✧02✦


 鈍色に冴ゆる朝光すら、倭寇わこうを焦土で阻む祖国には似合わず。上海から退却する我が国民革命軍を、現地日本軍は独断で追撃し始めていた。日本軍の参謀本部は彼らを追認し、南京攻略命令を発したのだ。増援軍に『半妖の新部隊』が合流しても、凱旋は遠く。日本軍は上海戦線を乗り越えたというのに、体を合わせるべき軍靴すら支給されていなかった。擦り切れた地下足袋で進軍していたとは驚きだ。死は足元から染みていくと言うのに。仕掛けられた持久消耗戦が、日本軍の現地調達という名の略奪行為に拍車を掛けていた。

 

「何故上層部は補給を寄越さずに、奇怪な化け物共など寄越したんだ! こちらは八路軍はちろぐんと忠義救国軍に戦友達を斬殺され、餓死寸前で南京へ進軍しているというのに! 足枷になれば即、口減らしに斬り捨ててやる! 」

 

 国民革命軍に編入した元政敵の軍と、軍統が根回しした民兵は、日本軍を遊撃ゲリラ戦で苦しめているらしい。 軍紀・風紀は乱れるばかり。鬼子グイヅの如く、九四式軍刀に触れる師団長の目が血走っていた。対し、軍属では無い指南役は気ままに歩む。小隊規模……三十二名の半妖達を従える一人として、角袖を翻す。竜口たつぐち かいりは、天藍石ラズライトの瞳で捉えて魅せた。


「ご心配なく。僕らの化け物は、貴方達と喰らうモノが違いますので。餓鬼道から抜け出したいなら、貴方が視る世界を信じてみては? 」


 玉兎の落雁らくがんをひょいと弄び、微笑む浬は彼の唇に甘さを咥えさせた。戦場で齎された軽薄な色艶に、師団長は息が止まりかけているようだ。不穏の意味が変貌し、隊長なのに自分は思わず鼻で笑ってしまう。真面目に直立不動する、副隊長の桐乃へ密かに囁いた。


あいつ……草葉の陰に埋められるまで、強姦されるんじゃないか? 」


「大丈夫よ、しょうちゃん。浬は私が守るから」

 

「そうしてくれると有難いな、桐乃。三橋中尉も、僕を守ってくれるだろ? 」


「……あぁ」

 

 地獄耳の浬は舞い戻り、頬染めて惑う桐乃の腰を抱いた。奴の流し目が、本能を銀箭ぎんせんで穿つ。隊長として、化け物共の命運を握れたんだ。まだれるチャンスはある。半妖共を先遣部隊とし、相対させた八路軍に始末させればいいのだ。

 

「こんな夜間に、山中を偵察? 確かに半妖わたし達、夜目は利くけれど」


「山中の部落に潜伏する八路軍は、進軍を妨げる為に夜間の奇襲や橋の破壊を仕掛けてくる事が多い。但し、奴らは装備が貧弱だ。遊戯戦に絡め、鹵獲しに来る傾向にある。補給が滞っている以上、銃剣頼りの日本軍こちらの武器を減らしたくないんだ。半妖おまえらなら、手ぶらでも戦えるだろ? 」

 

「不安だけど、やってみるよ。……半妖わたし達にもの補給は必要だし。夜なら、人目を気にしないで済むよね」

 

 桐乃は睫毛を一瞬伏せたが、意外にも反対しなかった。妖と言えど、武器無しでは命取りだろうに。淡い微笑みを前に、揺らぐ白息を食い殺す。犬の遠吠えがふいに止み、新月の森を睨ませた。


「前方の家屋から、八名の鼓動が聞こえます」


「単身で突っ込み、炙り出せ」

 

 命令した瞬間、半妖の青年隊員 : ❮青狐あおご❯が駆け抜ける! 家屋に空いた銃眼が炸裂し、枯草色の軍服を着た兵士が次々に飛び出す! 奴らが闇夜へ誘えば、単身の化け物を仕留めてくれるだろ。 ❮蒼灰色の軌跡❯を追う火器の瞬きが、コマ送りで咆哮を再生する。土塊跳ね上げ、走狗は蛇行を切った! 黒鱗の手で肩を抑えた❮青狐❯が唸れば、血濡れた弾丸が自然排出される。全く……『人』共を震撼させる再生力だな。

  

「しょうちゃん、後ろ! 」


 目を剥いて振り向く前に、桐乃に庇われて突っ伏す! 銃声と怒号が飛び交った!


「奇襲返しか! 先に散開しろ! 」


 半妖達が反撃に発つ! ところで、上のふくらみが柔い。幸運な偶発イベントのはずが、性癖レーダーが反応しないな。

 

ったぁ! 誰が、乙女を殴ったの!? 」


 腕を引き摺られて突っ立てば、柄付きの危険物が大量に転がる! 八路軍お手製☆石の手榴弾は、兎耳伏せた桐乃にタンコブを負わせていた。焼け付く疾走の最中、兵士へ投げ返せばGoodタイミングで炸裂する! ついに、真の味方へ牙を剥いてしまった。

 

「悪いな、条件反射だ……って、避けろ桐乃! 」


 三十年式銃剣が襲い来る! 自分と繋いだ手を離し、桐乃はくるりと躱す。あかき白焔と襟巻を連れて、舞踏の相方パートナーを大槌に変えた!


「手ぶらだったろ、一体何処から出したんだ!? 」

 

「実存武器を所持する『人』とは違い、私達は体温から武器を顕現出来るの。妖力の武器なら盗まれない! そして火事は、鍛治。昔話の兎に『火』が相棒なのは、『兎』が『製鉄』を齎した一族の末裔だからなのよ! 異能、【打物溶解ウチモノヨウカイ】喰らいなさい! 」


 鮮やかに笑った桐乃が、ぴょんと鉄槌を地へ振るう! 鼓動の内核ごと、大地震動なゐふる! 八路軍の武器が、熱鉄となり溶けていく!どんな闘魂も、平等に地球アースへ還るのだ。慌てふためく彼らは、為す術なく戦意を手放した。


「ごめんね、戦いはお終い。私達に降伏してくれれば、悪いようにはしないから。少しだけ、眠ってくれればいいよ」 


 夜に浮き立つ焔が、彼女の理想を叶えてしまう。どんな地獄でも、甘く綺麗にしゃんと立つ。紅赤色べにあかいろが燃える虹彩に映され、痛感してしまった。自分に、桐乃は殺せない。


「異能、【邯鄲之夢カンタンノユメ】。行使します」


 ❮青狐あおご❯が開眼する。摂取不捨印せっしょふしゃいん……親指と人差し指で輪を成した左手でくうを切り、兵士達を転生の幻夢へ眠らしていく。しろ天華てんげが散る中……うら若き半妖達かれらは手を合わせ、糧へ祈りを唱える。恐ろしい牙を『人』の頸動脈へ穿つのに、荘厳な儀式のように吸血を行うのか。光視症が、清涼な目眩にちらつく。桐乃が穿つ首筋のあかを、若葉色の輝きに視せた。

 

「そんなに見ないで欲しいな、しょうちゃん」


「お前達は……人に尊厳を奪われた捕食者なのに、命を奪わないのか。誰も死んでやいやしない」

 

「私達はバケモノだけど、心まで穢れたくないの。慾に溺れ、自分を指揮する事を忘れたくない。短い生を、人の群れに虐げられようとも」 

 

 抗う魂達を、畏れる心が満ちていく。稀少な『妖』という生き物に魅了されてしまったのは、夥多かたである『人』が醜い争いばかり繰り広げるからなのか。人の群れが知らずとも、眼前の『かれら』は知っている。生命を尊ぶ心を。

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白黒の夢喰に、向日葵を【過去夢05】 鳥兎子 @totoko3927

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