白黒の夢喰に、向日葵を【過去夢05】

鳥兎子

✦01✧


 革命を起こす事が、自分の生きるすべだ。大戦へ加速する時代に、異国へ行商に渡る『華僑かきょう』として生を受けた。日本で呉服を売る日々の中、親戚が異人排斥運動に巻き込まれ、呆気なく葬られるのを見た。脅威迫る日常を変えたければ、青天から白日の庇護を齎す祖国から変えねば。帰して革命軍人となり、自分は戦う道を選んだ。


「軍統局 第二処 特務隊所属、リン 一葵イークゥイ 少尉。今回の諜報任務には……黄埔こうほ陸軍士官学校を優秀な成績で卒業した、十九歳の君が適している。『大日本帝󠄁國陸軍 三橋みつはし 祥吾しょうご 中尉』として潜入し、先方を探ってもらいたい。支那事変が勃発した上、我が国は『アヤカシ』なる新部隊の脅威に脅かされている。私も手酷くやられたものだ。最悪の場合、お得意の爆破工作を実行しろ」


尊命ヅゥン ミィン! 」


 敬礼を決めて、悪役いやがた上官を腹の内で抹殺すべし。『下克上する前に、新部隊を爆破して死んでこい若造』が本音だろ? 死へ恐れなど唾棄すべきだが、赭面あかづら上官なんぞに命はやれない。此度も器用に生き残って、眼前で火傷に苦しむ男を嗤ってやる。


 本物の『三橋祥吾 中尉』から殺略し、入手した軍服を着た。人種も年齢も星の数も詐称したのだ。黒傘をしても、日本の土が軍靴を汚す。杉林に霧雨降りる墓地にて迎えるは、番傘を撐す男だ。桑茶色の武者袴を纏い、白髭を撫でる男に『翁の面』を思い出す。

 

「ようこそおいで下さいました、三橋中尉殿。ご視察の準備は出来ております」


「青臭い自分を出迎えて頂き恐縮です、兎川うかわ殿。貴殿らの徴兵免除を継続する代わりに、上層部は『半妖の新部隊』の更なる活躍を求めています」

 

「ご期待頂き、光栄です。我々『妖狩人』の真の敵は、徒人ではありません。外敵に講ずるあまり、『妖』という内なる敵を仕損じては、我が国を守れません。徒人殺しで掟を破らぬ為にも、『半妖』という捕虜を活用致しましょう」


 眼前に居る外敵には気付かないくせに、笑わせてくれる。


「そそられますね、『妖』という化け物に。真新しい彼らは、の国の土を戦火で耕してくれるのでしょうか」 

 

 翁は口角が裂けんばかりに笑い、後方の屋敷を示した。門札に刻まれる名は、『兎川家』だ。重い開門は導き、邸内の闇を光が切り裂く。銀鱗のビラ簪にて、貝紫色ティリアンパープルの猫っ毛を耳下で束ねる青年が迎えた。深海の如き着物が絹擦る礼が上がり、天藍色の瞳が鋭利に色めく。微笑みで腹底を探らせない彼は、自分と同種の生き様を思わせた。

 

「初めまして、三橋中尉。『半妖かれら』の指南役を務める、竜口たつぐち かいりです。人の生命力を妖の血肉に透過させ、妖力に変換した術式を継承する妖狩人の一派……『擬似妖力由来術式家門』の長である僕が、ご期待に沿えるよう尽力いたします」 


「ならば、噂の化け物を早速見せて頂きたい。せっかちなものでね」


「丁度いい。道場で稽古の最中ですから、見学に参りましょう。兎川殿は、孫娘にも手厳しいのですよ」


「ご冗談を、浬殿。を孫と呼ぶのは、半妖共の前だけですぞ」


 嘲る翁は、懐から何かを取り出した……黒ずんだ杭など、どうするつもりなのか。道場に踏み入った瞬間、猛火の殺気が飛来する!

  

 ―― 兎耳の女?


 かがやく白焔を連れた大鎚が、綺麗な軌跡を描くものだ。紅の襟巻と白袖を伴い、姫の如き鬢削びんそぎ髪が鴇唐茶ときがらちゃ色に旗めく。紅赤色べにあかいろから透明へ燃える大きな瞳に、切子の瞳孔。素直な美人は、殺気を解かない!


「そこまでだ、兎川うかわ 桐乃きりの! 」


 翁に黒杭を突きつけられ、彼女は正気に返る。怯えた瞳を見開き、呼吸を乱した。あんな杭……焼灰に出来ただろうに。兎耳はしなだれ、桐乃は膝から崩れ落ちた。

 

「お爺様……演出が心臓に悪うございます。来客では無く敵襲だと聞きましたよ? 」


「立派な働きを見せるのも、副隊長の役割だ。『さぷらいず』は楽しんで頂けましたかな、三橋中尉? 」


 翁の硬質な微笑を伺い、こちらにヘラヘラと苦笑いする桐乃が対照的だった。

 

「……ええ。噂通り、戦車も溶解できる焔ですね。次の従軍でも、立派に役目を果たせるでしょう」


 桐乃は子供のように駆け寄り、瞳を輝かせた!


「お褒め頂き光栄です、 三橋中尉! 彼の地には、女子供を蹂躙する卑しき者達が居ると聞きました。新たな鉄槌を下す為にも、どうか戦況をお聞かせください! 」


 おかしな女だ。初めて会った上官なのに、眩しい笑顔を向けて、親しい友人かのように腕を引く。これが、『半妖ばけもの』の本性だというのか?


「いえ、自分は……」


「是非、僕にも聞かせて下さい。 僻地ですから、情報に飢えているのです。出しゃばり桐乃は、包ましさを覚えるべきだけど」


「浬ったら! また私の事を馬鹿にするのね? 」


 頬を膨らます桐乃に、浬は口元を袖で隠して笑う。二人の組紐の腕輪が、揃いの艶を返した。成程、恋人そういう関係か……と合点が行きかけたが、浬の眼差しにはあるべきはずの熱が無い。冷たい違和感は、従軍までの滞在期間で確信となったのだった。


「しょうちゃん! 従軍の日が近づいてきて、緊張してるの……何かお話をしてよ」


「桐乃……前も言ったが、その呼び方はやめろ。自分の名前が祥吾しょうごだからって、馴れ馴れしすぎる」


「あら。いつまでも『三橋中尉』じゃ駄目よ。私達、友達なんだから! 」


 満月の夜。隣の縁側にぴょんと座り、桐乃は満面に花わらう。自分のパーソナルスペースへ、勝手に上がり込んできただけだろ。そんな悪態を返す事が、今は難しい。


「自分語りしか、してやれないが」


「なら、しょうちゃんの家族について知りたいな。異国で行商をしていたんでしょ? ……自由な外で生きれて羨ましい」


 日本人おまえらが、自分と家族を排斥したくせに。沸騰しかけた怒りは、冷静に引いていく。大衆と同化させ、桐乃を憎むには遅かった。『兎川家』に使役される半妖の彼女は、出自を選んで生まれた訳でもなければ、『人』ですら無いのだ。ならば少し、 『リン 一葵イークゥイ 』について明かしても良いか。


「病弱な母親と、寡黙な父親が居るんだ。異国で行商は出来なくなったが、遠方に越して仲睦まじく呉服を売っている。自分の親戚は多かったが、大人ばかりだった。一人っ子だったから、歳の近い兄妹と遊べる奴らが羨ましかった……。桐乃はどうなんだ? 」


「私? 父様は誇り高き、妖狩人。お爺様と同じね。母様は……『猛火の玉兎』。兎川家に捕らえられた、偉大なる化け物よ。妖狩人はね、強靭な妖から力を得る為に交わる事があるの。私達は、人の血脈に妖を溶かす為の生贄ってわけ。子孫が『人』の皮を被るまで、わたし達は親兄弟に犯され続ける。親兄弟が婚姻するのは『人』だから、私達は妾以下の存在に成り果てるの。兎川家から新部隊に選ばれたのは私だけだから……蔵に置いてきてしまった妹が可哀想ね」


 深淵を覗いたように、暗い自嘲が似合わなかった。


「秘密を話してあげる。半妖は短命なのよ。人から妖に化した『原初の妖』に出逢わない限り、泥沼の運命は変わらない。私の原初の妖かみさまはお寝坊さんだから、きっと浬を使いに寄越したんだわ。私達を搾取する兎川家から助けてくれるって、浬は言ってくれたもの。浬は私の躰を手酷く抱いたりしない。躊躇う指先すら清いのよ」

 

 桐乃は縋るように、手首の組紐へ口付けをした。愚かな恋を突きつけられたせいか、彼女がいつか消えてしまうせいなのか、はらわたから激情が滾り溢れる! 血が滲む勢いで拳を握り、自分は立ち上がった!


「浬は、擬似妖力由来術式家門の長だ! 甘言を鵜呑みにしたのか! 好きな女を抱かない奴なんて、幼女信者ロリコンか、馬鹿みたいな純恋家くらいだろ。目を覚ませ、冷めたあいつは『有用な半妖』であるお前を色管理しているだけだ! 」


「やめて。躰も血の繋がりも無くたって、遺伝子レベルで愛してるわ!」

 

「お前は恨むのを恐れているだけだ! 目を閉ざして逃げてばかりでは、自分の命も、いつか叶うはずの本当の恋も守れないだろ」

 

「なんて羨ましい男なの。守りたいひとの為なら、己の魂を瞋恚しんいで削げるのね。でもそれじゃあ、しょうちゃんが幸せになれないじゃない。許せないから、賭けをしてあげる。私の向日葵が、来夏に返り咲くまでがリミットよ。浬の心を撃ち抜いて、私がしょうちゃんに『幸せになる見本』をみせてあげるわ」

  

 桐乃はふと、こちらの足元を見つめる。土に散った黄の花弁は、彼女が育てた向日葵だったのか! 残暑の命を踏み躙ってしまったというのに、桐乃は儚く微笑んだ。


「満月が綺麗ね。生き残って、皆で笑えればいい」


 夜空を見上げる彼女は知らない。縁の下の柱には、爆薬が仕込んである。何度も、何度も。祖国と穏やかな日常を焼いた、化け物の巣窟を爆破しようとしたのに。火種を握り消した拳が、今宵も震える。

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