下拵えA⑤

 エミリアはそのままガゼボに居座るようで、当たり前のようにカイルの隣に座り続けている。


「はじめましてですよね~。あたし、エミリアっていいます。カイル様のことは知ってますよ。絵姿を見たことがありますから! お姉様の婚約者になったってことは、あたしの未来のお兄様ですね! お姉様と仲良くするなら、あたしともぜひ仲良くしてください!」


 さきほどララスティは、自分を理由に仲良くなると言われるのが好きじゃないといったばかりだとカイルは考え、ちらりとララスティを見たが、困ったような笑みを浮かべるばかり。


「……エミリア嬢はほとんど社交していないけど、デビューは終わってるのかな?」

「うーん、正式にデビューするのはもうちょっとマナーの勉強をしてからっていわれました。でも、貴族の子供って五歳ぐらいで社交デビューするんですよね。そのぐらいの子供がデビューできるんだし、ちょっと勉強すればすぐですよね」


 カイルは暗に、社交デビューもしていないエミリアとは仲良くできないと言ったのだが、エミリアに意味は通じなかったようだ。

 そして、王侯貴族の子女は物心つく前からマナーの訓練を受け、時には体の痛みを伴ってでも教え込まれて身につける。

 それをちょっと勉強すればなどと言われていい気分になるわけもない。


「それなら、公爵令嬢になってもうすぐ二年になるエミリア様も、すぐに社交デビューできますわね。その時が楽しみですわ」


 不機嫌さを隠すことなくマリーカが言うと、エミリアは「そうですよね」と嫌味に気づく様子もなく答えた。


「でも、許可もなくカイル殿下の隣に座るなんて、まだまだ勉強が必要ですネ」


 シルフォーネもエミリアに冷たい視線を繰りながら言うが、気にした様子もなくエミリアはまたグラスに口をつけ、中身をゴクゴクと飲み干している。

 飲み終わって「くはー」と声を出し、またもやメイドにグラスを向ける姿に、さすがのララスティが「飲みすぎですわ」と声をかける。

 途端にエミリアは「ええ!」とショックを受けたように「それって」と眉間にしわを寄せた。


「あたしがお嬢様らしくないとか、そういういやみですか? お姉様ひどい!」

「そうではなくて」

「いっつもそうですよね! あたしの事が気に入らないのはわかりますけど、飲み物ぐらい好きにさせて下さい! 美味しく飲んでるんだから邪魔しないで欲しいです!」


 ララスティがこうしてエミリアのティーマナーについて口を出すのは初めてだが、まるでいつも言っているようにエミリアは言う。

 カイルはララスティとエミリアが別に暮らしているのは知っているし、お茶会どころか食事も一緒にしていないという調査結果を受けているので、エミリアの被害者意識に驚いて何も言えなくなる。


(平民はみんなこんなことを言うのか?)


 王侯貴族にばかり囲まれ、マナーを身につけた人間にのみ接してこられたカイルは、エミリアの反応を新鮮に感じるが、慣れない状況に胸がドキドキとしてしまう。


「邪魔だなんて……えっと、お茶以外にも軽食やお菓子もあるし、飲み物だけじゃなくてそちらも召し上がってみてはいかが?」

「あー、そうですね」


 ララスティの言葉にエミリアはぶすっとした顔になったが、メイドがグラスにお茶を注ぐとそれを自分の前に置き、お皿を手に取るとトングを使わず、そのままサンドイッチなどを手でつかんで皿に移し始めた。


「エミリアさん!」

「びっくりしたぁ。なんですか」


 マナーの勉強をしているはずなのに、昨年のララスティの誕生日パーティーと同じマナー違反をするエミリア。

 その様子に驚いたララスティが声をかけたが、エミリアは大げさに驚いて手にしていたサンドイッチを握りつぶしてしまう。

 ララスティがすぐさまメイドに指示を出してナプキンを用意させたが、エミリアはそれを受け取らずじっとララスティをにらむ。


「お姉様のせいでカイル様の前で恥をかいたわ!」

「え?」

「サンドイッチを握りつぶす令嬢なんて、マナーができてないって思われちゃう!」


 エミリアがそう言ってサンドイッチをべちゃりと皿に落とすのを見て、カイルたちはマナーはサンドイッチ以前の問題だとも思ったが、エミリアの勢いに何も言えずにいる。


「あたし、一応ランバルト公爵家の一員になったって紹介されたけど、まだちゃんとした社交界デビューはしてないんですよ! それなのにこうしてカイル様の前で悪く言うとか、お姉様って性格悪いんですね」

「いや、ララスティ嬢は特に悪いことは言っていないだろう」


 カイルがさすがに見過ごせないと口をはさんだが、話しかけられたことがうれしいのかエミリアの目が輝く。


「カイル様は優しいですね。でも、お姉様はいつも口うるさいんですよ。前だって、ちょっと可愛いリボンがあったから貸してって言ったら、おばあさまに貰ったからダメ、とか言って。まあ結局は、お父さんがお姉様のところから持ってきてくれたんですけど」

「ララスティ様から奪った、の間違いではないですか?」


 マリーカが軽蔑したような目をエミリアに向けて言うが、エミリアは「ひどーい」と笑う。


「あたしは今までそういう贅沢品って持ってなかったからって、お父さんがくれてるんです。別に奪ってるわけじゃないですよ。そうですよね、お姉様」

「そうですわね。今は、持っていくようなことはなさいませんし……」


 エミリアの言葉にララスティは苦笑する。


「ほら! カイル様、誤解しないでくださいね? あたしは受けるべき当然の権利っていうのをきょーじ? きょーじゅ? してただけなんですよ」


 そう言ったところで「そうそう」と、エミリアはつけているブローチを外し、カイルがよく見えるように手にもって近づける。


「これ、お母さんに貸してもらったんですよ。綺麗ですよね。普段は絶対にダメって言うんだけど、王子様が来るからって言ったら貸してくれたんです」


 エミリアから見てカイルの反対隣にいるララスティにも見え、そのブローチの意味を知っているララスティは一瞬悲しげな表情を浮かべた後、「本当にきれいですわよね」とだけ言った。

 その表情の変化に気づいたカイルが何かを言いかけたが、その前にアマリアスが「それは」と口を開く。


「ランバルト公爵家の女主人・・・が持つブローチではありませんか?」

「そうなんですか? へー、だったらやっぱりお姉様じゃなくて、お母さんがこれを持ってるべきですよね」


 「お父さんがお姉様のところから持ってきて正解!」と言うエミリア。

 王侯貴族であれば、いや、ブローチの意味が分かれば、安易にエミリアに渡したクロエの行動は信じられない。

 貴族家にとって女主人とは、女当主であればそのままの意味であり、男当主の母親や妻、娘であれば、男当主不在時の最高権力者を意味している。

 その証を簡単に貸し出すなど、貴族の常識ではありえない。

 エミリアが気軽に持っているブローチの意味を知り、それがかつてララスティが所有していたと知ったカイルは驚いて、アマリアスに向けていた顔をララスティに戻す。

 そこには笑みを浮かべてはいるものの、目を潤ませているララスティの顔があり、カイルは何と声をかければいいのかわからなくなってしまう。

 当主が女主人の証を、前妻との間の子供から後妻に移すのはよくあることだ。

 だが、実際にそのような目にあった令嬢を見たのは初めてであり、しかも重要な証を他の装飾品と同列に扱われている現実を前に、ララスティの心はどれほど痛んでいるだろうと考えるだけでも胸が痛む。


「どうですか、カイル様」

「え?」


 名前を呼ばれてエミリアをみれば、服にブローチを付け直して笑っている。


「お姉様よりあたしの方が似合いますよね」

「それは……」


 何と答えるべきかカイルが悩んでいると、「それよりも」とララスティが口を開いた。


「先ほどから気になっていたのだけれど、カイル殿下のことをカイル様と呼ぶのはよくないですわ。ちゃんとカイル殿下と呼ぶべきですわよ」

「ええ? なんですかそれ。貴族ってナントカ様って呼ぶんですよね。あたし、ちゃんと勉強してるんですけど」

「カイル殿下は第一王子であり、現在は王太子殿下ですわ。通常の貴族とは違いますの」


 ララスティが少し強い口調で言うと、エミリアは黙り込み下を向いてしまう。

 カイルとしてはエミリアが傷ついているのなら声をかけるべきだと思いつつも、ララスティが言っている事は何も間違っていないと理解している。

 殿下呼びの必要はないとも言えない、だがエミリアを放置も出来ない。


「……どうして、そういうこと言うんですか?」

「え?」


 俯いていたエミリアは急に顔を上げると涙目でララスティを睨みつけた。


「どうして、そんなこと言うんですか! まるでカイル様を仲間外れにしてるみたい! ひどいわ、お姉様!」

「そんなわけありませんわ」

「言い訳を聞く気はありません! こんなところにいる必要はないですよ! 行きましょう、カイル様!」

「え!?」


 突然立ち上がったエミリアは、そのままカイルの手を引いてガゼボから出て駆け出して行ってしまった。

 残されたララスティたちは茫然としてしまうが、一足早く正気に戻ったアマリアスが「なんてこと!」と声を出した。


「おばあ様、わたくし、二人を追いかけませんと」

「ええ、そうね」


 ララスティは慌てて立ち上がり、マリーカたちを見る。


「マリー、ルネ。ごめんなさい、ここで待っていてくれるかしら?」

「一緒に探しに行きます、ルティお姉様」

「ワタシも一緒に探しますヨ」


 倣うように立ち上がった二人を見てから、ララスティはアマリアスに視線を向けた。


「おばあ様ごめんなさい。一人にしてしまいますが、このままお待ちいただけますか?」

「仕方がありませんね。いってらっしゃいな」

「はい」


 アマリアスの承諾を得た三人は中庭にエミリアたちを探しに出る。

 残されたアマリアスはこうなる予定ではなかったが、ある意味エミリアとカイルの劇的な出会いとやらは、成功したのだろうかと首をかしげた。

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