小売店店主強殺事件
@HOTTA-Tatsuya
小売店店主強殺事件
「近くじゃね」
柴田聡美がつぶやくように言った。柴田家の夕食が始まってから、初めての発話だった。
聡美が見ているニュース画面を、トオルも見る。小売店店主強殺事件。広島県東区北観音町にて、酒屋を営んでいた高中道人さんが撲殺された。店内を物色した形跡があることから、警察は金目当ての犯行と予想して捜査を開始している。
画面が切り替わり、近所の北観音町が映った。普段何気なく見ている通りが、強い光のライトに照らされて物々しく見える。
「現場は閑静な住宅街です。殺された高中さんはここで酒屋を開いていました。駄菓子屋も併設されており、放課後の時間帯には子どもたちの来店もあったことから、現場周辺では心配する声が――」
「今日さ、クリシェっていうの、習ったんだ」
トオルが言った。
「何語?」
「たぶん、フランス。よくある表現や新鮮味の無い表現で、文筆家は避けるべきなんだってさ。テレビのアナウンサーは、いいよね」
「あんた、アナウンサーの言ってることが新鮮味が無いって言いたいわけ?」
聡美は頭を抱える動作をした。
「近くで殺人事件が起こって、出てくるコメントがそれかい。文筆家になったらいいよ」
トオルは無表情で席を立った。しばらく台所の水音がしたのち、トントンと足音がして自室に帰っていったことを告げる。
「……ふん」
聡美はテレビを切った。あの子がひどく無愛想になってどれくらい経つだろう。少なくとも、父親といっしょにいたころはああではなかった。
考えが悪い方向に向かう前に、聡美は無理やりにコップのビールを開けた。
*
「駄菓子屋って懐かしいよ。たとえ5円チョコが大量に売れたとしても、5円かけるいくつじゃ儲かる図が想像できん。子どもが好きでないとやっとられんじゃろうのう」
広島県警の萬城刑事が広島弁丸出しで言った。すでに現場検証が始まっており、人の出入りが慌ただしい。いつもの大声がさらに大きくなる。
「伊垣んとこは有った? 駄菓子屋」
傍らの後輩に尋ねると、伊垣はNHKのような標準語で答えた。
「無かったですね。酒屋も無かったです」
「コンビニに押されたんか」
「ですね」
萬城刑事はため息をついた。そこへ高中夫人が巡査に連れられて現れたので、襟を正す。夫人は高齢だが腰も曲がっておらず、矍鑠としていた。
「ああ、本日は大変なことで、ご愁傷さまでございました」
夫人は警察に対し恐縮していた。
「いいえ。こないな大事になって、申し訳ないやら驚いたやらで」
「早速ですが、事件のお話を聞かせてもらわないといけないもんで。夕飯の支度をしていたら、ご主人の悲鳴を聞いたと伺いましたが?」
「ええ。うちは酒屋と駄菓子屋、2つやっとりますけど、どちらも客が少ないけえ、店番は一人で足りるんですよ。基本的に酒屋の方にいて、子どもが来たら駄菓子屋のほうに行くというわけで。今日は主人が当番で、私は家のほう――これも併設されていますけど――、家のほうで夕飯を作ってました」
「悲鳴を聞いてかけつけたけど、犯人の姿はすでになく、ご主人が倒れているのが目に入ったので119番通報した、と。あそこの――」
萬城刑事はレジ横のカメラを指さした。
「監視カメラの映像を見せてもらってよろしいですか?」
高中夫人は「もちろん」とうなずき、レジ奥にあったノートパソコンを開くと、慣れた調子で操作し始めた。
「ここに」フォルダをカーソルで指す。「動画が溜まる仕組みですわ。悲鳴を聞いた時間を表示してみます」
夫が殴られるシーンを見せてもいいものかどうか、刑事たちは顔を見合わせた。しかし夫人は手早く動画を再生し始めてしまう。
「……子供の声ですね」
伊垣刑事が言う。動画の冒頭には子どもの声変わりしていない声が入っていた。
「これは駄菓子屋のほうの客ですね。殴られたのはもうちょっと先だったか」
「ああいや、お構いなく。前後の様子も知りたいので」
子どもの声が終わると、しばらくして帽子にマスク姿の男が映り込んだ。低い声で何かを要求しているが、聞き取れない。しばらく揉めたあと、高中氏がトンカチのようなもので殴られた。
「ひどい殴り方だ。こんなもん、耐えられっこないですわ」
夫人は呟いた。
マスクの男は現金を漁るためか、レジの方向に姿を消した。しばらくして、夫人がカメラに映った。
「? 犯人は、どこから入ってどこへ出たんでしょう」
伊垣刑事が疑問を投げかける。
「高中さんが現場に来た時には、すでに犯人はいなかった?」
萬城刑事の質問に、夫人は大きく首を振った。
「いたら通報なんかしてませんよ」
*
「次は缶蹴りな。俺最初に蹴りたい」
玲斗の言うことは絶対だ。少なくとも、観音第一公園にいる4人(玲斗、賢治、武人、トオル)の中では、玲斗の権力には絶対的なものがある。
子どもたちはそれぞれに缶蹴りの態勢に入った。賢治が空き缶を拾いにトイレ横のゴミ箱に走る。
「おっと」
大きな影が現れたので、賢治は慌ててブレーキをかけた。背の高い――といっても子どもたちと比較しての話だが――男性は見慣れた制服を着ていた。警察官だ。
「すみません!」
警察官だと見て取った賢治は、とりあえず謝る。警察は柔和な笑みを浮かべ、
「いや、ここでは私のほうが部外者だしね」
と標準語で言った。
「私は伊垣順治。広島県警の刑事なんだけど、昨日起こった強盗事件について……」
「死んじゃったやつだ!」
武人が大声を上げた。玲斗が素早く彼をつつく。
「うちの親も、心配してました。ホントいうと、俺ら、親に逆らって遊びに来たんです」
玲斗は仲間内だけのときの態度から変わり身を見せて言った。
「親御さんは心配させないほうがいいよ」
伊垣刑事は月並みな助言を言ったあと、手帳を取り出した。
「まず、君たちのグループは、昨日高中さんの駄菓子屋に行ったんじゃないかと思うんだけど」
「確かに行きました。すげえ、刑事ってだけのことはある」
玲斗は目をキラキラさせて答える。
「監視カメラだろ。酒屋側にはカメラあったし、音を拾うやつなら僕らのことが分かっても不思議じゃない」
トオルが水を差したので、玲斗は露骨に不機嫌になった。
「後知恵〜!」
「まあまあ。確かにカメラから君たちに見当をつけました。君たちが駄菓子屋に入ったのは5時頃だよね。変わったことはあった?」
「全然。じいさんもいつもどおりだった」
「高中さんはいつも、酒屋側から店内の通用扉を使って駄菓子屋側に来ていた、ということでいい?」
「当たり前じゃん」
「刑事さんはいつもの様子を知らないんだよ」
子どもたちはワイワイと意見を述べる。伊垣刑事はそれを笑顔で聞いている。
「ありがとう、参考になったよ」
伊垣刑事はそういうと引き上げる態勢をとった。
「一緒に写真撮ってください」
玲斗が言い出し、なぜか記念撮影の時間になった。
みんなスマホを持っていて、それぞれ伊垣刑事とポーズを取る。トオルのみが遠くを見つめてぼんやりしていた。
「君は、いいのかな?」
「いいです。僕に気を使わず、早く男を捕らえてください」
トオルは吐き捨てるようにいうと、みんなからの苦情を背に去っていった。
「あいつは昔からノリ悪いんです」
賢治が言った。
「駄菓子屋に来るのも嫌々だったし。せっかく誘ってやったのに」
武人が口を尖らす。
「あいつは金持ちだから、駄菓子屋なんて来ないんだよ。缶蹴りで口直ししようぜ。あ、刑事さん、いろいろありがとう」
玲斗が素早く話題を切り替えると、子どもたちはあっという間に缶蹴りに夢中になり、刑事のことなど気にならなくなった。
*
伊垣刑事は県警に設置された捜査本部に戻っていた。コーヒー缶を片手に持っているが、飲む様子はない。ぼんやりと遠くを見つめていた。
「よお、伊垣。子どもらに聞き込みしとったんじゃそうな、のう?」
先輩の萬城刑事が現れたので、伊垣は注意を捜査本部の中に戻した。
「有意義でしたよ」
「ホンマか〜? 子どもの言うことはコロコロ変わるけえ、あまり参考にしすぎてもな」
「言うことだけじゃなく、彼らのすべてが変動するんです。昨日までの友達が、今日は敵、なんてこと、日常茶飯事ですよ。でも、嘘はついてない」
「よっしゃ、じゃあ、有意義だった情報を先輩に聞かせてもらおうか」
「まず、柴田トオルくんという少年。彼は殺人か、少なくともその前後を目撃しています」
「目撃者……!」
萬城は俄然興味をそそられたようだ。
「子どもらが来店したのは、5時頃だろう? 犯行まで少しのズレがあるが?」
「彼は犯人のことを『男』だと断定していました。これはまだ一般には出ていない情報です。何かの事情があって、一人で再度店に来て、犯行を目撃したのでしょう」
「その子に話を聞きに行こう」
萬城はすぐにでも出かける素振りを見せたが、伊垣は椅子の上で動かなかった。
「個人的に柴田トオルくんのことを調べてみました。柴田家は親が離婚しており、母親が一人でトオルくんを育てています。トオルくんの家が裕福だという噂が流れていますが、おそらく養育費から連想されたデマです。実際にはさほど――というか、普通に困窮しています」
「ふむ」
「その上で、トオルくんはクラスメイトのリーダー格の少年に嫌われています。いじめを受けている可能性がある。いじめる相手が金持ちだと認識していたら、たかりのような行為が行われる土壌はある。トオルくんはおそらく、ほとんど自由になる小遣いを持っていないでしょう」
「何が言いたい?」
「扱いに慎重になるべきだと言いたいのです。あの日トオルくんはおそらく、万引きをしに高中さんの駄菓子屋に入った。犯人を目撃したのに何も言い出さなかったのは、後ろ暗いところがあるからです。
「犯人についていえば、おそらくカメラの無い駄菓子屋から酒屋側へと通用扉を使って入っている。これは、土地勘のある人物の犯行です。トオルくんを追い詰めなくても、この情報だけで捕まえることができるかもしれない」
「俺たちの仕事は、事実を積み上げることに意味がある。仮にその少年が窮地に立たされることになろうとも、目撃者らしき人物を放置するって手は、無いな」
伊垣は諦めたように「ですよね」と言った。
「だが、俺たちには守秘義務という便利な義務がある」
萬城は指をピンと立てた。
「そのトオルくんが万引きを行っていたとしても、うまく情報源を秘匿して――もちろん、本人は叱らなきゃいけないが――報告書を書くことは、可能だと思う。それにもし、犯人のほうが子どもに犯行を見られたと認識していたらどうなる? トオルくんを保護するためにも、我々は行動が必要だ。
「さあ、手柄を立てにいこうや」
萬城刑事はツカツカと部屋の出口へ消えた。
伊垣刑事は見えない彼に一礼し、手帳を持って彼のあとに続いた。
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