第38話 絶対に死なせたりなんかしない
誠也は柵から飛び降りた、本当に一瞬で目の前で姿が消えたのだ。
下の方から「ばしゃん」という大きな音が響く。
真夜は真っ青になった。
「嘘でしょ……!?」
すぐに誠也が飛び降りた柵から真夜が柵から覗き込むと、そこには水飛沫と大きな大きな波紋が広がっていた
雨で増水した泥水に飲みこまれたのだ。
「誠也! 誠也!」
早くしなければ、早く助けなければ、と真夜は頭に電流がかけめぐった。
誰かを呼んでくるか?
そんなもの間に合うか?
そんなことをしても別の人間がここへかけつけるまでの間に手遅れになる。
このままではすぐに流されてしまう。誠也の身体が沈んでしまう。
もう間に合わなくなる。
どうすれば、どうすれば誠也を水から出すことができる?
一瞬でそういった思考が駆け巡り、真夜はある行動に出た。
誠也が飛び降りて、ほんの数秒ほどの判断だった。
「待ってて、今助けるから!」
真夜は覚悟を決めてそのまま誠也が今落ちた場所に自分も飛び込んだ。
こんなことをしたら自分も溺れるのかもしれないということも考えられなかった。
とっさに身体が動いだのだ。こうするしか間に合わない、と。
バシャン、と水飛沫の音が上がり、身体が水面にたたきつけられ、冷たい水温に水圧が襲い掛かる。
真夜は足をつこうとするが。増水した川は水位が上がっており、底には微妙に足がつかなかった。
「せい、やっ……」
飛び降りた場所に誠也は沈んでいた。まだ流されていなかった
誠也の首の後ろの袖に手を伸ばし、すぐに誠也の服の襟を引っ張ろうとした。
しかしなかなかうまく掴めない、指から服の布が滑りやすいのだ。
そして思ったよりも流れがある。そこがプールとの違いだ。
夏になると毎年、川遊びをしていた子供が溺れるというニュースを見る。
水難事故は溺れた者を助けに入ろうと水に入ると、助けた人間が死んでしまうというのもよく見る。
助けようとした目的人物は助けられても、そのまま助けに入った方は死んでしまうというのもよくある。それか両方が助からないまま死亡ということもある。
今の自分がまさにそうなる可能性が大だ。そうとわかっていながらも、真夜は命を投げ出さんとする覚悟だった。どうしても誠也を助けねばならない、と。
「がはっ、ごほっ」
苦しい、鼻に水が入る、水を飲んでしまうと肺にも水が入る。
水圧に逆らって、必死で手をばたつかせ、誠也の腕を掴むことができた。生まれて初めて強く掴んだ男性の腕。
それは筋肉がついている、しかし誠也の腕は男性にしては細かった。
なんとしてもこの腕を離すものか、と真夜は手に力を込めて掴んだ。
水で指と手のひらが滑りやすくなっていても、絶対に話さない! と強く掴んだ。
「うっ、かはっ……」
土臭い泥水が口の中に入り込む。それだけで嘔吐してしまいそうな臭さだ。
服が水を吸って濡れて重たく、水温も冷たくて身体がかじかみ痺れも感じる気がした。
そして足が底につかない、流れもある、陸上と全く違う。
まさにこのまま二人は流されてもおかしくない。
口からあぶくが出る、なんとか水面から顔を出し、息をしようとする。
「がはっ、ごほっ」
苦しい、苦しい、息ができない。
酸素と同時に水まで口に入る。うまく呼吸ができない。
初めてここで会った頃にはこの川で死にたいと思っていた真夜がここでは必死で生きたいと望む。
あの時の自分は水に入ってそのまま流れに身を任せて死ぬつもりだった。
しかし水の中というものは、こんなにも苦しい場所だったのだと知った。
これはプールの授業などではない、本気で命がかかった状況だ。
今は遊びではない、本当に命の危険に関わる時だ。
ただでさえ流れがあって自分一人が泳ぐだけで大変だ。
そこへさらに男子高校生を抱えているのである。
真夜はスイミングで習ったことを思い出す。服を着たままの時に泳ぐ練習の着衣水泳。
かつての真夜はスイミングでは優秀な成績を残していたのだ。
その時の感覚を思い出す。
水に入ったことにより、灯油が水に流されてぬめりが取れているのが幸いだ。
目一杯呼吸を吸って、足を真っすぐにして大きくバタ足をする。
片腕は誠也を掴んでいるから、塞がっている。だからもう片方の腕で水を大きくかくのだ。
(絶対に、死なせたりなんてしない!)
その意思はかつてないほどに真夜に凄まじいパワーを与えた。
通常の女子中学生であれば、深い水に落ちて人を引っ張り上げるだなんてとてもできないだろう。
しかし、今の真夜には火事場の馬鹿力のようなものが働いているのかもしれない。
真夜は浅瀬に向かって必死で泳いだ。
手でもがくも、何も掴んでる感覚がしない。その上、もう片方の手は人を一人掴んでいる。
足を必死でバタ足にさせて動こうとする。プールで泳ぐのとは違う、習い事でもない。
水着ではなく着衣、ゴーグルもビート板もないのでスイミングスクールともまったく違う。
今の真夜にはきっとスイミングの時以上の力が発揮されているだろう。
生きたい、助けたいという気持ちが真夜に身体の底からのパワーを与えて身体を動かした。
命がかかっているのだ。ここで気を抜いたら二人とも死ぬ。
本当に一生における一大事なのである。
これまでにない、本当の意味での生死が関わっている。
(頑張れ私!)
足にかつてないほどの力を入れてバタ足で大きく水面を叩く、流れのある川だが、真夜の抵抗で身体が少しずつ動き始めた。
呼吸がしにくくても、頑張って顔を水面から出す、スイミングで習ったことを集大成かのように思い出して最大限に発揮する。もうこれが渾身の力だといわんばかりに身体を動かした。
少しずつ、少しずつ動いて真夜は浅瀬を目指した。
足がつくところまで行くことにができれば、そこから陸へ這いあがることができるかもしれない。
ばしゃばしゃ、と真夜がバタ足をする大きな音と水しぶきが上がる。
誠也の身体をひっぱる力もぐんぐん上がっていく。
少しずつ進むと、足の先に砂利が触れる感覚がした。
僅かならが底に足が触れているのだ。
先ほどの足が全くつかない深さより、少しだけ浅瀬への希望が出てきたということだ。
その希望が真夜に力を与えてくれる。絶望から光が見えた。
「げふっ……はっ」
もう少しだ、と真夜はバタ足を激しくさせる。
なんとか足がつかないかと何度もバタ足をしながら。底に触れないかを試す。
足の先にごつごつとした砂利が触れている。
しかし、砂利は地面と違って、足の重心を書けて踏みしめることができない。
水の中の砂利は滑るのだ。うまく足を踏みしめることができない。
しかも真夜は体育館から誠也を追う際に走りやすいようにオイルの染みた靴をあそこで脱ぎ捨ててきたのだ。なので砂利のごつごつした痛さはそのまま自分のダメージになる。
しかし足がつくようでつかないもどかしさもあるが、足に砂利が触れるだけでも少し希望が持てる気がした。
真夜はバタ足をやめて、一旦ぐっと底に向かって足を伸ばした。
僅かながらも底を少しだけ踏んでいる感覚がした。
全く足のつかなかったところから少しだけでも底に足が触れる。ここまで来ればあとはどんどん底が安定して浅瀬に近づくはずだ。
(あと……ちょっと……)
徐々に底を踏めるくらいの深さになっていき、底を蹴る感覚がした。
とはいえ、水底の砂利は踏むといっても滑りやすい。しかも裸足に刺さっていたい。
しかし、砂利より下に少しだけだが踏ん張れる場所が出てきたのだ。
何か掴むものがないかと必死で腕を伸ばすが、あるのは砂利ばかりで何も掴めるものがない。
しかし、バタ足をやめて足を沈めると、次第に底を踏みしめて歩いている感覚に徐々に近づいていた。
(ここまで来れば……!)
砂利に滑るが、それでもだんだんと足が土を踏んでる感覚になってきた。
ラストスパートだ。
あと少し、あと少しで浅瀬だ、真夜は最後の力と浅瀬に足を動かした。
ようやく足が踏みしめられた。
真夜はそこに力を入れて、立ち上がろうとした。
ざぼおぉっと音がして、真夜はやっと上半身を水面から出すことができた。
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