第3話 伯爵家の養女となりまして
私は翌日リーマス伯爵家に向かった。
何も持たずに来て良いと言われたし、貴族の屋敷に持って行ける物なんて持っていない。
早速部屋に通されて、付け焼刃の淑女教育を受ける。
私にとっては未知の事で、体力的、精神的な辛さよりも、興味の方が勝った。
何よりドレスが動きにくい。
この国の平民の服は少しだけ丈が短い。
脛の辺りに裾がくる形で、コルセットなどはつけていない。
材質は亜麻や毛織物の一枚布だから、軽いのだ。
片や貴族のドレスは絹に木綿で、共布を使ったフリルやレースがふんだんに使われているし、何層にも布を重ねたりもしているので、少し重い。
肌触りは良いのだが、肌に纏わりつくような柔らかさも慣れるまで落ち着かなさそうだ。
慣れない服を着て、慣れない靴を履いて、ふらつかないように踏ん張って淑女の挨拶を学ぶ。
それだけで、普段使っていなかった筋肉が悲鳴を上げる。
だが、毎日立ちっぱなしの働き詰めだった平民の体力は貴族よりもあったのだろう。
最終的には教師も私の所作に頷いた。
忘れないように寝る前に練習しないと……。
密かに心に誓い、次は座学を学んだ。
読み書きや計算は普通に出来るし、父の手伝いをする為に教師も雇って勉強はしていたので問題ない。
本を読むのは苦ではないし、寧ろ楽しい。
この国の歴史位は勿論図書館の本で読んで知っている。
知らなかったのは貴族名鑑くらいだ。
教師は安心したように、私にそれを与えて退室する。
昼食も忘れて、私は読み込んでしまった。
邪魔をしないよう言われていたのか、日がとっぷり暮れるまで誰も部屋には来なかったので、気づいたのは陽が落ちてからだ。
「晩餐はどうなさいますか?」
「わっ!」
部屋の隅から窺うように声をかけられて、私は思わず悲鳴を上げてしまった。
その声に、逆に使用人も驚いている。
「あ、御免なさい。部屋で食べれるなら部屋で食べたいです。まだ食事の作法を教わっていないので」
「畏まりました」
丁寧に頭を下げて、使用人は部屋を出て行く。
ほどなくして、ワゴンに食事を載せて、使用人が戻ってきた。
ふわりと鼻腔を擽る良い匂いに、思わず喉が鳴る。
肉に野菜にスープ、そして柔らかいパン。
実家の食事より少し豪華かな?という料理。
とはいえ、実家も裕福な商家なので、休みの日やお祝いの日にはこれよりも豪華な料理は供される。
「ありがとう」
「……他に御用がございましたら、お呼びください」
深く頭を下げて、女性の使用人は部屋を後にする。
私は早速、夕食をむしゃむしゃ食べた。
温かくて美味しい。
一人の食事は少し寂しいけど、それでも気軽に食べれる方が今日は有難い。
だって、食器の使い方や料理の取り分け方とか、綺麗なドレスを汚さないように振る舞うのも全て神経を使う。
よくそんな状態で味を楽しめるな、というのが私の感覚だ。
美味しい、と思いながらお腹を満たす方が幸せである。
そして、はた、と気が付いた。
物語ではよく、こういう境遇の人間は冷たく遇されるものではないかしら?
料理もゴミみたいだったり、何か変な物が混ぜられてたり、とか。
私は注意深くスープをかき混ぜてみるが、特に変な物は見当たらない。
美味しい。
やっぱり、伯爵がどうしても侯爵家と縁づきたいから、一応大事な駒として扱われているのかしら?
その内従姉のサリーあたりが、馬鹿にしに来そうだけど。
ともかくその日は無事、何事もなく終わった。
入浴を手伝おうとされて固辞したくらいで。
侯爵家に嫁いだら、他人に手伝われなきゃいけないのだとしたら。
それはそれで、ものすごく憂鬱だ。
翌朝、日の出と共に目覚める。
ちょうど、朝の仕入れに出かける時間帯で、私は動きやすそうなドレスに着替えると、庭を散歩する事にした。
まだ明けきらない朝露に濡れた庭草が、緑の良い香りを纏っている。
空気も冷たくて、気持ちが良い。
働いていた庭師達に会釈をしつつ、邸宅の周りをぐるりと一周する。
王都の町邸宅だから、そこまでは広くないのだろうけれど。
庶民の我が家の数十倍は広い。
店の敷地も合わせても、だ。
厩舎を覗いて、調理場の裏口で人が働いている所に出くわした。
凄く忙しそう。
「何か手伝う事はありますか?」
「見慣れないけど、あんた新人かい?」
だみ声で赤いくるくる巻いた髪のおばさんが、私を足先から頭の天辺までじろりと見る。
私は何と答えたものか、と逡巡したが、取り敢えず頷いた。
「朝の間だけお手伝いを……」
「じゃあ、さっさと着替えな!」
言いながら、強引に私の手を引くと、着替えが置いてある場所に連れて行く。
渡された下女用の簡素な服に着替えると、言われるままに働いた。
何時もとは違う仕事だけど、それも新鮮だ。
野菜を洗ったり、皮を剥いたり。
家でも普通に私や妹もやってきた料理と変わらない。
主人達の朝食の前に、従業員は従業員用の食堂で朝食を済ませる。
小間使いである、昨日の女性が私を見てギョッとしたように固まるが、私は笑顔で首を横に振った。
そうすると、小間使いのお仕着せを着た彼女は、胸の辺りを押さえてほっとしたように頷く。
どうやら、内緒にしてくれるらしい。
食事をした後は、引き続き主人の食事の用意を手伝ってから、その場を辞する。
私もそろそろ、朝食に顔を出さなくてはいけない。
もう食べたけれど。
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