アンチクライマックス ケース#1 ウイスキーマン KAC版

西野ゆう

第1話 ウイスキーマン

「ウイスキーマンには三分以内にやらなければならないことがあったが、できなかった。そういうことだな?」

 大型の有機ELディスプレイに映された古い白黒の映像と、アナログノイズ混じりの平坦な音声が室内の照明の落とされた部屋に流れている。フィルムの劣化で人物の表情までは窺い知れない。

「ウイスキーマンに直接訊けよ」

 取調室を映すモニターの中の二人のやり取りを、数十人のスーツを着た男女が眺めている。

「だからそのウイスキーマンはお前にしか見えていないんだよ。存在しないんだ」

「そんなわけあるかよ。俺が飲む時は必ず奴と一緒なんだ」

 何度も繰り返されるやり取りに、刑事は疲れた表情でカメラに視線を向けた。

「もう止めだ。意味がねえ」

 机に両手を付いたまま肩で大きく息を吐いた後カメラの前に立ち、画面が暗くなって数秒後、三脚が倒れて画面が横向きになった。

「うがっ!」

 うめき声をあげて頭を抱え、うつ伏せに倒れる。割れたレンズでボヤけているが、変わらず椅子に縛り付けられて座っていたままの男が「クックック」と低く笑う。

「来てくれると思ってたよ。ウイスキーマン」

 笑い声を含んだままで発したその言葉の直後、フィルムが切れて映像と音声が途切れた。


「この場にいる者なら、一度は今の映像を見たことがあるだろう。一九六三年の『ウイスキーマン事件』を振り返るたびに流されている映像だ」

 返答を求めていない言葉に対して、この場にいる全員が黙している。

 この事件の三年後、ロックミュージシャンによってこの事件をモチーフにした楽曲も発表された程、世間に知れ渡っている連続猟奇殺人事件。

 21世紀になっても犯人は捕まっていない。数十年の間、新たな物証も証言も得られていない。事件は最早伝説となっている。

 この場に集まった刑事たちも全員事件後に生まれた者ばかりだ。

「ウイスキーマン。スコットランドヤードが我々NCA国家犯罪対策庁に残したどデカい置き土産だが、残された証拠はこの映像のみ。それ以外は証拠保管庫から消え、調書も失われ、担当刑事もウイスキーマンも煙のように消えた。だが先月、この映像の続きが発見された。今日はそれを見てもらう」

 マスコミでも居れば騒然としていただろう。だが、この場に居るのは今日集められた目的を知るNCA職員と、ロンドン警視庁からの特別捜査官たちだけ。照明が落とされて以降静まり返ったままだ。

 ただ、その静寂の中にも確かな緊張が走っていた。

 暗くなっていたモニターに映像が浮かぶ。

「サウンドトラックを含めたフィルムの半分近くは焼けていたが、トロフィーを掴む瞬間は確認できる」

 これまでの連続した音声付きの動画ではなく、モニターには千切れたフィルムのネガ画像がそのまま素早く切り替わって流れた。焼け残った部分は時に細くなり、途切れ、また画像が広がっては細くなるを繰り返している。

 明度が反転したネガ画像、しかも途切れ途切れであっても、何が行われているのかは映像を見ていた多くの捜査員たちには理解できた。それを証明するように、正義に立つ者として、怒りの表情を浮かべている。

「何が行われているのか分かりやすくするために画像をデジタル補正し、途切れた部分を補完した映像がこれだ。当然証拠としての意味はないが、参考程度にその目に焼き付けておいてくれ。画像は四千五百枚程ある」

 うつ伏せになった男の手に、革靴の踵が食い込む。男の手は自分の頭を抱えている状態だったが、何者かの足で強く踏まれ、皮膚を剥がされながら床に固定された。

 直後に画面の外ではあるが、男の首の方から大量の液体が流れ、床を濡らす。

 間を空けずに、その粘度のある液体に濡れた果物ナイフの切先が男の耳の付け根に滑り込む。

 果物のヘタを取るような慣れた手つきで、男の耳は頭から外された。

 もう片方の耳を取る様子は画角的に映っていなかったが、そうしている事は揺れる頭で捜査員たちの想像に難くなかった。

 仕事を終えた何者かが、殺人の記念品トロフィーとしての両耳をカメラの前に突き出し、その後三本の指を立てて見せる。そして、動かないカメラが耳を失った頭部を数秒間映して、再びモニターは黒くなった。

「このムービーは一秒間に二十四コマ撮影される。つまり、今回発見された映像は三分強。そして、映された何者かの三本の指」

 これまでモニターの横で話していた男が手にしていた照明のリモコンを押し、部屋の照明を灯した。

「最後の殺人でトロフィーを奪っていなかったのは、ウイスキーマンの犯行ではなかったからなのか、その時間がなかったからなのか。そこがこの取り調べの焦点だった」

 部屋が明るくなったことで、集まった捜査員たちは手元の資料に改めて目を通している。

 一年の間にウェストミンスターで起きた七件の殺人。最初の六件は被害者の両耳が失われていた。だが、最後の七件目。被害者の両耳はただしくその場所にあった。

「この映像の失われた前半部分。バーネット刑事に対して、ドクター・ミンズは『ウイスキーマンはウェストミンスターの鐘を死者に聴かせないために耳を切り落とす』と話していたと口伝ではあるが後に記録として残されている。鐘が鳴るのは十五分毎。最後の殺人は、殺害して鐘が鳴るまで三分しかなかったのだろう。その三分で両耳が落とせるか落とせないか。それを『ウイスキーマン本人に訊け』と問答しているが、本人がそれをできると証明してみせた。取り調べの最中にね。つまり、最後の殺人はウイスキーマンが犯人ではないということだ」

 これまでただ映像を見て、話を聞いていた捜査員の一人が挙手した。

「それで、我々はなにをしたらいいのでしょうか? 七件目の殺人を洗い直すのか、ウイスキーマンを含めて消えた三人を捜すのか。一人は明らかに殺されていますが」

「当然、全部だ。解決しなくてもいい犯罪なんてものがあるかね?」

「いいえ、ただ」

「雲を掴むような話、だからか?」

 質問をした捜査員だけではなく、その場にいたほとんどの者が「雲を掴む方が容易い」という顔をしている。

「発見されたフィルム。残されていたのは映像だけだと思うかね?」

「被害者の、血液?」

 その呟きを落としたNCA捜査官の胸には「A.M.Burnett」というプレートが付けられていた。

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