エピローグ2

「え?」


 不意にかんなに口元に布を当てられ、何かを嗅がされた。


 足元がおぼつかなくなり、めいはかんなに抱えられるように、くずおれた。


 酩酊状態におちいっているのか、意識が遠い。


「めいちゃん、ほんのちょっと、ちょっとだけ我慢してください。──グレアム」


 遠くで、ざしゅっと肉を切る音と、ごとり、と何かが床に落ちる音がする。


 なんだか、聞いたことのある音だった。


 四肢に鈍い痛みがあるが、遠くてよくわからない。


「ごめんなさい、めいちゃん、すぐに治すから」


≪≪回復≫≫


 かんながめいのそばにひざまずいていた。


「なに……を」


 視線の先にあるのは、肩から切り落とされためいの腕だった。


 ショックで、遠かった意識が急速に覚醒してくる。


 かんなは、めいの腕を治そうと、切り落とされた腕をめいの肩にあてて、回復の聖魔法を唱えている。


(違う、これは、わたしの腕じゃない。『かんなの』腕だ)


 聖痕の刻まれたかんなの腕が、吸いつくようにめいの一部になっていく。


「う、ああーーーっ」


「ごめんなさい、ごめんなさい、めいちゃん、急ぎますから、急ぎますから」


 次々に四肢がめいの体に戻ってくる──いや、挿げ替えられていく。


「ショック症状とか、多分起きてると思います。回復させます。全部、治します。それから、めいちゃんの体になじむように、作り変えますから……」


「馬鹿、かん……な。 なにやって……」


 回復させられためいの体には、力と意識と、いつもの感覚が戻ってくる。


 そして、四肢に懐かしい──聖痕の存在を感じる。


「かんなっ。なんでこんなこと!」


 めいが思わずかんなの襟をつかみ上げると、かんなは困ったように笑う。


「多分、これで、大丈夫」


「何がだよ⁉」


「帰還の儀で、めいちゃんは元の世界に──お母さんのところに帰ることができます」


「何言ってる⁉ 一緒にここに残るって決めただろっ」


「それは嘘です」


「はあっ⁉」


「ばかなめいちゃん、私の愛はそんなに軽くありません」


 思わず口ごもるめいに、かんなは、ほほ笑んだ。


「だって、私が世界で一番好きなのはめいちゃんだけど、めいちゃんのお母さんも世界で二番目に好きになっちゃったんです。だから、大好きなふたりには、幸せになってもらいたいじゃないですか」


「何言ってるんだよ」


 ふふ、とかんなはいつもと違う、気弱な笑みを見せる。


「みんなで幸せは、無理なんですよ。世の中理不尽なんです。幸せな人がいれば不幸な人がいることになってるんです。私は、いっぱい殺しちゃったし。──不幸になる資格があります」


「何ばかなこと言ってるんだ。それでかんなだけ不幸になる必要なんかない。あたしが一緒に背負ってやるから」


「そんなのだめです。私がめいちゃんの分まで不幸になりますから、めいちゃんは、私の分まで幸せになるんです」


 この親友は、なんてきれいに、めいの幸せを願うんだろう?




「めいちゃん、大好き」




 かんなはめいの額にキスをすると、立ち上がった。


「めいちゃん、お母さんが待ってますよ」


 再び先ほどの薬を嗅がされると、めいの体からはくたりと力が抜ける。


「扉を閉めます。グレアム、帰還の儀を」


 かんなが部屋から出ていき、帰還の儀の小部屋は閉ざされる。


「かんなっ、やめ、あたしは帰ら……い。ここ……ら出せ」


 薬のせいで、めいの体は帰還陣の中央に横たえられたまま、動かなかった。


 小部屋の外からグレアムの詠唱が聞こえる。


「なんで……、かんな」


 帰還の陣が起動され、光が満ちていく。


(かんなが、そんなにあたしのことを想ってくれたんなら、あたしは、かんなの想いを尊重するべきなのか)


 ここまでしてくれたかんなの想いに報いるためにも、めいはこのまま元の世界に帰るべきなのかもしれない。


 元の世界で待っている母の元へと帰るべきなのかもしれない。


 母の笑顔が脳裏に浮かぶ。


 母の言葉が、頭に浮かぶ。


『めい、帰って来て……』


(……って、んなわけあるかあっ。母さんはそんなこと言ってない。かんなめ! あんな悲しそうに笑ったまま、あたしの前から逃げられると思うなよ!)


 めいは、ぎりっと唇をかんだ。


体が動かないのなら、動かせばいい。


 何が何でも、この世界に残ってやる。


 めいはもう、精神感応の魔法が使えるのだ。


 自分は今、体を動かせる、手を動かせるのだと、自分自身を洗脳する。


 帰還陣の光はその間にも、どんどん光を増していった。おそらく、小部屋の外、神殿の外からもその光は視認できるレベルだろう。


 そして、上空の一角で、世界がつながった、と感じた。


四肢の聖痕が共鳴するように熱を持つ。


 外の世界から、どっと、エーテルが流れ込み、その奔流が光となって、この小部屋を中心に広がっていく。


(体が、動く)


 めいは周囲を見回し、召喚陣の台座にあしらわれた金具を引きはがすと、自分の首にあてた。


(かんななら、絶対、あたしを見てる)


「こっちを見ろっ。かんな!」


 ざしゅっと、めいの首から血が噴き出した。


「めいちゃんめいちゃんっ何やってるんですか⁉」


 すぐに、扉の外から、うろたえたるかんなの声が聞こえる。


「かんな、帰還の儀をやめて、そこを開けろ。開けてお前が癒さないと、あたしは死ぬぞ。くらくらしてきた。出血多量で死ぬ。絶対死ぬ」


「扉が開かないっ。グレアム、いったん止めてっ」


「一度止めると、おそらく二度目の発動はありません」


 グレアムの冷静な声にかんなは半狂乱になっていた。


「やだやだやだ。どうすれば、どうすればいいの。だって、そんなの」


「かんな、止めろ。今止めないと、多分、もとの世界につくまでにあたしは死ぬ」


「だって、止めたら、めいちゃんは帰れないっ」


「かんな、あたしも、お前のことが好きだ」


「……っ、めいちゃん」


「お前のそばに、いさせて。お前のそばにいたいんだ。あたしの望みを叶えてほしい。たの……む」


 グレアムの詠唱がやみ、小部屋を包む光が急速に衰えていく。


 ばたん、と扉を開けて飛び込んでくるかんなの泣き顔を見て、めいは、やっぱりコイツ犬みたいだ、と思った。


 緑の光が視界いっぱいに広がる。


 めいが覚えているのはそこまでだった。






 帰還の儀は途中で解除してしまったが、運のいい事に、エーテルの奔流は各地から見えたらしい。その後、グレアムがベルデに戻り聖女の帰還を告げたことで、第三十四次聖女戦争は、正式に終結を迎えた。




めいたちは、アルファレド郊外の拠点に潜伏し、自由と平和をかみしめていた。


窓辺におかれた椅子に腰かけて頬杖をつくと、かんながすぐに腕に絡まってくる。


「これからどうやって過ごそうかな」


「はいはい、めいちゃん。まずは南の島に行きたいでーす。めいちゃんと水着でビーチ!」


「この世界に水着を着るような国なんてあるのか?」


 不思議に思って振り仰ぐと、ティナが生真面目な顔で答えをくれる。


「ガルテン公国という開放的な国が南にあります。アルファレドのご令嬢方にとっては口に出すのもはばかられるお国なのですが」


「ええ? ティナ。それって、どういう意味です⁉」


「女! なんてものをかんな様のお耳に入れるんだ⁉」


「ますます聞きたくなりました。グレアム、うるさいです、お座り」


 本当に床にはいつくばる聖騎士を見ていられなくなって、めいは目をそらした。


 グレアムはベルデ公国に報告に行った後、さっさと除隊しかんなの元に戻ってきているが、この扱いはどうなんだろうか?


(まあ、かんなが楽しそうだから、いいか)


めいは、明るい陽のさす窓辺から、王城の方角を仰ぎ見る。


王には、二人が帰還せずここに残ったことも告げてある。今はまだ決心がつかないけれど、何年かしたらまた会いにいってもいいのかもしれない。


 母のそばにもう二度と戻れないことは、ずっと心のしこりになって残るだろう。


けれど。


『無理して帰ってこないでいい』


かんなが届けてくれた母のその言葉は、めいの心を、これからもお守りのように支えてくれるだろう。この言葉はきっと、母がめいの心を守るためにくれた言葉だ。


(母さん、あたしは帰れないけど、ここで幸せになる)


「めいちゃん、大好き」


 めいの心の奥を見抜いたかのように心配そうに、けれど、めいの心を軽くする一番の言葉をくれる親友。


「ああ、あたしもかんなが大好きだ」


 めいは頬を染めて見上げてくるかんなの黒髪をそっとなで、かんなの手に指を絡めた。


 二人の聖女のつながれた手は、明るい陽射しを受けて輝いていた。




 めいはこれからも、この声と笑顔と、つないだ手のぬくもりと一緒に、この世界で生きていく。



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聖女失墜 ~その聖女の死を世界に捧ぐ~ 瀬里 @seri_665

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