正義の王子①
カイルがランバルト公爵家に二回目の訪問を果たしたのは、十二月も後半に差し掛かり、ララスティが怪我のため王宮には行けないとカイルに伝えた三日後だった。
珍しくララスティの都合を聞かず、明日の午後に行くという手紙が来たため、別邸の使用人は前と同じように慌ただしい準備に追われた。
「ごきげんよう、カイル殿下。このような姿で出迎えて申し訳ございません」
ララスティは顔にベールを被り頬の痕が見えないようにした。
その姿で、傷を負ったのが顔だと分かったカイルは眉をしかめ、「大丈夫なのかい?」と尋ねてくる。
「問題はありますが、大丈夫ですわ」
ララスティはあえて強めの声で言い、カイルを応接室に案内する。
カイルはベールの中を覗き込もうとはしないが気にはなるようで、歩いている間チラチラとララスティを見ていた。
応接室に到着すると、勧められるまま対面のソファーに座る。
「怪我をしたとは聞いたけど、顔だったんだね。他に怪我をしているところはあるのかな?」
「いえ、ここだけですわ」
ララスティはベールがあるため触れることはできないが、場所を示すように手で怪我の上を覆った。
左頬を怪我したのだと分かったカイルは悲痛そうな表情を浮かべる。
「どうしてそんな怪我を……って聞いてもいいのかな?」
「それは……家庭の事情と申しますか……」
言いにくそうに言葉を詰まらせるララスティの様子に、カイルはランバルト公爵家の事情を思い出し、何かあったのだと理解した。
「まさかとは思うけど、本邸に居る人が?」
「……ええ、怪我をした場所は本邸になりますわ」
あくまでもアーノルトに打たれたとは口にしないララスティ。
けれどもカイルはシシルジアとスエンヴィオはララスティを庇っていると聞いているため、手を上げるとすればアーノルトかクロエ、もしくはエミリアだと確信した。
その中でも最もララスティに手を出しそうなのは———
「まさか、ランバルト公爵が……」
「っ———」
カイルの言葉にララスティがビクンと体を震わせたのを見て、確信してしまう。
ララスティに傷を負わせたのはアーノルトだ。
「抗議してくる。僕の婚約者に怪我をさせるなんてありえない!」
「カイル殿下っ」
立ち上がったカイルを止めようと、ララスティが慌てて手を伸ばしながら立ち上がった瞬間ベールにあたってガーゼの貼られた頬が見えてしまう。
それを見てカイルはさらに怒りを感じる。
(僕の婚約者になんてことを!)
「ララスティ嬢、今から本邸に行ってくるよ」
「そんなっカイル殿下お待ちください!」
「止めないでくれ!」
カイルの反応に慌てた様子を見せながら、ララスティは内心で笑う。
(なんて予想通りに動いてくれるのでしょう)
わざと傷を負ったのが顔だと分かるように、でも隠したいと思わせるようにベールを被って出迎えた。
カイルを止めようとしてベールに手が当たったのもわざとだ。
正義感の強いカイルなら絶対にアーノルトに抗議しに行くと思ったから、そう誘導した。
部屋を出ていくカイルの後ろを慌ててついて行きながら、絶対に追いつかないように気を付ける。
玄関前に待たせたままだった馬車にカイルが乗り込んだのを確認し、それが出発したのを見てオロオロとして見送る。
(馬車の準備をするよりも走っていった方が焦っている感じが出るでしょうか?)
ララスティはそう考え、「カイル殿下を追いかけてきますわ」と言って走り出した。
後ろからメイトや護衛が付いてきているのを確認しつつ、それなりの速度で走る。
ララスティが本邸に到着した時には当然カイルは先に到着しており、馬車の中にはもう誰もいないのが分かる。
それを確認して「ああっ」と悲痛な声を出してから本邸の中に入って行った。
幸いなことにカイルは玄関ホールにまだいてくれて、慌てているアーノルトを責めているようだ。
「カイル殿下っ」
駆け寄るララスティを確認した瞬間、アーノルトの顔が怒りで真っ赤になる。
「何をしに来た! この疫病神がっ!」
「っ!」
怒鳴り声に怯えるように足を止めるララスティを庇うように間に入ったカイルは、冷たい目でアーノルトを睨みつける。
「実の娘に対して疫病神など! 貴殿は何を言っているんだ!」
「ですがカイル殿下っ、その娘はっ———」
「カイル様! あたしに会いに来てくれたんですかぁ?」
アーノルトが言い訳を言おうとした時、場違いな明るい声が玄関ホールに響く。
来た、と思いながらララスティが視線を向けると、急いできたのか息を弾ませたエミリアが階段を降りてきているところだった。
「エミリア嬢……」
「騒がしいから来てみたんですけど、びっくりしちゃいました。あたしに会いに来てくれたんですよね? って、お姉様? プッなんですかそのベール。辛気臭―い」
ララスティの格好を馬鹿にしたようなエミリアに、カイルの眉間にしわが寄る。
「エミリア嬢、君はララスティ嬢が怪我をしているのを知らないのか?」
「え? お姉様怪我をしたんですか? どんくさいですねぇ」
呆れたように言うがその目には心配の色が宿っており、ララスティは意外に思ってしまう。
「しかも顔って、貴族のご令嬢は顔が命なんでしょう? ダメじゃないですか」
階段を下りきり、ララスティに近づこうとしたエミリアを止めるようにカイルが手を伸ばす。
「えっと、カイル様? あっカイル殿下」
「敬称どうこうより、君はララスティ嬢に怪我を負わせたのが、そこに居るランバルト公爵だと知るべきだな」
「え!? お父さんが? まっさかー。お父さんがお姉様に手を出すわけないじゃないですか」
ありえないと言うエミリアだが、カイルの言葉に動揺してしまう。
「そうでしょう?」とアーノルトを振り返るが、アーノルトは気まずそうに視線をそらした。
「うっそ……本当に? なんで? あっお姉様がなにかしたのよね? そうよね?」
動揺したままララスティに責任があると言うエミリアに、アーノルトが「そうだ」と小さく頷く。
「そうよね! やっぱり! そうだと思ったの。えっと、でもなにしちゃったのよ、お姉様。お父さんが打った……のよね? 怒らせるなんて相当だよ?」
アーノルトの言葉に一瞬喜んだエミリアだが、それでも怪我をさせるのはどうかと思ったのか、不安そうに尋ねる。
「そうだな、実の娘を打った挙句に疫病神というなど、何があったのか婚約者である僕も知りたい」
その言葉にアーノルトは言葉を詰まらせ、ララスティを睨みつける。
「その小娘が……」
「……ララスティ嬢がなにか?」
小声で呟いたアーノルトにカイルが聞き返すと、今度は大きな声でアーノルトがララスティを指さしながら叫ぶ。
「そいつが母上を使ってクロエから女主人の証を奪おうとしたんですよ! だから躾をしただけです! これは家の問題ですから、婚約者とはいえカイル殿下には引いていただきたい」
「女主人の証を? ララスティ嬢、それは本当かい?」
カイルが信じられないが、と呟きながら後ろに居るララスティに尋ねると、ララスティはベールを揺らして首を横に振る。
「嘘をつくな!」
アーノルトはクロエが泣いて訴えてきたとララスティを責める。
「わ、わたくしは本当に何も知りません。その、お婆様がクロエ様……お義母様からどうして女主人の証を返却してもらったのかは、どうかお婆様に聞いてください。わたくしからは……」
「黙れ! お前が母上に強請ったんだろう! 浅知恵を働かせやがって!」
「本当ですお父様……」
涙声で体を震わせるララスティを見て、カイルがアーノルトを睨みつける。
「前ランバルト公爵夫人はなんと?」
「それはっ…………自分の判断だったと」
カイルの確認にアーノルトは言いにくそうに答える。
「それなのにララスティ嬢を打ったのか!」
「その時は知らなかったんですよ!」
「は? どういうことだ?」
アーノルトの言葉にカイルが驚いたように目を大きくしてしまう。
「俺が応接室に入った時、そいつが女主人の証が入った箱を隠すようにしていたので、間違いないと思ったんですよ」
「それ、だけで?」
「いけませんか? 状況証拠としては確実じゃないですか。後ろめたいことがあるから隠そうとしたんですよ」
自分は間違っていないというようなアーノルトの態度に、カイルは呆れた視線を向ける。
「ただそれだけでララスティ嬢を打ったのか。何の確認もせず、妻の言い分だけで?」
「いけませんか? 妻が涙ながらに訴えてきたのですから、間違いないと思うに決まっているじゃないですか」
カイル殿下だって愛している女に泣かれたらそうなるでしょう? というアーノルト。
「あいにく、僕はララスティ嬢の婚約者で、愛情があるわけではないけれど大切にしたいとは思っている。だから、今泣きそうな声で震えているララスティ嬢の言い分を信じるという事になるが?」
「何をおっしゃいます! そいつは嘘つきのコソ泥なんですよ!」
「自分の娘によくそこまで言えるな」
信じられないと言うカイルに、アーノルトはララスティに価値などないと言い放った。
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