ヴォストキア王国記~召喚者が好き放題した後の世界で、魔王の末裔は戦う~

広瀬妟子

プロローグ 亡命者たち

 昔々、この世界は魔王とその軍団に支配されていました。多くの種族と人々は魔王から苦しめられていました。


 ある時、一人の若者が立ち上がりました。若者は仲間を集め、武器を整え、魔王軍に挑みました。最初は負け続けでしたが、年月が経つにつれて新たな仲間を得て、いたるところで魔王軍を打ち倒していきました。


 そして10年が経ち、若者は勇者として多くの人々から親しまれるようになりました。そして魔王城を包囲した勇者軍は、7日にわたる戦いの末、ようやく魔王を倒しました。


 勇者は魔王を手厚く弔い、魔王城とその周辺を新たな王国の中心として作り直しました。そして人々は幸せで平和な暮らしを取り戻しました。


(ある地域に伝わるおとぎ話より)


・・・


勇暦525年/王国暦44年5月3日 ヴォストキア王国北西部 セベリスティナ山脈


 イルピア大陸。惑星の北半球に位置するそこは総面積900万平方キロメートル、地球のオーストラリア大陸より一回り大きい、広大な大地である。その東部には数多くの種族が集い、一つの国を成していた。


 その国はヴォストキア王国といい、大陸の1割ほどを占める国土には5千万の人々が暮らしている。北部の山岳地帯に埋蔵される地下資源を利用した工業と、南部の広大な平野を活用した農業、そして東部の魔王が支配していた時代から残る都市を中心とした観光業で栄えている。


 その北西部、セベリスティナ山脈にある山麓の中腹にて、アルトゥール王太子は趣味の狩猟に興じていた。ロングコートで身をまとった上に1丁のライフル銃を背負い、オートバイにまたがって獲物を探していた彼は、万が一の事態に備えて1個歩兵大隊を後方に従えて動いている。


 すると、目前に1頭の白く大きな狼が現れる。狼はアルトゥールに向けて話しかけた。


「殿下!ご報告申し上げたいことがあります!」


「どうした?」


「はっ、この先で倒れている者を見つけました!まだ息はあります!」


「わかった。案内を頼む」


 アルトゥールは狼に命じ、案内をしてもらいつつオートバイを走らせる。数分後、狼が立ち止まった場所でオートバイを止めると、彼は狼に導かれるままに一つの木の根元まで歩く。そこには、一人の少女が半ば雪に埋もれかけた状態で横たわっているのが見えた。


「これは…ヒト族の少女か。それも西の地域のか」


 アルトゥールはそう呟きながら少女の身をゆっくりと起こし、雪を払いつつ木の幹に横たえさせる。そして懐から1本の魔法瓶を取り出し、呪文を口ずさみつつ中身の回復薬を飲ませる。そして彼は改めて彼女の全体像を見回す。


 イルピア西部の女性達が着ているスクマンと呼ばれる民族衣装と、薄い絹製のウィンプルをまとったその少女の顔色は白く、血の気がほとんど感じられなかった。よく見れば左腕の辺りは裂けており、血で赤く滲んでいる。しかも10代後半の身には似つかわしくないボルトアクション式のカービン銃を背負っており、どう見ても狩猟目的でこの辺りをうろついていた様には見えなかった。


 衝撃的なことは他にもある。少女は一人の赤子を毛布に包んで抱えていた。その普通ならありえない姿に、アルトゥールは胸騒ぎを覚える。


「急ぎ私の別荘に運び込まねばならん。急ぎ近衛兵を呼んできてくれ」


「はっ…」


 狼は応じて踵を返し、アルトゥールは静かに少女を抱きかかえた。


・・・


 目が覚めた時、少女の視界に入ってきたのは木目の見える天井だった。


「ここ、は…」


「おや、気がつかれましたか」


 傍で様子を見ていた、ゴブリンロードの医師に呼び掛けられ、少女はゆっくりと視線を向ける。反対側に位置していたキャットシークの看護師が彼女の背に手を回し、ゆっくりと起こす。


「今から1時間ほど前、セベリスティナ山脈のデアトロ山中腹で倒れていたのを発見されました。貴方の抱えていた赤ちゃんも含め、応急処置が遅れていたら危ういところでした」


 医師はそう語りながら、手慣れた手つきで診察を行う。そして一人の燕尾服姿の男が荷台を押して現れ、ベッドの上にテーブルを敷く。そして目前に幾つもの料理を並べていった。


 牛乳と小麦粉、バターにブイヨンを用いて煮込んだ鶏肉と根菜類のシチューをメインに、ベリージャムを添えた食パン。そして南の大陸より伝来した植物の種子を炒って粉にしたものを煎じた飲料がメニューだった。じっくりと煮込まれたシチューをスプーンで掬いながら、少女はそれを口へ運んでいく。


「おいしい…」


「それはよかった。私のお抱えのシェフが丁寧に作ってくれたものだからね」


 とその時、一人の男が入ってくる。銀色に輝く髪が印象的なその男は、身にまとう背広のしわを伸ばしつつ言葉を続ける。


「初めまして、お嬢さん。私の名はアルトゥール。ここは私の別荘だ。趣味の狩猟に興じていたところ、山の中腹で赤ん坊と共に倒れているのを見つけてね。ここに運んできた次第だ」


 柔らかい物腰で名乗り、少女は目を丸く見開く。と同時に身をひねって向きを変え、頭を下げた。


「あ、貴方が噂に聞いた、アルトゥール王太子殿下ですか…!ま、まさかこのような場でお会いになるなんて…!」


「…何?」


 少女の言葉に、アルトゥールは眉を顰める。彼女の口ぶりからして、まるでこうなることを望んでいたかの様だった。否、彼女はここ以外の、ヴォストキア国内でそれなりの高位の者と出会うつもりだった様だ。


「も、申し遅れました。私はスオミア王国より参りました、サーリャ・ジルカスカヤと申します。此度は貴国に対し、庇護を求めに参りました!」


「庇護…?それはいったい、どういう事かな?」


 アルトゥールが問いかけると、サーリャと名乗った少女は左手首につけているブレスレットに触れ、空中に立体映像を映し出す。それはイルピア大陸全土でよく用いられている魔法具であり、映像は一つの紋章を浮かべていた。


「殿下も噂を聞いてはいるでしょうが、現在、我が故国スオミアは滅亡の危機に瀕しております。大陸西部の半分を支配する軍事大国ヤシマが、我が国に対して宣戦布告を発したからです」


 その言葉に、アルトゥールは「やはりか」と内心で呟く。彼女を見舞いに向かう直前、首都ヴォストグラードより急報が飛んできていた。その内容は衝撃的なものだった。


「私はこのことを至急隣国へ伝えるべく、セベリスティナの山々を越えようとしておりました。ですがその際、ヤシマ軍の追撃に遭い…」


「なるほど…まずはその身を休ませることだ。われらとて善意のみで何かをすることはできないのだから…ああ、あの赤ん坊は無事だ。今私の妻が面倒を見てくれている」


 アルトゥールは彼女にそう言いつつ席を立ち、別室へ向かい始める。とそこで、一人の将校が背後から話しかけてくる。


「殿下、首都の陛下より連絡が入っております。直ちに首都に戻り、王前会議に参席せよとのことです」


「わかった。近衛大隊は彼女が発見された地域周辺の警戒を頼む。恐らく彼女以外にも『山越え』を試みた人がいるかもしれん。陸軍の国境監視部隊にも連絡を入れておいてくれ」


「御意に、殿下」


 将校の応答を聞きつつ、一つの部屋に入る。そこには一つの魔法陣が敷かれており、アルトゥールは呪文で魔法陣を起動させつつその中央に立つ。そして自身の職場であり本来の居城たる首都ヴォストグラードへ転送される直前、小さく呟いた。


「…さて、ここから忙しくなるぞ」

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