始まりの音⑤

 コールストとルドルフが帰った後、ララスティは二人との会話を思い出し、以前よりもルドルフへの信頼度が増している自分に気づく。

 カイルがもしララスティについて相談してきたら、うまく誘導しておくと言って笑ったルドルフに、ララスティはコールストたちへ向けるものとは別の安心感を抱いた。

 去り際にコールストに聞こえないように耳元で「愛しているよ」と囁かれ、動きを止めてしまった間に馬車に乗り込まれ逃げられたが、動けていたとして何と返事をしたのだろうとララスティは考えてしまう。


(愛していると返すには、わたくしはルドルフ様を知らなすぎますわ)


 前回、カイルのことは婚約者だから・・・・・・愛していた。

 婚約者だから親に求めるように、ただただ愛を求めた。

 だが、ルドルフは血縁関係はあるが年も離れているし、なによりも婚約者などの明確な理由がない。

 前回で事実婚だったと言われても、ララスティは覚えていない。


(お見舞いの品……、花の蜂蜜のアメでしたわ)


 一緒にあったカードには、帝国の決められた養蜂所で作られた花の蜂蜜だけを使ったアメで、殺菌効果や炎症を鎮める効果があるそうだ。


(わたくしの怪我を知って、気を使ってくださったのですわね)


 カイルにも蜂蜜のアメをもらったことはあったが、その後に帝国に居る又従姉弟に聞いたところ、帝国でもあまり手に入らない珍しい品物だった。

 シングウッド公爵家は外交に深くかかわっているため、輸入品や献上品関連にも関わっているから、ある意味王家よりも帝国の品は手に入れやすいのかもしれないが、先日の蜂蜜といい気軽に扱っていい品物ではないはずだ。

 それをララスティのために用意してくれた。そう考えるだけでララスティは嬉しくなってしまう。

 血のつながった親から愛情をもらえなかっただけに、向けられる好意の中でも愛情に弱いのだ。


「お嬢様、お茶をお持ちいたしました」

「ありがとう」


 メイドがお茶をテーブルの上に置いたのを確認し、ララスティはゆっくりと息を吐きだす。


「どうかなさいましたか?」

「いえ、ほら昨日貴女に黒地のハンカチ生地をお願いしたでしょう? あれをルドルフ様に贈る用に使う事にしましたの」

「まあ、そうなのですか?」


 意外だったのか、メイドは驚いたように目を大きくした。

 ルドルフは親類ではあるが少し遠い為、カイル以外の男性に贈るのであれば、伯父のコールストか祖父のオーギュストだと思っていたのだ。


「怪我のお見舞いに蜂蜜を戴きましたので、お礼にと思って」

「なるほど」


 前に蜂蜜をもらった時もお礼をどうしようと考えていた姿を見ていたメイドは、ララスティが口にした理由に納得する。

 公爵令嬢であるララスティにしてみれば、蜂蜜は常用できる品物ではあるが、平民や下位貴族にしてみたら高級嗜好品だ。

 お礼として何かを贈ると考えるのは不思議ではない。


「お嬢様の刺繍はとても美しいですから、シングウッド小公爵様もお喜びになるでしょうね」

「そうだと嬉しいですわ」


 ほんのりと頬を染めるララスティの姿に、メイドは「おや?」と内心で首をかしげる。

 カイルとの関係が良好に思えていたが、ルドルフへの好意もあるようだ。


(これは、ルドルフ様にチャンスがあるかもしれませんね)


 メイドはそう思って内心でにんまりと笑う。


「お嬢様」

「なにかしら?」

「シングウッド小公爵は大きく可憐な花よりも、小さく健気に咲く花にご興味があるようですよ」

「そうですの? どうしてあなたが知っているのかしら?」


 前回では見たことのないこのメイドは、コールストが用意したメイドではなく、ランバルト公爵家から選出された三人の中の一人はずなのに、とララスティは目を細める。


「私はここで働く前は、王宮で働いておりました」

「そうでしたの? どうして我が家に?」


 ランバルト公爵家から選出された三人の経歴は、コールストが確認して許可を出しているため、ララスティが気にすることはなかったが、王宮勤めだったとは意外だ。


「お仕えしていた方にこちらで働くように言われまして」

「…………それって」

「はい、シングウッド小公爵様でございます。私は乳母でございました」

「まあ!」


 思いがけない関係にララスティは驚きの声を上げてしまう。


「もしかして、他の二人もルドルフ様の関係者だったりしますの?」

「ご推察の通りでございます」

「そうでしたの。……ルドルフ様は随分前からわたくしを気にしてくださっていましたのね」

「はい」


 もしかして、記憶を思い出してすぐに動いていたのかもしれない。

 そう考えると守られているような気がして、ララスティは嬉しくなってしまう。


「あの、黒地のハンカチにしてしまったけれど、ルドルフ様はお気に召すかしら?」

「お嬢様がご用意されたものですから大丈夫です。黒はシングウッド小公爵も嫌いな色ではありませんよ」

「そうですのね、よかったですわ」


 安堵したようなララスティの表情に、メイドが優しい微笑みを浮かべる。

 実際のところ、主人であるルドルフにララスティの面倒を見るように指示を出された時は、婚約者を亡くしたショックでおかしくなったのかと思ったが、どうやら正常だったらしい。

 とはいっても幼女を手籠めにするというわけではなく、親愛の情を込めて大切にしているようなので、メイドも見守る姿勢に徹している。

 ララスティは嬉しそうに笑みを浮かべながら、アイスティーをもう一口飲むと、「よし」と小さく声を出した。


「とりあえずはカイル殿下のハンカチを完成させませんと」

「そうでございますね」


 刺繍の道具を持ってくるように指示をだしたララスティにしたがい、メイドが刺繍の準備をすると、早速刺繍を開始した。

 白い糸で刺繍する作業を終え、陰影のための薄い水色の糸を取り出して影部分を刺していく。

 そのまま黙々と刺していると、ふとカイルの名前も刺繍したほうがいいのかもしれないと思い、終わったら目立たないように白い糸の残りで刺繍しようと決めた。


 三日後、刺繍の終わったハンカチを綺麗に包んでもらい、改めて刺繍糸の感謝と日程の都合が付けばお茶会を再開したい旨を手紙に書いてカイル宛てに贈る。

 朝早くに出したからか、夕方にはカイルからの返事が届き、中にはハンカチへの感謝とお茶会の日程について、一ヶ月ほど後ではなく近日中がいいと記載があり、ララスティはどうすべきか考える。


(お断りしてもいいけれど……)


 ララスティは少しだけ楽しそうに目を細めると、上質な紙を用意してもらいカイルに返事を書く。


『親愛なるカイル殿下


 お手紙をくださりありがとうございます。

 ハンカチを気に入ったと言っていただけて、頑張った甲斐がありました。

 白地のハンカチに白の刺繍ですから、地味に思われるのではと心配しておりました。


 さて、お茶会の件ですが、あいにく現在のわたくしは王宮に出向くことができません。

 注意が行き届かず少々怪我をしておりまして、その傷が目立つところにあるからです。

 生活に大きな支障があるとか、命に危険がある傷ではないのでどうぞご心配なさらないでください。

 今まで言わずにいて申し訳ありません。

 なんだか言い出しにくくて……。

 お医者様にも見ていただいておりますし、傷がお化粧で隠せるようになったら王宮にお伺いしたいと思います。


 もしよろしければ、またお手紙をくださるとうれしいです。


                           ララスティより』


 ミスがないかチェックしてからカイルに届けるようにメイドに渡す。


(さて、怪我をしたとだけ書きましたが、カイル殿下はどうでますかしら?)


 このままララスティの傷が治るのを待ってもよし、心配のあまりランバルト公爵家を訪問するもよしだ。

 もし訪問すればこの怪我を見ることになり、赤みが引いているとはいえ、今は紫色になりつつあり、逆に痛々しく見える。

 当然、怪我の原因を聞くだろうし、直接聞かれたら答えないわけにはいかない。

 父親であるアーノルトに打たれたこと。

 原因は、ララスティの味方のように振舞っているシシルジアが、クロエから女主人の証を返却してもらい、それをララスティに見せている場面を目撃されたからだと、話すしかない。

 実際にララスティが盗んだわけではないのに、泥棒呼ばわりして体罰以上の強い暴力をふるったアーノルトは、もしかしたらカイルから正式に抗議されるかもしれない。

 けれどもララスティはそれを止めることは出来ない。

 ララスティは王太子であるカイルの婚約者。

 それを害したとあっては、たとえ親であっても責任を負う必要がある。


(ふふ、どうなるのでしょうね)


 前回、ララスティも怒りのあまりエミリアを打ったことが何度かあったが、しょせんは訓練を受けていない女の力だ。

 扇子で打っても少し赤くなる程度で痕など残らない。

 そんな場面の繰り返し見てエミリアを気にかけるようになったカイル。

 もしかしてエミリアではなく、ララスティを気にかけるようになるのだろうか?


(そんなもの、お断りですけれど)


 カイルはあくまでもエミリアと付き合ってもらわないと困る。

 そうでなくては前回の自分が救われないとララスティはため息をついた。

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