第34話 あふれ出すもの

 ざしゅっと、布と肉が裂かれる嫌な音がする。


 そこから先は、スローモーションだった。


「めい、ちゃ」


 めいに伸ばされたかんなの手が、体が、床に吸い込まれるようにゆっくりと倒れていく。


 ティナの振り下ろした剣の刀身からは、血が滴っていた。


 回復反転により、やけどを負った半身を持ち上げながら、ソーマはゆらりと立ち上がった。


「ははっ、はっ、は」


 ソーマは狂ったように笑い声をあげる。


 ソーマがティナを呼んだのは、自身の回復のためではなく、めいたちを追わせるためだったのだ。


「ティナ、そこまででいい。そいつらは私がこの手で葬りますから。お前は私を癒しなさい」


 ティナは意思のない瞳のまま、ふらつくソーマの元へ向かう。


「かんな!」


≪≪雷の閃光≫≫


 かんなの元に走り寄ろうとしためいに、閃光が走る。


「がっ、はっ」


 ソーマの雷はめいの肩から胸をたやすく焼き、肺から空気を奪った。


 めいは膝から崩れるように床に倒れる。


「めい様。あなたもそこで待っていなさい。仲良く私の手で殺して差し上げますから」


 ソーマが何か言っているが、そんなのもうどうでもよかった。今は泣きそうに顔を歪めるかんなの姿だけしか目に入らない。


 ただ、かんなのそばに行かなければ。そう思って、無事な片腕で必死にかんなのそばまで床を這った。


 床に倒れたままかんなに手を伸ばすと、かんなも腕を伸ばし、指を絡めるように握りしめてきた。


 埃で汚れたかんなの顔は泣きそうに歪んでいたけれど、最後まで忠義を尽くす犬のように、瞳の光を失っていなかった。


 あたたかい力が流れ込んでくる。


(自分に使えよ、ばか)


 この期に及んでもめいを癒そうとするかんなにはもう、あきれるしかない。


「めいちゃん、まだ一発ぐらいなら打てます。その隙に逃げてください。あいつが絶対に殺さなきゃいけないのは私だけです。その後は王様がきっと助けてくれます」


 かんなの絞り出すような声がめいに、細く届く。


(そんな虚勢、張らなくてもいいのに)


 めいは首を振った。


「かんな、もうわかってるだろ。お前とおんなじだよ。あたしだって、かんなのいない世界なんて何の意味もない」


「めいちゃん」


「死ぬなら、一緒だ」


 かんなの目に涙が浮かんだ。


「もう、めいちゃんったら何回私を落とせば気が済むんですかっ」


 かんなの目から涙が零れ落ちる。


「どうしよう、私、今、幸せすぎて死んでもいいです」


「ばか」


 めいが、かんなの涙をぬぐおうと頬に手をのばす。


 その途中で、かんなの胸元に手が触れたのは、偶然だった。


 体中から何かが引っ張られるような感覚が走り抜ける。


 かんなとめいはお互いに顔を見合わせた。


「めいちゃん、感じます。触って。ここ」


 かんなは、胸元のシャツのボタンをはずしていく。


「え? ええ⁉」


 そして、うろたえるめいの手を自分の胸元へと引き寄せた。


 一瞬ためらうが、めいはされるがままに、かんなの導く先へとその手を伸ばした。


 どくん。


 掌の下に感じる固いそれがなんなのか、めいは、すぐにわかった。


(指輪……。母さんと、父さんの、指輪だ)


 魔力供給の感覚を和らげるという、めいの父と母から受け継いだ二つの指輪は、鎖を通してかんなの胸元にあった。


(あ)


「めいちゃん、感じる、でしょ。ひょっとして」


(ああ、そっか)


 めいは、かんなのシャツの隙間から、直接その胸元の聖痕と指輪に触れた。


「あたしは、あの人の血を引いてるんだな」


 自分の体の奥に、それがあるのがわかった。




 魔力生成器官──この世界の者にしかあらわれない、魔力を作り出す器官。




 見つけたら、存在を感じたら、あとは簡単だった。


 体の奥の泉のような場所から、あふれるような魔力を引き出す。


(それから、魔力を、この指輪に──)


 ずるっと体中から魔力が抜き取られていく。


(魔力って、与える方もこんなにっ)


 体の中心から何かが引き出され、せりあがってくるような感覚に、体が震え、熱くなる。


 指輪に魔力が満たされていく。


「受け取れ、かんな」


「うん」


 かんなの瞳がうるむ。


「めい、ちゃ」


 かんなの息が荒くなる。


 かんなの胸の聖痕と指輪に触れるめいの手を、かんなはぎゅっと握りしめる。


 かんなの体に、めいの魔力は、静かに染みわたっていった。




「お別れはすみましたか?」


 ティナの癒しの力で、ソーマは聖なる光で焼かれた半身を少しは回復させたようだった。


 かんなとめいは、その場で静かに横たわっていた。


「覚悟はできたようですね。いいでしょう。まずは、緑雨の聖女から殺しましょう」


 その時だった。


 めいたちのいる地下フロア全体に、不協和音が響き渡った。


「なっ、エーテルがっ」


 それは、地下の、神殿の、いや、王都全体の空間に影響を及ぼしているかのようだった。


 天地を軋ませる不協和音。


 世界の断末魔のようなその音は、今まで聞いたこともないような大きさだった。


 かつてない規模の急速なエーテルの回収は空間に軋みをもたらし、魔力を持つ者たちの魔力生成器官をも揺さぶった。


 ソーマは膝をつき、周囲を見回す。


 そして次の瞬間、


≪≪回復≫≫


 かんなとめいの体を、緑のまばゆい光が包み込んだ。


 二人は手をつないだまま、ゆっくりと立ち上がる。


「なぜだ、なぜ……。こんなことがあるはずが……」


 かんなはめいをかばうように前に出て、呆然とするソーマに向き合う。


「お前は知る必要ありません。めいちゃん、下がっててください。ちゃっちゃとやっつけちゃいます」


「ちっ。まだだ、まだ終わらないっ」


 ソーマは片膝をついたまま、かんなに向かって魔法を放つ。


≪≪雷の閃光≫≫


 けれど、ソーマから魔法が放たれることはなかった。


「エーテルがっ」


「王都中のエーテルは全ていただきました。魔法はもう使えませんよ。私以外は」


≪≪聖なる光≫≫


 ソーマに向かって、細い白光が上空から落ちてくる。


「ぐわああああっ」


 片腕。続いて片足。白光に貫かれ、ソーマの体の一部は次々に消滅していく。体の一部を失ったソーマは、床でのたうつ。


「おのれっ。 ティナ! 白光の聖女をやれ!」


「めいちゃんっ」


 かんなは、はっと顔をあげる。


 ティナがめいの向かいに立っていた。


 かんなは、ティナに向かい聖なる光を唱えようとして口をつぐんだ。


──ティナは剣を自らの足に突き刺していた。


「うっ」


 震えながら、全体重をかけてそのまま足に剣を突き刺し続ける。


「大丈夫」


 めいはティナ顔に手を伸ばすと両手でその頬をはさんだ。背伸びをして、ティナの額と、自分の額を触れ合わせる。


「大丈夫」


 聖女の持つものとは違う、優しい、わずかに赤みを帯びた光が、二人が触れ合った場所から広がる。見開いていたティナの目が閉じられ、力が抜けた体はそのまま床に崩れ落ちた。


 めいは、かんなを振り返る。


「かんな、あとは任せた」


「はい、めいちゃん」


 かんなは、引き寄せたエーテルを糧に、自分の中の魔力を燃やす。


 自らの体を触媒とし、胸の聖痕により聖魔法を構築する。


 そして、放つ。




≪≪聖なる光≫≫




 天から、地下へと白光が降りる。


 今までと比べ物にならない規模の大きさと、強さの白光だった。


 目を開けていられないような閃光が、聖なる力となって床へと降りていき──。




 その後には、何も、残らなかった。

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