下準備A②
急に大人びたララスティからアインバッハ公爵邸に滞在したいとの連絡を、彼女の祖父であるランバルト公爵経由で受けた際、最初は家族が伝染病に罹患しているため断る予定だった。
しかし、ララスティが手書きした『会いたい』という一言で、オーギュストとアマリアスの心が動かされたのだ。
母親の葬儀で泣いてばかりいた孫。
父親は始まりの挨拶に顔を出しただけで、実の娘に声をかけることもなくすぐにどこかに消えた。
以前ミリアリスから聞いた話では、愛人のところにばかり滞在し、本邸に仕事をしに行くことはあっても本妻と娘が暮らす別邸には寄り付かなかったという。
ミリアリス自身もララスティに惜しみなく愛を与えていたかと言われればそのようなこともなく、それならば寂しい思いでしかない別邸にいるよりも、他の親族にぬくもりを求めても不思議ではなかった。
父方の祖父母であるランベルト公爵夫妻は領地の立て直しに忙しく、孫娘に構っている時間などほとんどないと聞けば、なおさら母方の祖父母として何かしたいと思ってしまう。
アインバッハ公爵邸に来たら、三人は満足するまで甘やかそうと思っていたが、目の前のララスティを見て、彼女は甘えに来たのではないことを察した。
「まず、この部屋に運び込んでもらった荷物をこちらのアインバッハ公爵家で管理して欲しいのです。中身はお母様の形見になりますが、お母様が結婚前から持っていたものもしくは私財で購入したものになり、
一気に説明したララスティは「ふぅ」と息を吐いてもう一口ココアを飲む。
「今後お父様が再婚した際に、ランバルト公爵令嬢としての品物は異母妹に譲るべきと言って強引に取られるかもしれませんし、その前に本当に大切にすべきものは守っておきたいのです」
「それは……」
コールストが何とも言えない表情を浮かべる。
「お母様が亡くなって今すぐに再婚するほどお父様も愚かではないと思いますが、喪が明けてからはどうでしょうか? ご自分が公爵になって自由が利くようになれば? あちらの家庭には愛する人と愛する娘がいるのですからいつまでも日陰の身にしておくとは思えません」
ララスティのもっともな言葉にアインバッハ公爵家の三人は黙るしかない。
子供であるララスティでもここまで考えることが出来るほどの環境なのか。
それであるのなら家を離れて考えたいことがあるというのも、自分たちに会いたいというのも再度納得できる。
「では、ルティは今後の何について考えたいのかな?」
コールストがララスティをまっすぐ見て尋ねれば、ララスティは間をおかずに「この先について」と答えた。
「運命というものがあるのなら、どこまでその影響があるのかを知りたいと思いますの。真実だというのであれば、どうしてそれが真実と思えるのかその根拠を知りたいのです。そしてこの先にある未来の結末が変わるのかを見届けたいのです」
決して七歳の子供が強い意志を持った目で言うことではなかった。
「どうしてそう思うのかしら?」
アマリアスがゆっくり息を吸った後に静かな声音で尋ねれば、今度は少し間を開けてララスティは「信じていただけないでしょうが」と言葉を紡ぐ。
「夢にしては妙に現実的で長いこの先にある出来事を知っております。予知をしたというよりも未来を体験した魂が時間を巻き戻して目覚めた感覚ですわ」
「「「なっ」」」
時間を巻き戻すような魔法は現代には残っておらず、魔法が発展していた古代でも禁忌の分類だったとされていた。
それゆえにそのような魔法をララスティが使えるはずはないとコールストとオーギュストは驚いたが、アマリアスは別の意味で驚いている。
「帝国の国営第一図書館の最深部近くにある古代書物を管理しているところに、時間を巻き戻った人が未来を変えようと努力をする書物が残っております。もちろんそれは空想の物語、言ってしまえばフィクションです。けれども、一部では実際に起きた話をもとにしていたのではないかという説もありますの」
アマリアスの話によると、フィクションの本が一時たくさん出回った時期が帝国にあったのだという。
だからその中のどれかは真実をもとにしたのではないかと推測されているらしい。
確かに時間を巻き戻ったと言われても証明する方法はほとんどない。
起きる出来事を話しても、話したことでその出来事が起きない可能性もある。
天災などの不可逆なものを予言しても膨大なデータによる推測だと言われればそれまでだ。
それほど、実際に時間を巻き戻して何かを変えたことを立証するのは難しい。
観測者が当人だけなのだから。
「そんな本が……いや、この国にもいくつかそのようなフィクションの物語が存在するが、それこそファンタジーだ」
なぜ時間を巻き戻す魔法が残っていないのか、あった時代に禁忌とされていたのか。
それは自分の好きなように未来を改変する者が横行すれば、未来にあるのはデストピアでしかないからだ。
魔法には代償が必要であり、現代でも残っている生活魔法程度のものなら魔石を使用するか、この国の貴族であれば自身の魔力を使えば事足りる。
ダンジョンという場所が帝国などにはあるが、最深部に魔物という過去の生物が生息しているものの、何の影響かはわからないがダンジョンの外に出してしまうと、すぐさま消滅してしまうらしい。
だからなのか攻撃魔法というもの自体は残っているが自らの力で生み出すのではなく、何かしらの媒体を使用して発動するようになっており、代償になる魔力さえあればだれでも使用できる。
反面、代償になる魔力が膨大になるため効率が悪くめったに使われることはない。
だからこそ驚きはしてもアインバッハ公爵家の三人は実際にララスティが時間を巻き戻ったという部分を信じ切ることが出来ない。
「わたくし自身もよくわかっておりませんわ。けれども夢だとしてもわたくし自身に同じ結末を望んでおりませんの。だから、変えようとこうして動きました」
「我がアインバッハ公爵家に来ることが?」
オーギュストが困ったように首を傾げる。
「それはある意味ついでのようなものですわ。皆様には今後についてある覚悟をしてほしくて参りました」
「覚悟?」
今度はコールストが首を傾げる。
「…………ルジアンナおば様と、エルンストにぃ様は伝染病の特効薬が間に合わずお亡くなりになります」
「……………………そう、か」
コールストはララスティの言葉を受け入れた後、まるで大丈夫だとでも言うように優しくララスティの頭を撫でた。
貴族が罹患すれば致死率が高い。もう覚悟はしていたのかもしれない。
「お待ちなさい、ララスティ。特効薬? 伝染病に対する特効薬が完成するのですか!?」
「はい。帝国が必要な生薬の栽培に成功し、適切な配合を見つけます。けれど、それでも生薬に根本的に体質が合わない人には効果がありませんし飲むのが遅れた人にも効果はほとんどないか後遺症が残ります。試作段階のものがまず提供されますが必ず後遺症が残ります。けれども試作品を飲まずに完成品を待てば致死率や後遺症率が高まります」
ララスティの言葉に三人は難しい表情を浮かべるしかない。
だが、その後に放たれたララスティの言葉に特にアマリアスは驚愕の表情を浮かべた。
「そして、帝国から今罹患している貴族全員分の特効薬をアインバッハ公爵家が購入し王家がそれを有償で貴族に配りました」
「それは、我がアインバッハ公爵家は王家に対価をもらって配布権を渡したということ?」
「いえ、アインバッハ公爵家は完全に致死を回避できるわけでもなく、後遺症が残る可能性があるため、
「セレンが、セレンティアがそのようなことを許したというの?」
「実行なさったのはセレンティア王太后、いえ、王妃様ではありません。国王陛下が最終的に決断して実行なさいました」
「兄上が……」
オーギュストは兄王であるグレンジャーの行動に驚きを隠せない。
確かに伝染病の蔓延で思うように国営費を捻出できないとは聞いていたが、命を対価にして金銭を集めるなんて思わなかった。
「試作品の特効薬は、試作品であることと致死を回避できるとは限らないこと、後遺症が残ることを説明した上でアインバッハ公爵家が無償配布しましたが数が足りず結局は王家が有償で配る完成品の特効薬に頼ることになりました」
試作品の完成と購入が六月ごろで、完成品は十二月後半にできることをララスティは3人に伝えた。
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