異世界娼館に王は集う ~呪われ彫金師は純潔を諦めない~
北原黒愁
第1夜 とある娼館の類まれなる日常
「お前だったのか。俺の婚約者を殺したのは」
ここは娼館。
一夜限りの恋人たちが
久しぶりに顔を見せた情夫から飛び出た剣呑極まりない台詞に、女は飛び上がるほど驚いた。
「突然、何をおっしゃるの。
女は湯温を調整する手を止めて男を仰ぎ見る。
部屋を訪れる客にまず始めにする奉仕は入浴。今ちょうど沸かしたての湯を浴槽に張ったところだ。
今日の湯は
男が好む東方の果実をわざわざ取り寄せて調合した豪勢な薬湯で、蒸気と共にほわりと漂うビワの甘やかな香りが、張り詰めた場の空気になんともそぐわない。
「あ、あの…… ご公務でお疲れでしょうから、まずは湯あみなさってはいかがかしら。そうしたら悪酔いも醒めるでしょう。さあ、お着物を私に……」
女はなんとか気を取り直して、ビワの芳香に勝るとも劣らぬ甘い笑みを浮かべた。
そうして男の上着に手をかけたのだが、鋭くその手を払われる。
「触るな。俺の問いにだけ答えろ」
男は酔いの気配など微塵もない、凍てつくような声で女を突き放した。
その表情には、幾度も熱く、激しく肌を重ね合った当時の面影は微塵もない。
「勘違いするな。俺は今日、お前を抱きに来たわけではない。罪を問い
男は本気であること示すために腰に提げた剣に腕を置き、威圧した。
そうして、オロオロする女を余所に淡々と罪状を述べていく。
「お前にかけられた嫌疑は2つ。娼婦の連続猟奇殺人と俺の婚約者の暗殺。お前は卑しき娼婦の身でありながら、同業の女を次々と手にかけ、金品を奪い、更には俺の婚約者を毒殺した。そうだな?」
「は……?」
男の口から飛び出した酸鼻極まる事件の数々。
女はショックに身を強張らせて、両手で口元を覆った。
「まさか、本当にご婚約者のマーガレット様が……? ああ、なんとおいたわしい。あれほど仲睦まじきお二人であられたものを」
「黙れ、白々しい。全てお前がやったことだろうが!」
男の怒号に、びり、と窓の
今日は晴夜。
窓から差し込む乳白色の月光に照らされた男の顔は、冴え冴えとして美しく、しかしどこまでも冷淡で、まるで蝋人形のように無機質である。
対して女は忙しなく表情を変えながら、なんとか男を宥めようと必死になった。
「まさか…… ありえません! 私が
しかし公子様と呼ばれた男は、ピクリともしない。
ただ冷たい視線を女に投げかけるだけだ。
男は公子。名をグラナート。
このラクリア旧公国を束ねる「四大公爵家」その筆頭「
彼が黒と言えば黒、白と言えば白であるこの国において、殺人の嫌疑をかけられた女が辿る末路は決まっている―—
「目的を言え。女の身空で、この短期間に十数名も殺めるなど
このままいけば「この国で最も残酷な死罪」が確定する。だが素直に従うならば、死罪の内容を変えてやっても良い。
グラナートは女の耳元でそっと囁くが、女は俯き反応しない。
眉目秀麗な公子は舌打ちした。
「
共通点。それは現場に残された被害者の遺体から、金目の物が奪い去られていたことである。
これだけ見れば、単なる物取り目当てに思えるがそうではない。犯人の真の狙いは別にある――
「調査した結果、ようやく突き止めた。被害者はみな指輪を嵌めていたのだ。そしてそれは犯人によってことごとく盗まれている。これが何を意味するか、わかるか?」
犯人は指輪を求めている。罪なき者を殺めてまで、血眼で。
この大陸において、これが意味することは、ただひとつ―—
「『王の指環』だ。お前、王にでも為るつもりか?」
王の指環——
それはこのぜルガイア大陸における伝承の遺物にして、実在する魔法の指輪。
その指環を手にした者は、神の叡智に導かれ、玉座へと至るという。
この伝承に従って、ぜルガイア大陸では代々「王の指環」に認められた者が玉座に就いてきた。
王たり得るに、性別、年齢、身分は不問。
ただ唯一の資格は、その手に「王の指環」を収めることだけである――
「答えろ。お前の目的は『王の指環』で、それを見つけたのか否かを」
グラナート―—この国の最高権力者であり、王権代理の男は女の肩を掴んだ。
その指には「指環」はない―—
すると、ずっと俯いたまま動かなかった女が、僅かに肩を揺らした。
それを「肯」と受け取ったグラナートは、途端に顔色を変え、そして、
「見つけたのか? 見つけたんだな!? やはりマーガレットの指輪は『王の指環』だったのか……! あれは俺の物だ!! 寄越せ!!!!」
猛然と女に掴みかかった。
「いやぁぁぁぁッ!!」
一級品で飾り立てられた閨の場に、女の悲鳴が響き渡る。
2人は揉み合いとなり、男の髪は乱れ、女の薄い夜着は無残に引き裂かれた。
そうしているうちに女の足が縺れ、そのまま男女は寝台へと倒れ込む。
「う…… やぁぁ……!」
女は最早、一糸も纏っていない。
白いうなじ。
すっきりとした鎖骨。
柔らかな稜線を描く乳房。
全てが、露わとなる。
朧月夜に幻想的に浮かび上がるその裸体は、まるで神話の女神のようで、儚く、そして得難いほどに美しい。
豊かな胸は東方の白磁器のように、艶めき滑らか。
そして、その双丘の温かく柔らかな感触をグラナートは知っている。幾度もこの手で抱き、貪った体だ。
かつての猛りを体が反芻し、ほんの数瞬、気を飛ばした次の瞬間には、男女は深く絡み合っていた。
女はグラナートの顔を引き寄せて、自らの胸に誘う。
その柔らかな
「殺したのは誓って、私じゃないわ……! 信じられないと言うならば、どうか、今。この場で私を調べて。この体の、隅から隅まで」
震える声で囁く。
しかし裏腹に、女のグラナートを抱き締める力は異様なほど、強い。
女は警戒を抱かせない滑らかな動きで枕の下に手をやると、
そこに隠していた、
一振りの短剣を握り締める。
―—そう、私は罪を犯しました
いずれ地獄に落ちることでしょう
だけどね、公子さま
先に地獄に落ちるのはオマエの方よ
この続きは醒めない夢の中で
あの
この時始めて、女の完璧な「悲劇の娼婦」の仮面が剥れた。
艶めく美しい顔に、凄惨な本性が音もなく浮かび上がると、女、いや稀代の悪女は、高らか嗤った。
「さ よ う な ら。
鈍色に閃く無情なる刃が、男めがけて振り下ろされる―—
※※※
王の指環。
得た者を至高の玉座に誘う伝説の指輪は失われて久しく、最後に王が立ったおよそ300年前より以降。ただの1人も、玉座に至ったものはいない。
王無き混迷の大陸ぜルガイア。
しかし、母なる大河が「六条の星」を宿した時。
悠久の沈黙は終わりを告げ、この地に動乱が舞い戻る。
戴冠戦争——
大陸全土を巻き込んだ血で血を洗う玉座争い。その発端となった地は、
小さな国の片隅にある、とある娼館の一室だったという——
☆このたびは拙作を読みにきてくださり、誠にありがとうございます!
この場を借りて深く御礼申し上げます。
のっけからスリリングな展開ですが、次話から明るく健全?な娼館の娘たちのお話が始まります。
どうかごゆるりとお楽しみくださいませ。
次の更新予定
異世界娼館に王は集う ~呪われ彫金師は純潔を諦めない~ 北原黒愁 @kokushu
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