう。何よりも織田前右府さきのうふにとっては扱いやすい」


「それが此度の回答か?」

 その場にいた有力公卿からの声が揃った。


 誠仁親王は、ゆっくりと言葉を選びつつ話を進めた。

「我もここまでとは思わなんだ。しかし仮にも前右府さきのうふは我の烏帽子親同然じゃ。出来得れば、希望通りの官職に就いて頂きたかったのじゃが……」


 すると大御乳の人おおちのひとが、傍から付け加えるように奏上した。

「織田前右府さきのうふは六月中に、正親町帝に対して安土城に御幸せよとのこと。安土城内には広き屋敷が用意されておりました。恐らくは仙洞御所と見受けました」


 仙洞御所とは天皇が譲位して、上皇となった後の隠居の屋敷である。

 ここ三代は宮中の資金を捻出が出来ずに、譲位すら出来ない有様であったのも事実である。


 御簾の向こうから声が漏れ出ていた。

「六月一日の初日の儀に前右府さきのうふへ三職推認を申し付けるつもりであったが、最早手遅れでごじゃるな」


 そこで初めて下座の片隅に座る、老齢の武将から話が出た。

「もしも全ての儀を、某にお預け頂けるので在らば……手立てがない訳でもあり申さぬが」



 歴戦を思わせる低い声色は、大広間の隅々を圧している様であった。


**********************


 あとがき

 ※1 資料を紐解くと、資料として残っているだけでも、

    公卿を始めとして織田信長を恨みに思うものが、

    数多くいました。

    特に京を支配し、安土に居するのでは、

    公卿の利権が得られない状況でした。

    また四国征伐に不利益を被る者も大勢います。


 ※2 黒幕の一人は御簾の向こうにいるのですが、

    本能寺の変での老齢の武将の行動は奇妙に映ります。

    さて今回の絵を描いた老齢の武将とは誰でしょうか?

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