第五話 天正十年 三月十九日 上諏訪法華寺 其の壱

 戦況は甲府に近づく程に、迅速かつ詳細に上がってきている。


(この戦況下であれば、上様もご満足に違いない)


 三月十一日には岩村城に入城して、さらに詳細な戦況が届けられた。

 武田諏訪四郎父子は、僅かな供回りだけで天目山に落ち延びたと知らせが入った。


 そして翌々三月十三日には岩村城を出立し、十五日には飯田城に入城した。

 そこには、織田三位中将さんみちゅうじょうの指示で武田諏訪四郎父子の首級が届けられていた。


 上様は首実検もそこそこに、武田諏訪四郎、諏訪太郎、武田典厩、仁科五郎薩摩守の首級を京都に送り、獄門に掛けるように指示した。

 更に彼らの遺品も献上されたが、取る物も取らずに更に軍を進めた。


 三月十八日に高遠城を検分すると、直ぐに先へと軍を進める。


 そして、三月十九日に上諏訪の法華寺に達すると、ようやく本陣を整えた。


 日向守は陣を転々とする度に、上様の在所を整えて回っていたので、さすがに法華寺で進軍を留めるに至り、心からホッとしていた。


 織田三位中将さんみちゅうじょうも上諏訪へ向けて、凱旋に向かっているとの知らせが入ったからだ。

 信濃・甲斐に散らばっていた諸将や、安土城を後発した後詰めの諸将も続々と、上諏訪に集結していた。


 日向守は織田前右府さきのうふに対して、恭しく戦勝のお祝いの言葉を奏上した。


「此度の成敗の儀、目出たき事と存じます。上様に於かれましてはの大願も目前にして、日向守も骨折りの甲斐が有ったと言うものでございます」


 上様の御前で、平伏して深々と頭を下げた。


 すると上様の顔色が見る見る内に変わったかと思うと、いきなり立ち上がり日向守の頭を何度も蹴りつけたのだ。


「日向守の働きが、何の役に立ったというのだ!」


 惟任日向守は普段は付け髪……ウィッグを付けていたが、今は遥か彼方に蹴り飛ばされている。

 諸将の前で恥をかかされた。

 日向守の顔は、恥ずかしさに紅潮している。


 上様は更に、小姓の森何某に鉄扇を手渡すと、禿げた頭……キンカ頭を打ち据えるように命じた。


 森何某は上様のお気に入りである。

 手加減を加えるのを嫌う気性も、良く存じている。

 容赦なく、上様の命じるままに打ち据え続けた。

 額が割れ、紅潮した顔にその血が幾筋か滴った。


 私(日向守)は冷静に考えていた。


(ひょっとして、武田諏訪四郎との密約が漏れたのではないか?)



 そこに思いが至ると、ジッと制裁に耐え忍ぶしかなかった。



◆    ◇    ◆    ◇    ◆



 織田前右府さきのうふはジッと耐え忍ぶ、日向守の姿を目にして冷静さを取り戻していた。



(思わず、儂の働きが足らないとの嫌味に聞こえて、逆ギレしてしまった……)


 そんな思いに耽っていると、日向守は流血惨事となっていることに気が付いた。

 森蘭丸に静止するよう命ずると、直ぐに席を立った。


(何かしら、日向守に華を持たせてやらねばのう)



 急拵えの在所に戻ると、そんな考えに思いを巡らしていた。


***********************************************


 あとがき

 ※1 『信長公記』巻十五には“信長公御乱入之事”と題して、記されている。

    尋常ならざる行軍の様が見て取れる。

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